―3―
神様と別れてから、読真は吹雪の中を歩き続けた。
さっきまでは凍えそうなほどの寒さだったが、今はそうでもない。神様が、別れ際に橙色に淡く光る珠をくれたのだ。それを持っていると、どういうわけか陽だまりの中にいるような温かさを感じていられた。
「……誰も、いないのかな」
目の前に集落が見えてきた。けれども、人の気配はない。家や共用の井戸、薪を割るための道具などはそのままの形で残されている。見ると、そのすべてに厚い氷が張られているようだ。
誰もいないだろうと思いつつも、誰かいないだろうかと人を探しながら歩いていると、硬いものに腰をぶつけた。
痛む腰をさすりながら、何にぶつかったのかを確認する。そこで、読真は動きを止めた。
目の前には、子供の姿があった。まるで、何かから逃げているかのように、足を大きく前に出したままの状態で固まっていた。その子の少し後ろには、二人の子供の姿もあった。その子たちも、前の子と同じように駆けっこの状態で固まっている。
それを見ていると、今にも子供たちの明るい笑い声が聞こえてくるようだった。
顔を上げて見回すと、畑仕事をしている人、家の前で立ち話をしている人、薪を割るために斧を振り上げている人など、ついさっきまで動いていたのではないかと思えるほど、生活感溢れる状態でみんな凍りついていた。
「なんだよ、これ……」
読真の心臓は、まるで早鐘のように激しく高鳴る。
「……さむっ」
吹雪が激しさを増した気がした。
読真は、神様からもらった珠をぎゅっと胸に抱きしめる。そして、荒れ狂う吹雪の先を見つめると、一歩一歩、雪を踏みしめながら進んで行った。
集落を抜けると、また何もない世界が広がっていた。
正確には、吹雪で前が見えていなかっただけで、どうやら山を登っているようだった。目を凝らせば、周りには何本もの木々が見えてくる。そのすべてに厚い氷が張られていた。
どこまで続くのかわからない、白だけの世界。
読真は、何度も挫けそうになりながらも、それでも足を止められなかった。
――止まれば、きっと……。
ひとたび足を止めたなら、自分もあんなふうに凍らされてしまうかもしれない。そんな恐ろしい考えが浮かび、読真は懸命に足を動かしていた。
そうして、休まずに歩き続けた時、吹雪の向こうにぼんやりと何かが見えてきた。
それは、洞窟のようだった。
氷の洞窟だ。
歩き続けてへとへとだったこともあり、その洞窟を雪よけとして少し休むことにした。
しかし、洞窟に足を踏み入れて息を呑んだ。
外からはわからなかったが、中は驚くほどに広い。方々に枝分かれした道が奥へと続いている。
少し休んでから、読真はそのうちのひとつを進んでみることにした。
道は広く、天井からは氷柱が垂れ、まるでインテリアのように飾られている。部屋も、奥へ辿り着くまでに十二はあった。きっと、他の道にも同じぐらいあったことだろう。
道を抜けた先は、だだっ広い場所だった。この洞窟を屋敷や宮殿とするなら、大広間といったところかもしれない。天井は一際高く、ダンスパーティでもできそうなぐらいに広い空間が広がっていた。そして、ここまでの道と同じように、一切合切、何もかもが凍りついていたのだ。
そんな大広間の中央に、男の子が一人で座り込んでいる。
読真は、何かに夢中になっている男の子に近づいた。
「……っ、朗!」
一瞬、声を詰まらせた。まさかと思ったが、二度しっかりと顔を確認して、間違いないと思うやいなや、男の子の肩を力強く揺する。
「おい、朗!」
目の前の男の子は、読真の呼びかけに答えない。それどころか、読真の存在にすら気がついていない様子だ。ただ、目の前に置かれた氷のかけらを熱心に並べていた。
「……朗?」
読真は、男の子の前に移動すると、腰を落としてその顔をのぞき込む。男の子の目はいったいどこを見ているのか、光のない目で熱心に氷のパズルを解いているようだった。
「……そうか。ここは『雪の女王』の世界。氷のパズルをしているのは……そうだ、確か、カイ。君は……カイ?」
名前を呼ばれても、カイはこちらに見向きもしない。目の前のパズルを解くことだけに夢中になっている。
「確か、目と心臓に鏡の欠片が入っているんだったな……」
カイの両頰をつかみ、くいっと顔を上げさせた。目の中をのぞき込むようにまじまじと見る。けれども、そこには何も見えなかった。それでも探し続けていると、カイが首を振り、腕を突き出して読真を押し退ける。そして、再びパズルに集中した。
「……えいえん……えいえん……」
耳を澄ますと、カイはそうつぶやいている。
「永遠……?」
読真は思い出した。
物語の中で、雪の女王はカイにこう言ったのだ。「『永遠』の形を作ってごらんなさい。それができれば、お前は自由になれる」……と。
「『永遠』の形を作ろうとしているのか……」
「永遠」がどんな形をしているのか、読真にはわからない。けれども、特に焦りはしなかった。「永遠」の形は、もうすぐできると思っていたから。
物語通りなら、間もなくゲルダがやってくるはずだ。ゲルダの涙が、カイの目に入った鏡の欠片を洗い流し、凍った心臓を溶かすのだ。その時に「永遠」の形も完成し、『雪の女王』の物語はハッピーエンドを迎える。
「カイちゃあん!」
凍てつく道の向こうから、女の子の声が響いてきた。それに続き、
「おおい! カイぃ!」
よく聞き慣れた声も響いてくる。
「……朗っ!」
読真が声を上げると、ばたばたと足音がこちらに近づいてきた。しばらくして、朗が大広間へと入ってくる。そのすぐ後ろにいる女の子は、きっとゲルダだろう。
「アニキ!」
「カイちゃん!」
朗とゲルダの声が重なって響く。ゲルダは、一刻も早くカイに触れたいのか、凍りついた大広間を何度も転びそうになりながら走り、カイの首筋に抱きついた。一方の朗は、ゲルダと同じように走りかけたが、すぐに減速すると、ゆっくりゆっくりと読真のところまで歩いてきた。
「お前、よく無事だったな」
読真の言葉に、
「あんなの、へっちゃらだよ」
と朗が答える。その横で、
「カイちゃん! ああ、こんなに冷たくなって……」
ゲルダが声を上げて泣いていた。その涙が、カイの目と胸に落ちる。目からは鏡の欠片が洗い流され、熱い涙がカイの凍った心臓を溶かした。
「……ゲルダ?」
鏡の呪いから解放されたカイは、ようやくゲルダの存在に気がついたようだ。
――ここまでは物語通りだ……。
読真はそう思い、カイの手元に散らばっている氷の欠片を見つめる。
――あとは、「永遠」の形が完成すれば……。
けれども、氷の欠片は一向に動き出す様子がなかった。