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どれぐらい経ったろうか。
誰かが階段を上ってくる。
「読真、朗。まだ片づかないの?」
という声とともに、図書室の重い扉が開かれた。
「読真……朗?」
「あ! お母さん!」
母の姿を見ると、朗は立ち上がって駆け出した。そのままの勢いで母に抱きつく。
「お母さん! すっごい久しぶり!」
「……久しぶりって、今朝会ったでしょ?」
「今朝? ……そっか」
「もう……どうしたの? ……読真?」
腰にしがみつく朗の頭を撫でてやりながら、一冊の本を片手にこちらに歩み寄る読真に、母は首を傾げて問いかけた。
「さあ? 寝ぼけているんじゃない?」
「今まで寝てたの? でも、図書室は片づいているようだけれど」
「二人で片づけたよ。そしたら面白そうな本を見つけたから、二人で読んでたんだ」
「……二人でって、あなたたち、二人で?」
「うん」
「朗が、本を……?」
「うん」
「……そう」
母が、目をぱちくりさせながら読真と朗を交互に見ている。
「お母さん!」
しがみついていた朗が顔を上げ、母を見上げた。
「明日、学校が休みでしょ?」
「そうね。土曜日だもの」
「おばあちゃんに会いに行ってもいい?」
「え……?」
「おばあちゃんのいる施設、自転車でも行けるよね?」
「ええ……。それは、行けるけど」
「明日、行ってくるね」
「どうしたの? 急に。突然そんなことを言うなんて」
「会いたくなっちゃったから」
「でも、一人でなんて……」
「大丈夫だよ。俺も行くから」
読真の言葉に、母はまたも目を丸くする。
「読真が、行ってくれるの? 朗と一緒に?」
「うん」
「……」
普段の二人からは想像もつかない展開の連続に、母は言葉を失くしてしまったようだ。そんな中、朗がさらに母を驚かせる。
「ね、いいでしょ? 僕、明日、お兄ちゃんと一緒におばあちゃんのところに行きたいんだ!」
朗のそばでは、読真が微笑んでいた。
図書室を荒らしたことを叱ろうとしていた母も、
「……いいわよ。読真と朗が二人で行ったら、おばあちゃんもきっと喜ぶわ」
と笑う。
「さあ。遅くなっちゃったけど、ご飯にしましょう。でも、その前にお風呂に入らないとね」
「お腹空いたよ! ご飯が先でもいいでしょ?」
「だめ。あなたたち、泥だらけよ」
朗の言葉を母が制する。
「朗はいつものことだけど、読真まで……。どうしたらそんなに汚せるの?」
そう言われて自分たちの格好を見た読真と朗は、
「うわあ……」
と思わず声を上げた。
「あなたたち、二人で泥んこ遊びでもしたのかしら?」
母がそう言うほど、かぴかぴに固まった泥が水玉模様のように二人の服にこびりついていたのだ。
「これは……アヒルの子の白鳥が……」
母が首を傾げる。その言葉を口にした読真自身、何を言おうとしているのかわからなくなってしまって、途中で口を閉ざした。
「もう、なんでもいいから、二人ともお風呂に行ってきなさい」
それだけを言うと、母は図書室から出て行ってしまった。
「行こうか」
母がいなくなってから、読真が朗を促して言う。
「ねえ」
しかし、袖口を引かれて、読真は振り返った。
「結局、神様ってなんだったんだろ」
朗の言葉に、
「何言っているんだよ。アンナに、神様はいたって答えていたじゃないか」
と読真が言う。
「うん。言ったけどさ……。エラも白雪姫も、アデラも……みんな、いろんな苦しみがある中で、一生懸命に生きようとしていた。……ううん、違う。人魚姫は、自分は死んでもいいからって、生きようとしていた感じで……。あれ……?」
「……わかるよ」
朗の中ではまだ整理がついていないのだろう。たどたどしく語る言葉に、読真はうなずいて答えた。
「それが、神様を信じるってことだと思う」
「……うん」
「生きるって、この世の命を保つってことだけじゃないんだよ、きっと。この世の寿命が尽きたって、あの世に生まれ変わって、永遠に生き続けるんだ。命は大切だと思うけど、一番じゃない。たとえば、神様の正義に背いてこの世を生きるとしたら……それは、虚しいよ。人魚姫は、この世の命を絶つことで、あの世に還ってからの永遠の命を輝かせようとしたんじゃないのかなって、俺は思うんだ」
「……神様を探してって、そういうことに気づいてってことだったのかな」
「お前には見えるって、アンナは知っていたのかもしれないな」
「見えるって?」
「光が見えたんだろ?」
「え? ……うん」
「それは、もしかしたら、後光だったのかもしれない」
「後光?」
「幸せを感じたり、いい思いを持ったりすると、頭の後ろが光るんだってさ。悟りのレベルによって後光の大きさは違うらしいけど」
「あれって、そうだったのか……」
「声も聞いたんだろ? 人魚姫の」
「うん、聞いた」
「人魚姫の心の声が、お前には聞こえたんだ。それって、すごいことだと思う。この世のものじゃないものが見えるし聞こえるってことだ。それに正しい信仰心を持てたら、お前、最強だよな」
「最強?」
「敵なしだよ」
「そうなの?」
「この世の力だけじゃ限界があるけど、あの世の力を引いてこられたらさ、何が起こったって負けるはずがない」
「ふうん。ねえ、どうやったらあの世の力を引いてこられるようになるの?」
「神様を信じるんだよ。心から。そして、正しく祈るんだ」
「正しく祈る?」
「自分のためじゃなくて、周りの人や物事をよりよくするために力を使わせて欲しいって感じでさ。心静かに祈るんだよ。毎朝、父さんと母さんがやっているみたいにさ」
「……そっか」
読真の言葉にうなずくと、朗はその場にひざまずいた。そして、両手を合わせて頭を垂れる。
「僕は、神様を信じる! あ……じゃない。神様を、信じます。心から!」
数分間祈ってから立ち上がった朗が、
「僕、神様を探すよ。一生を懸けてね」
と言って笑った顔は、これまでで一番生き生きとして輝いているように読真には見えた。
「うん。俺も、探すよ。たぶん、一生懸けたって、全部を見つけることはできないと思う。でも、だからこそ、永遠の命が与えられているんだよな」
そう言うと、朗がしたように、読真もその場にひざまずいて祈った。
「お兄ちゃん」
「うん?」
「明日、おばあちゃんにこの本を見せようよ」
「『神様をさがして』を?」
「うん。それで、僕たちの冒険を話してあげるの!」
「いいけど、信じてくれるかなあ」
「でも、僕、おばあちゃんに話してあげたい」
「そうだな」
「あ、でも、その前にお父さんとお母さんに話そう!」
「うん」
「あとで……ううん、今から話そう! ね!」
「わかったよ。でも、まずはお風呂に入らないと。母さんにご飯を出してもらえないぞ」
「うん!」
読真と朗は、自分たちの大冒険をどう話して聞かせようかを話し合った。そして、それを聞いた両親や祖母がどんな反応をするのか……そんなことに思いを馳せながら、図書室を出た先にある長い階段を二人並んで下りて行ったのだった。




