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神様をさがして  作者: 高山 由宇
第11章 献身の美
44/52

―2―


「何も聞こえないよ」

「……うそ」

「お前には、なんて聞こえるんだ?」

 読真が尋ねると、

「えっと……なんか、謝っているよ」

「謝っている?」

「うん。お姉様たち、ごめんなさい……って」

 五人の人魚たちの間に緊張が走った。

 朗が、たどたどしい口調で告げた人魚姫の声なき言葉とは、こうだった。


 私は、愚かでした。

 王子様を想うあまり、一緒にいたいと願ってしまった。その心につけ込まれ、あろうことか魔女と契約し、そして声を奪われてしまった。

 魔女の計略に、乗せられてしまった。

 その結果、自分ばかりかお姉様たちをも巻き込み、傷つけてしまった……。

 ごめんなさい、お姉様たち。

 ごめんなさい、お父様。

 私の声が、お姉様たちの美しい髪が、魔女に力を与えてしまった。

 海の世界を汚染してしまった。

 ごめんなさい。

 海神(わだつみ)よ……。

 私の命をもって、どうぞ怒りを鎮めたまえ。

 どうか……お許し下さい。


「ああ……愛しの妹よ」

 しゃくり上げるような泣き声が周りから上がった。

「メルジーナ……!」

 次女と三女が、まるでミュージカルを聞いているかのように美しい声で、甲板に立つ人魚姫の名を口々に叫んでいる。

「メルジーナの気持ちに気づかなかった、王子が憎いわ!」

「あの王女も、王子の前に現れたりしなければ……!」

 四女と五女が、船上のどこかにいるだろう王子と王女に憎々しげな目を向けている。

「……人間め!」

 それまで黙って妹たちの慟哭を聞いていた長女が、鋭い目つきで読真と朗を睨みつける。その眼差しには、憎悪と、悲哀の念が込められているようだった。

「子供と思ったが、やはりお前たちも沈めてくれるわ!」

 長女の言葉を合図とするように、次女と三女が読真の首を、四女と五女が朗の首を絞めにかかる。

「……やめ……っ」

「……くるし……っ」

 そこへ、

「……っ、いやあ!」

 長女の悲痛な叫び声が上がった。人魚たちの手の力が緩む。みなは長女を見て、そのあと、長女の視線を追って甲板を見た。しかし、そこに、さっきまでいたはずのメルジーナの姿はなかった。

 気がつけば、いつの間にか闇が薄くなり、水平線の向こうが白んでいる。

「……泡に、なったんだ」

 虹色に輝く無数の泡が、列をなして天へと昇って行く。それを見て読真がつぶやいた。

「メルジーナ……!」

「……おのれ、人間め!」

 人魚たちが再び兄弟を締め上げにかかる。

「やめてよ!」

 朗が大声で人魚たちを制した。初めは命乞いかと思った人魚たちだったが、どこか大きく構えた朗のただならぬ雰囲気に、みな兄弟の首から手を離した。そして、

「人魚姫が悲しむよ」

と言った朗の言葉に、人魚たちは互いに顔を見合わせる。

「人間の子供が、何を言うの」

「そうよ。あの子の何を知っていると言うのよ」

「あの子は、人間のせいで死んだのよ」

「人間の王子になんか、出会わなければよかったのに……」

 人魚たちが口々に言い合う中、それでも怯むことのない朗の目を見た長女が、静かに口を開いた。

「……また、何か聞こえたの?」

 そこで朗は、こくりと大きくうなずく。

「教えて」

 長女に請われるままに、朗はメルジーナの最期の言葉を話して聞かせた。

海神(わだつみ)よ。どうか、王子様が末永く幸せで満たされますように。お姉様方の髪が早く伸びますように。海の世界が今以上に繁栄しますように。海の世界、人の世界、そこに生きる者たちが互いに愛し合うことができますように」

 そして、

「あと、最後にこう言っていたよ」

とつけ加えた上で、

「私は、願う相手を間違えた。祈るなら、魔女ではなく、ただ神に祈ればよかったのに、って」

 そう締め括った。

 それを聞いた人魚たちは、ぼろぼろと大粒の涙を流し、

「ああ、海神よ!」

「私たちが愚かでした!」

「魔女の策略にはまり、海の世界に不秩序をもたらしてしまいました!」

「私たちの罪をお許し下さい。ああ……神様!」

「神よ! どうか、メルジーナの魂をお導き下さい! そして、メルジーナの祈りを叶えて下さい!」

 天を仰ぎ、歌うように叫ぶと、人魚たちは空と海とが重なり合う水平線を見つめながら手を合わせた。朝日に照らされた人魚たちは、全身をきらきらとさせていて、まるで天女のような輝きを放っている。

「……綺麗だね」

 人魚たちと、空に昇って行った白い泡とを見つめて朗が言った。

「献身って、綺麗なことなんだよ」

 読真の言葉に、

「けんしん?」

と朗が聞き返す。

「誰かに尽くすことだよ。誠心誠意、その人がよくなるように、その人のために思って動くことさ」

と読真が答えた。

「日本の女の人はね、献身的で素晴らしいって外国の人たちに言われていた時代もあったらしいよ。ほんの半世紀前までは。でも、今はさ、女の人たちも社会で活躍するようになって、男の人たちと肩を並べて頑張っている。献身が美徳だと思っている女の人は少なくなってきているのかもしれないよな」

「……」

「その話をするとさ、男女差別だって言う人たちもいるけど。でも、差別じゃない。区別なんだ。海の世界、人の世界。男と女。そこに優劣の差なんかない。ただ、あるのは区別だけ。役割が違うだけなんだよ」

「……アニキの話は難しいよ」

「この間さ、父さんとそんな話をしたばかりなんだ。俺も二年後は高校生だろ? そろそろ受験のことを考えるんだよ。高校には行くけど、そのあとは大学に行くか、就職するか……。そのことを話し合ってて、そんな話になったんだ」

「え! もうそんな先のことを考えているの?」

「早めに考えておくのに越したことないからさ」

「早過ぎだよ」

「そんなことないよ。人生八十年とするなら、高校を卒業するまでの十八年なんて、あっという間だと思う」

「なんか、年寄りくさい。僕たちまだ子供だよ? もっと遊ぶ時間も必要だと思うよ」

「そうだな」

 返ってきた意外な言葉に、

「え?」

 朗は目を丸くした。そんな朗を横目に、

「なんか、お前を見ていると、そんな気がしてくるよ」

 読真は、そう言って笑った。

 ふと、気がつけば、さっきまで祈っていた人魚たちが再び読真と朗を取り囲んでいる。五人の人魚たちは、五芒星をかたどるように立つと、その中心に読真と朗を置いた。

「え……なに?」

 これから何がはじまるのかと、びくびくする朗。しかし、朝日に照らされた人魚たちは、みな優しげな笑みを浮かべていた。

 ここは海の中。浮力が働いているとはいえ、なんの支えもなしに水面に浮かんでいられるわけではない。人魚たちが、ずっと読真と朗の体を支えてくれていたのだ。

 その手を、人魚たちは、一斉に……離した。

「え……!」

「うわあ……っ」

 あまりに唐突に支えをなくした兄弟の体は、もがけばもがくほど、深く深く海の底へと沈んでいく。朦朧とする意識の向こうで、明るい声を聞いた気がした。

「いってらっしゃい」

 五人の澄んだ声に見送られながら、二人はぎゅっと瞼を閉じたのだった。


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