―5―
「どうして、オーブンの火加減を見てくるだなんて、余計なことをしたの?」
充分に熱せられたオーブンの前で、グレーテルはほんの少しだけ怒ったように読真に尋ねた。
「私だって、本当はオーブンの扱い方ぐらい知っているのよ」
「うん。わかっているよ」
なら、なおさら、どうして出しゃばってきたのかと、その目が訴えていた。
「だって、君は、あの魔女をオーブンで焼き殺すつもりだったんだろ?」
グレーテルが、大きな目をさらに見開く。そこへ、
「アニキぃ!」
ばたばたばたばたと、朗が階段を勢いよく駆け上がってきた。
「朗!」
キッチンを出ると、読真の姿を見つけた朗が駆け寄ってくる。
「アニキ、早くここを出ようよ!」
「……お前、随分と太ったな」
「そんなこと、今は関係ないだろ! ここ、ヤバイよ! 早く逃げなきゃ!」
「俺だって逃げたいよ。でも、無理だ。お菓子を食べたら扉からは出られない。そういう魔法がかけられているんだってさ」
「……そんなあ」
「だから、魔女を殺さないといけないのよ」
物騒な言葉をつぶやくグレーテルを、読真と朗はぎょっとして見つめた。彼女の瞳は、少女のものとは思えない怪しげな輝きを帯びている。
その時、魔女が階段を上ってきた。その手には、まさに首根っこをつかまれた状態のヘンゼルがぐったりとしている。
「兄さん!」
グレーテルが叫んだ。
「兄さんを離してよ! このバケモノ!」
そう言うと、グレーテルは隠し持っていたナイフを振りかざす。それを見た読真は、
「……違う!」
と、グレーテルの前に立ちはだかった。
「アニキ?」
ナイフを振り上げたグレーテルにも、まるで魔女をかばうようにその前に出た読真にも、朗は驚きながら二人の顔を見つめることしかできない。
「魔女なんかじゃない、この人は被害者だ」
読真の言葉に、朗は首を傾げ、グレーテルは眉根を寄せた。
「この人は、魔女裁判にかけられた。そこから逃れてきたんだって、グレーテルは言っただろ?」
グレーテルがこくりとうなずく。
「魔女裁判は、一種の迫害だよ。たくさんの人が、魔女の汚名を着せられてひどい殺され方をしたんだ。そのほとんどが、多くの人を助けようとして動いていた医者とかだったって本で読んだことがある。とにかく、魔女裁判で殺されたほとんどの人が、なんの罪もない人たちだったんだよ」
「……なにそれ。ほんとに? そんなことがあるの? だって、裁判なんでしょ? だったら、ちゃんとした理由があって裁かれるものなんじゃないの?」
読真の言葉に、朗はかなりの衝撃を受けたようだ。
「裁判なんて、名前だけだったんだよ。魔法とか呪術とかが信じられていた時代だから、それを使ってさ、人々に害をなすヤツを取り締まって社会を安定させようとしていたらしいんだけど、それがどんどん政治的に利用されるようになっていったんだ」
「政治的に、利用?」
「孤立している人っていうのはさ、どこにでもいるものだろ?」
「え……あ、うん」
「そういうさ、立場的に弱い人を魔女に仕立てることもあったんだ。そして、拷問したり、処刑したりした。そうすることで、社会に対する不満をそらしたり、社会の安全が得られたと人々に思わせようとしたんだ。みんな、魔女を恐れていたからさ」
「それじゃ、大勢の人のために、弱い人たちが犠牲になっていたってこと? ……なんの罪もないのに」
「でも、本当の魔女だっていたはずよ」
グレーテルが言う。
「だって、あの魔女、魔法を使っているもの。お菓子を食べたらここから出られなくなるのも、あの魔女の魔法よ。それに、ローだって、短時間でこんなに太れるわけがないじゃない。これだって、きっとあの魔女の魔力のせいだわ」
「それなんだけどさ、僕って本当に太ったのかな?」
朗の発言に、読真は肩をすくめた。
「だいぶぽっちゃりしたように見えるけど?」
「でもさ、体が重くなったように感じないんだよね」
「え……?」
「みんなが言うほど太っているなら、あの魔女を振り切ってさ、階段を駆け上がってなんかこられないと思うんだけど」
「それって……太っているように見えているけど、本当は全然変わっていないってことか?」
「……」
「もし、そうなら……」
「……お菓子を食べさせて、太らせてから子供を食べようとしている魔女がいるって、みんながそう思い込んでいたから……。だから、そう見えたのかな」
そう言う朗の体が、少しスリムになったように見えた。
「だから、きっと……魔女なんかいないんだ」
朗がつぶやく。
「本当は、いなかった」
ヘンゼルとグレーテルを指差す。
「魔女を作ったのは、君たちだ!」
びくりと、グレーテルの肩が揺れた。魔女に捕らえられていたヘンゼルも、同じように震えている。
「君たちが、追いつめたから……。君たちの親や、おじいさんおばあさんや、みんなが……。それで、あの人は本当の魔女になっちゃったんだよ!」
「そんな……」
グレーテルが、崩れるように床に膝を着く。
「君たち、じゃない……。僕もだ。僕も、追い込んだのかも……」
「……なんのことだよ?」
うつむく朗に、読真は尋ねた。
「さっきさ、弱い立場の人が魔女とされたって言ってたでしょ?」
「うん」
「それって、周りからいじめられていたってことだよね」
「まあ、確かに。社会的ないじめだったのかもしれない」
「僕は、いじめてないよ」
「は?」
「でも、何もしなかった。いじめてないけど、助けなかったし、その子に話しかけることもなかった。それって、いじめられている人から見たら、いじめっ子とどう違うのかな?」
突然の問いかけに返答に困ったが、朗は、たぶん、学校でのことを言っているのだろう。
「追いつめたのは、僕も同じだったんじゃないかなって……今、そう思ったんだ」
「そう、かもな」
「……」
「でも、お前は、それに気づいたんだな」




