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「お前……」
「もうやめて」
「お前……なんでここに?」
「彼がここに向かったって、子供たちから聞いたから」
「今さら、何しにきたんだい。この恥知らず!」
「……私、後悔してないわ。お母さんになんと言われたって」
赤ずきんのおばあさんのことを「お母さん」と呼ぶその人は、おばあさんの娘であり、赤ずきんの伯母さんなのだろう。
「薄汚い奴隷なんかと駆け落ちするなんて!」
「奴隷じゃない! 彼は使用人として一生懸命に働いてくれていたの。お給金だってちゃんと渡していたでしょう? 奴隷とは違うし、私はそんなふうに思ったことなんか一度もなかったわ」
「奴隷であれ使用人であれ、身のほどを知らないことに変わりはないだろう。主人の娘に手を出すだなんて。お前もお前だ。ああ、なんておぞましい!」
「ひどい……なんてことを言うの? やっぱり、こなければよかったわ! さあ、あなた、もう帰りましょう」
そう言って伸ばされた手を、黒人の男性は優しく制した。そして、
「奥様、今日は報告があってきたのです」
と告げる。
「……奥様」
「誰が発言を許した? 立場をわきまえなさい」
それには、伯母さんが黙っていない。
「もういいかげんにしてよ! 身のほどとか立場とか、なんなの? あなたはそんなに偉いの? 白人が黒人よりも優れているの? だとしたら、いったい何がそんなに優れていると言うの? 黒人は白人よりもずっと働き者よ。体力はあるし持久力もある。頭だっていいのよ。ちゃんと学べる環境さえあれば。だって、彼はとても努力家だもの」
「奥様、どうか……聞いて下さい」
「もういいわ。こんな人に話すことなんかない。行きましょう」
「いや、だめだ。聞いて頂かないと」
「聞いたって喜ぶはずないもの」
「それでも、話しておきたいんだ」
伯母さんと黒人の彼とのそんなやりとりのあとで、彼がこう切り出した。
「妊娠しました。あなたのお嬢様が」
「……」
「今、四か月です。駆け落ちしてから七年……ようやくできました。このことを、どうしても奥様に伝えたくて」
「……」
「私たちは、子供を諦めかけていました。それで、数年前から身寄りのない子らを引き取って孤児院の真似事をはじめたのですが、このたび、ようやく……」
「話はそれだけかい?」
「え……はい」
「なら、もう、とっとと帰るんだね。七人の孤児の世話だけでもたいへんだろうに、もう一人増えるなんて、ちゃんと生活していけるのかね。言っとくが、私をあてにされても困るからね」
「それは、もちろんです」
「……なら、いい。さあ、帰りな。とっとと帰るんだよ!」
伯母さんと二人の黒人男性、それから読真と朗も、追い払われるようにして家を出されてしまった。
「大丈夫か?」
黒人の彼が、同じく使用人仲間だった黒人男性の傷を心配して声をかけた。
「ああ、問題ない。かすっただけだから」
そう言って笑うのを見て、読真はどこか腑に落ちない気持ちを抱えていた。
「にしても、赤ずきんちゃんのおばあさんってひどいね」
隣では朗が頬を膨らませ、おばあさんの家を睨みつけている。
「……うん。でも、おばあさんだけが悪いわけじゃないと思う。そういう文化の中に、長い間生きてきたんだ。仕方ない面もあるのかもしれないよ」
「そうかな? だって、黒人がみんな悪いとか、あるわけないじゃん。白人の中にだって、悪い人もいるんじゃない?」
「昔、日本にも似たような差別はあったよ。前世で悪行を働いた者は女として生まれるとか、信じられていた時代があったんだ。だから、女であるということが罪人の証なんだってことだよね。今考えたら、とんでもない話だよな」
「……日本にも? そんなのがあったの?」
「うん。しかも、江戸時代ぐらいまではあったと思うから、そんなに大昔の話でもない。正しく見るってさ、実は結構難しいことなのかもしれないよ」
「正しく見る?」
「正しく見ることができたら、学校でのいじめだってだいぶ減るはず……いや、みんながそれをできたら、完全になくなるはずだと思うんだよ。いじめってさ、やっている張本人は楽しんでいるかもしれないけど、その他の周りの人は、ただなんとなく加担しているだけって場合もあると思う。いじめっこたちの話を真に受けて、いじめられている人に問題があるんだって思っちゃう人だっているんだよね」
「なんで? いじめてる方が悪いに決まっているじゃん!」
「もちろん、そうだよ。俺だってそう思うよ。でも……。いじめとか差別っていうのがなくならないのは、自分と違うものをなかなか受け入れることができないからなのかも。でもさ、もしもそれをみんなが受け入れることができるようになったら、物凄い強みになると思うんだよ」
「どういうこと?」
「お互いに足りないものを補い合えるだろ? だから、『違い』があるんだよ、きっと」
「それって、神様がそう創ったんだって言いたいの?」
「うん」
「……ふうん」
「あとは、違いを楽しみなさいって意味もあるのかもしれない」
「違いを楽しむ? 何が楽しいの?」
「発見があるだろ。自分と似てる人と一緒だと楽だけどさ、それが長く続くと退屈してくるものかもしれないよ」
「……それは、そうかもね」
その時、
「伯母さん」
赤ずきんが小走りでこちらに向かってきた。
「伯母さん、これ」
そう言って赤ずきんが差し出したのは、裏面に菊花の絵が彫り込まれた銀製の手鏡だった。
「これは、お母さんが大切にしていた……」
「ええ、おばあさんがお嫁に行く時にひいおばあさんからもらったものなんですって」
「……」
「おばあさんが、伯母さんに渡して欲しいって」
「……お母さんが?」
「嫁入り道具だって。あの時、何も用意してあげられなかったからって」
それを受け取ると、伯母さんは肩をわなわなと震わせた。目尻に溜まった涙が、つうっと頬を伝い落ちる。
「伯母さん、またお家に行ってもいい? みんなと遊びたいの」
「ええ、もちろんよ」
「伯母さんも、家にきてね。お母さんも会いたがっていたから。それから、おばあさんとも、たまには会ってあげてね」
「……そうね」
そう言いながら、伯母さんが手鏡をくるりと回す。鏡の面が、鬱蒼とした森の中に向けられた。そこには道はなく、暗くてまったく先が見えなかったのだが、手鏡から発せられた金色に輝く光の筋が走るように伸びて道を創り出した。
「あ、この光……」
「もしかして、この道が次への扉?」
「扉ってどこ? この道、どこまで続いているの?」
「さあ? でも、進むしかないんじゃないか」
先に読真が足を踏み入れた。その後を朗が追う。一歩進んだだけで、読真の姿を見失うぐらいに暗い道だった。
「……アニキ?」
呼びかけてみる。すると、意外にも近くで、
「早くこいよ」
という読真の声が聞こえた。どうやら朗がくるのを待ってくれているようだ。
「う、うん」
おそるおそる、朗も真っ暗な森の中へと入って行く。頼りとなるのは、赤ずきんの伯母さんが手にしている手鏡の光のみ。
「二人とも、頑張ってね」
赤ずきんの言葉を背に、光の筋が指し示す道なき道を一歩一歩踏みしめるように、兄弟は、決してはぐれてしまわないように手を繋ぎながら進んで行ったのだった。




