―3―
「やっぱり……」
お菓子の家に招かれて、老婆がしきりにお菓子を食べるように促してくるのを見た時から、なんとなくそうではないかと思っていたのだ。物語の中で、ヘンゼルとグレーテルはお菓子に釣られたことで魔女に捕まってしまったから。
――やっぱり、あの婆さんが魔女なんだ。
お菓子を食べてしまうと、この家から出られなくなる魔法でもかけられているのかもしれない。とすると、朗は、もうこの家から出られないということだろうか。
――とにかく、朗と話さなきゃ……。
どうやって朗とコンタクトをとろうかと悩んでいると、部屋の扉がガタガタと鳴った。
部屋の扉の中央には、大きなポストのような穴がある。そこから、白いナプキンがかけられた皿が差し込まれた。
近づいて、おそるおそるナプキンを外してみる。大皿の上には、ケーキやクッキー、ビスケット、チョコレート、グミ、キャンディなどが山のように盛られていた。
思わず唾を飲み込む。
山の中を歩き続けてきた読真の腹が、輝くばかりのお菓子たちを前に切なく鳴いた。
空腹を満たしたい欲求に抗えず、お菓子に手を伸ばしかけた時、ポケットに入れていたはずの紙切れがひらりと落ちる。それを見て、読真は慌てて手を引っ込めた。
白いナプキンを戻してお菓子に目隠しをすると、落ちた紙切れを拾い上げる。
――この家では、何も食べてはダメ――
紙切れには、変わらずにそう書いてあった。
読真はお菓子から離れ、背を向けると座り込んだ。何気なく天井を仰ぎ見る。それから、部屋中をぐるりと見回した。
何もない部屋だった。あるのは、簡易ベッドと、空気を入れ替えるために備えつけられているような小窓だけ。
ふと、外の空気が吸いたくなって小窓を開けた。爽やかな風が心地よい。しばらくそれにあたっていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「わあ、お菓子がこんなに……。一度でいいから、お菓子をお腹いっぱい食べてみたいって思ってたんだ。夢みたい!」
その声は、紛れもなく朗の声だった。
――どこから聞こえるんだろ?
窓に顔を押しつけるようにして耳を澄ます。声だけでなく、お菓子を食べる音まで聞こえてくる。
――隣、か?
そう思った読真は、
「朗!」
窓から呼びかけてみた。
「おい、朗! 起きたのか? 隣の部屋にいるんだろ?」
「え……アニキ?」
どうやら朗にも声が届いたらしい。ひとまず安心して息をつく。
「朗、もうお菓子は食べるな」
「え、なんで?」
「『ヘンゼルとグレーテル』だよ。ここは魔女の家だ。お菓子を食べると、たぶんだけど、この家から出られなくなる」
「ええっ?」
それから少しの間、何も聞こえなくなった。
――ショックを受けたのかな。
読真がそう思ったのも束の間。
「なら、僕はもう出られないってことじゃん。どうせ食べちゃったんだもん。これからどんなに食べたって、同じだよね」
そう言ったかと思うと、またもお菓子を食べる音が風に乗って聞こえてくる。
「だから、食べるなって! 『ヘンゼルとグレーテル』の話を知らないのか?」
「それぐらい知ってるよ。お菓子の家が出てくるヤツでしょ?」
「いや、お前はちゃんと知らないよ。どうして魔女が、ヘンゼルにお菓子を食べさせようとしていたのか」
「捕まえるためでしょ? お菓子の家でおびき寄せたんじゃん」
「捕まえたあとも、グレーテルに料理を作らせて食べさせようとするんだよ」
「へえ。なんで?」
「食べるためだよ」
「食べる? 何それ? 魔女が食べさせようとしているんでしょ?」
「だから、魔女が美味しく食べるために、ヘンゼルを太らせようとしていたんだよ」
「え……」
「お前……もしかして、太っていたりしないよな?」
「……」
「ちょっと自分の体形を確認してみろよ」
その時、ぎぎっと、扉の開く音がした。振り返るが、読真の部屋の扉は相変わらず閉じられている。
「ちょっと、なに? どこに連れて行くの?」
「うるさいガキだね。いいからついてきな!」
隣の部屋からだ。朗と魔女とのやりとりが聞こえてくる。
「……朗!」
「隣の坊や。お前も早く諦めて、弟のように丸々と太ることだね。どんなに強がったところで、飲まず食わずでいるには限度があるのだから。早く楽におなり」
「やだ! 離せ! 僕、食べられたくないよ!」
老婆の姿と言えどもやはり魔女なのだろう。朗の力では到底太刀打ちができないらしい。朗の声がどんどん遠ざかっていく。
「やだあ! 助けてよ、お兄ちゃん!」
「この、ばか!」
読真は奥歯をぎりりと噛みしめるとそう言った。
「なんでも一人でできるようなことを言っていて、結局はいつもこうじゃないか! 少しは、自分の行動に責任を持てよ! こんな時ばかり弟みたいなことを言うな!」
「お兄ちゃあん! うわあん……っ」
がちゃりと、扉の閉まる音が聞こえた。その後、泣き叫ぶ朗の声が遠ざかっていくのを、読真はただ聞いているしかなかった。




