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「ああ、もう……どうしたら……」
頭を悩ませていると、ふいに部屋の扉が開かれる。
「……グレーテル」
入ってきたのはグレーテルだった。
「魔女は地下牢に向かったわ。今のうちに逃げて」
グレーテルは、読真を逃がすためにきたらしい。けれども、
「……逃げられない」
読真が項垂れて首を振った。
「弟を置いて行けない」
「……そうね。私も、たとえ逃げられたって、兄さんを置いては行けないわ」
「あの魔女は、いったいなんなんだ……」
「魔女は人間を憎んでいるのよ」
「どうして?」
「裁判で魔女と断定されて、処刑されるのが決まっていたらしいの。でも、あの魔女は逃げてきたのですって。きっと、恐ろしい魔法を使ったのでしょうね」
「裁判って? もしかして、魔女裁判……?」
「ええ」
「……どうして、あの魔女がそうだって思うんだ?」
「私、しばらく魔女のそばで働かされていたから。自分でそう言っていたのよ」
「……それが本当なら、あの人は……」
「あ……! 魔女が戻ってくるわ」
そう言うと、グレーテルは部屋の扉を閉めた。今度は鍵をかけられなかったようだ。
「グレーテル、そこで何をやっているんだい?」
魔女の声だ。
「……床に黒ずみを見つけたの。どうにかしてとれないかと思っていたのよ」
「馬鹿な子だね。そんな細かいところはいいんだよ。それより、オーブンの火加減を見ておいで」
「……オーブン? まさか、兄さんを……?」
魔女の厭らしい笑い声が聞こえる。
「さあ、ぐずぐずするんじゃないよ。とっととオーブンを見てくるんだ」
「でも……私、オーブンを扱ったことがないの」
「なんだって? お前、オーブンの使い方も知らないのかい?」
「ええ。知らないわ」
「まったく、しょうがないね! この年になるまで、いったいどうやって暮らしてきたんだろうね、ったく!」
魔女は悪態をつくと、
「ついておいで!」
グレーテルを連れて歩き出す。
――だめだ……!
グレーテルと魔女の会話を聞いていた読真は、いても立ってもいられずに勢いよく部屋の扉を開け放った。
「待って!」
グレーテルと魔女が、目を丸くしてこちらを見ている。
「な……どうして、部屋の鍵が開いているんだい?」
魔女がグレーテルを睨んだ。青ざめているグレーテルを背にかばい、読真は魔女の前に出る。
「オーブンの火加減なら、俺が見てくるよ」
読真の言葉に、
「お前、何を企んでいるんだい?」
目を細めると、魔女が訝しんで尋ねた。
「べつに、何も……」
「怪しいねえ」
「何も企んでなんかないさ。どうせ俺は……もうこの家から出られないんだ。だったら、あんたの役に立ってさ、少しでも長生きしたいんだよ」
「ふうん、本当にそれだけかい?」
魔女は、その恐ろしい顔を読真に近づけた。背筋に冷たいものが流れる。
「ほ、本当だよ!」
恐怖に打ち勝とうとするように、読真は大声を張り上げた。
「オーブンの使い方ならわかるよ。グレーテルの代わりに俺が行って見てくるよ」
そして読真は、魔女の返事も待たずに、さっさと一人キッチンに向かったのだった。
「やだあ! 出してよ! ここどこ? なんでこんな所に閉じ込めるんだよお!」
朗の叫び声が、ぐわんぐわんと反響する。
「出してったらあ!」
鉄格子に顔を擦りつけるようにして叫ぶ。壁も床もすべて鉄製で、辺りには何もない。
「出してえ!」
バンバンバンバンと、何度も鉄格子を平手打ちした。金属の音と朗の声だけが辺りに木霊する。そのうち、叩いていた手が痛くなってその場に座り込んだ。
「……もお! なんで誰もきてくれないんだよお!」
やけくそになったのか、これまで以上の大声を張り上げる。そのせいか、盛大に咳き込んでしまった。ようやく落ち着き、胸を撫で下ろす。すると今度は、強烈な喉の渇きを覚えた。
「……水、飲みたい」
さっきまで大量のお菓子を食べ続け、散々に叫び続けた喉はからからに渇いている。
「喉、渇いたなあ……」
鉄製の天井を見上げならつぶやくと、
「騒ぎ過ぎだよ」
すぐ近くから声がした。
「え、なに? 誰かいるの?」
一人きりだと思っていた朗は、驚きのあまりに激しく高鳴る胸を押さえながら声のぬしを探した。
「隣だよ」
教えられた通りに隣を見る。そこには鉄製の壁があった。
「もしかして、隣にも部屋があるの?」
「これを部屋って呼んでもいいならね。ここは牢屋だよ。魔女の地下牢さ。僕も、君と同じように囚われているんだ」
「そうなんだ……。あ、僕は朗。君は?」
「ヘンゼル」
「え、ヘンゼル? じゃあ、上にいたのがグレーテル?」
「そうか。妹に会ったんだね」
「うん。僕は朗だよ。グレーテルは、アニキと一緒だと思う」
「君も兄弟でここへきたのか。なら、お近づきの印にこれをあげるよ」
そう言うと、ヘンゼルは朗の方に向けて何かを転がしてきた。転がってきた何かは、朗の入れられた牢屋の前で止まる。朗は、鉄格子から手を伸ばしてそれをつかんだ。
「……水筒?」
竹筒を振ると、ちゃぽんちゃぽんという小気味よい音が聞こえる。
「ここへくる前にね、沢で汲んだんだ。だから安心して飲んでいいよ」
「ありがとう!」
そう言うと、朗は勢いよく竹筒に口をつけた。ごくごくと、冷たい液体が喉を潤していく。ひび割れた大地に雨が降るように、その水はまさに天の恵みだと朗は思った。
「助かったよ!」
生き返った心持ちでお礼を言う朗に、
「いや、まだだよ」
ヘンゼルはそう答えた。
「全然助かってないよ。まずはこの牢屋を出ないと」
「……うん。でも、どうやって?」
「もうすぐなんだ」
「もうすぐ? どういうこと?」
そこへ、
「ヘンゼル! ロー! おとなしくしているだろうねえ?」
イヒヒヒという不気味な笑い声を上げながら、魔女が鉄の床を鳴らしてやってきた。
「ヘンゼル! お前、ちっとも太ってないじゃないか? ちゃんと食べているのかい?」
そう言ったあとで、魔女は朗の入れられた牢屋の前までくる。
「お前はまたころころと、この短時間で随分といい感じに太ってくれたものだねえ」
そう言ってにたりと笑う魔女。
「ヘンゼルは後回しだ。お前がきてくれて、本当によかったよ」
魔女が、がちゃりと牢屋の扉を開いた。
「え……出てもいいの?」
「ああ、いいとも。準備が整ったからねえ」
不気味な笑顔とともに、魔女は朗を連れて牢屋の外に出る。
「だめだ!」
朗を連れて行こうとする魔女に、ヘンゼルが叫んだ。
「ロー、逃げるんだ!」
「……逃げる?」
「そうだよ! じゃないと、食べられちゃうぞ!」
「え……!」
「魔女は、子供を食べるんだ! そのために、お菓子を食べさせて太らせようとしているんだよ!」
「……あ! それ、アニキも言っていた……」
「っち! 賢いガキだね。気づいていたのかい。でも、まあ、いい。ヘンゼルは瘦せたままで我慢するとして、ローは美味しく食べてあげるとしようかね」
魔女は、朗の腕をつかむ手にさらに力を込めた。
「もうオーブンの準備は万端さ。あとは、お前を調理して放り込むだけなんだから、おとなしくするんだよ!」
「嫌だよ! そんなこと言われておとなしくするわけないじゃん!」
なんとか抗おうとするものの、力の差は歴然だった。引きずられるように連れて行かれる朗。
「嫌だあ! 離せったらあ!」
そう叫んだ時だった。
がちゃっと、金属の擦れるような音が背後から聞こえた。
「……な! この、ガキがあ!」
振り返った魔女が、思わず朗の手を離す。それを好機と、朗は魔女から逃れると鉄製の階段に足をかける。そして、読真がいるだろう二階へ向かおうとした朗が、ほんの一瞬牢屋へと目を向けた。その時に見たのは、開け放たれた牢屋の扉と、そこから逃げ出したヘンゼルらしき男の子の後ろ姿だった。




