―3―
「あれ、何をやっているんだろ」
しばらく進むと、大きな湖が見えてきた。その畔に真っ白な毛並みの鳥が一羽、肩を落としてたたずんでいる。見つめていると、その鳥は、突然顔を水につけ出したのだ。
「え、何しているの!」
駆け出した朗は、水に顔を押しつけている鳥を力一杯に水から引き離した。
「何するんだ、離してくれ!」
白い鳥は羽をばたつかせて泣き叫ぶ。
「あれ、なんかこの感じ、懐かしい……」
「離してくれよ。僕は、もう死ぬんだから!」
「死ぬって、なんで?」
「僕が醜いからさ!」
「醜いって、君が?」
「そうだよ! 見ればわかるだろう。だから死ぬんだ。止めないで!」
「君は醜くないけど……。ていうか、醜いから死ぬって言う意味がわからないんだけど」
「え……」
それまで激しくばたつかせていた羽が、ぴたりと動きを止めた。そして、その鳥は、黒曜真珠のようなくちばしを朗に向けている。
「意味が、わからない?」
白い鳥は、さっき言われたことをそのまま朗に問い返した。
「うん。醜いなんて、誰かが勝手に言ったことでしょ。なんで、誰かの言葉で死のうと思うの?」
「だって……誰も仲間だと認めてくれないんだ」
「別にいいじゃん。自分が認めていれば」
「自分が、認める?」
「認めてくれないところになんかいる必要ないよ。認めてくれる人を探すか、いなければ一人だっていいじゃない」
「そんな……群れからはぐれて生きるだなんて、考えたこともなかった」
「僕は、群れるのは嫌いだもん。無理に合わせる必要なんかないじゃん」
「そう、なのかな」
「そうだよ」
白い鳥は、うつむいて考え込んでしまった。
「だから、もう群れに戻ることはないって。誰も認めてなんかくれなくたっていいじゃない」
「……」
「……誰もが、お前のようにはいかないんだよ」
朗と白い鳥のやり取りを見ていた読真が口を挟んだ。
「俺には、気持ちがわかるよ」
すると、白い鳥が、長い首をもたげて読真を見つめる。
「別に、みんなのことを嫌いなわけじゃないんだよな?」
そう問いかけると、白い鳥のつぶらな瞳からは、まるで真珠のような滴がこぼれ落ちた。
「仲間だと思うから、みんなに認めて欲しいと思うから、そうならないのが苦しいんだろ」
「だからさ、認めてなんかくれなくていいって思えばいいじゃん。そしたら、苦しむ必要ないでしょ?」
「だから! みんながお前のようにはいかないんだって、言っているだろ!」
朗の言葉を、読真は激しく制した。そして、続ける。
「俺は……お前が、羨ましいよ……」
「え?」
唇を噛み締めてつぶやかれた言葉に、朗は目を丸くして読真を見上げた。
「俺は、認めて欲しい。父さんも母さんも学者だから、二人の子供として、二人が恥ずかしく思わないようにならなきゃって思っている。だから、勉強だって頑張らないとって思うし、本も……月十冊を目標にして読んでいる。……本当は、そんなに好きじゃないんだけどな」
「え、本好きじゃないの?」
「嫌いじゃないけど……。でも、本を読む時間で、みんながやっているゲームをもっとしたいなって思うことはあるよ」
「え! アニキ、ゲームするの? どんな? 僕、アニキがゲームしているの見たことないよ」
「プレステとかスイッチとか。プレステ5を持っている友達がいてさ、たまにやらせてもらうんだ」
「プレステ5って、一番新しいヤツだよね? なかなか手に入らないんでしょ?」
「うん。やるのはアクション系が多いけど、ロープレをやってみたいんだ」
「ロープレ?」
「ロールプレイングゲーム。エンディングまで五十時間とか……七十時間ぐらいかけてさ、ストーリーを進めていくゲームだよ。でも、友達の家でやるにはさすがに無理だ。対戦でもないし、一人でこつこつプレイするゲームだから」
「そっか」
「友達がさ、ロープレで泣いたって言うんだよ」
「なんで?」
「感動したんだって」
「ゲームで?」
「友達が言うには、長い物語を一冊読み終える以上の感動がロープレにはあるんだってさ」
「……へえ」
「でも……俺は、それにはまって成績を落としたくないんだ。俺は、いい高校に行って、いい大学に入りたい」
「……僕は、そんなのは嫌だな」
「俺とお前は、考え方が違うからな」
「それはそうだけどさ。でも、アニキの話だと、アニキの人生なのにアニキのものじゃないみたいだ。いつも他の人、周りのことを気にしている」
ちくりと、読真はなぜか胸が痛んだ。
「お父さんもお母さんも、いい学校に行きなさいなんて言ってないよね。聞いたことないし。本を月に十冊読むっていうのだって、自分で勝手に決めたことでしょ? アニキがゲーム欲しいって言ったら、二人とも買ってくれると思うけどな」
「……お前はいいよな。自由で」
「アニキが勝手に不自由になっているだけじゃないか」
「羨ましいよ、ほんと」
「自由にやるしかないじゃん。だって、僕は……誰からも期待されてないんだから」
「……」
「お父さんもお母さんも、アニキの成績には興味あるみたいだけど、僕のにはないみたいだ」
「そんなことないだろ」
「僕がテストで三十点とった時も何も言わなかったし」
「……三十って、それ何点満点?」
「百点」
「お前、そんな点数とったのか?」
「うん。僕、社会苦手なんだもん」
「は? しかも社会で?」
「だって、苦手なんだもん」
「社会が苦手って……それじゃ、まともな社会人になれないぞ」
朗が唇を尖らせる。
「アニキにだって、苦手な教科ぐらいあるでしょ!」
「うん、あるよ。俺は、数学が苦手。それでも、三十点なんて点数はとらないけどな」
読真が笑った。馬鹿にされたのかと思った朗が頬を膨らませる。しかし、すぐに違うと気がついた。それは、読真が白い鳥に向かって、こう言ったから。
「でも、それが個性なんだ」
白い鳥が読真を見上げた。
「俺は数学が苦手。朗は社会科が苦手。でも、朗は手先が器用で、図工が得意なんだよな」
「え……うん」
突然褒められて目を丸くする朗に、
「俺は国語が得意」
と読真が続ける。
「そして俺は、数学は苦手だけど人並みの成績は残したいから、毎日勉強をしなきゃと思うししたいとも思う」
「僕は、勉強は嫌いだよ。部屋にこもって勉強するより、外に出て、鳥や昆虫を観察したい。山を歩いたり、海の水の冷たさを感じたりしたい。雨や風も好きだから、嵐の日には外に飛び出したくなっちゃう」
「ああ、あったよな。暴風雨だっていうのに外に出て、どろどろの姿で帰ってきたこと。母さんがうんざりしていたな。でも、まあ……それも、個性って言えるんだと思う」
「うん」
「だからさ、合わない人を排除したり、合わないからって逃げ出すんじゃなくて、お互いに理解するように努力すればいいんじゃないかな」
最後の言葉を、読真は白い鳥の目を見つめて言った。
「君だって、みんなのことが嫌いなわけじゃない。そうだよね?」
白い鳥がこくりとうなずく。
「でも、みんなは僕のことが嫌いなんだんだ……」
「みんな、じゃないだろ」
そこへ、
「やあ、君。新入りかい?」
美しい純白の毛並みの鳥たちが、湖の上を滑るように泳いできた。白い鳥は、驚き、またうろたえて隠れようとする。
「どうしたんだい?」
尋ねられ、
「だって……君たち、綺麗なんだもの。僕は、醜いから……」
と白い鳥が答えた。それに対して、彼らは首を傾げると、
「何を言っているんだい? 君と僕たちは仲間じゃないか」
そう言って白い翼を広げる。
「仲間……?」
白い鳥は首を傾げながら、澄んだ湖の水面をのぞき込んだ。すると、そこには、目の前の鳥たちと同じように美しい姿の自分が映っていたのだ。
「……うそ。これが、僕……?」
「そうだよ」
その問いかけに答えたのは、読真だった。
「君はアヒルじゃない。本当は、白鳥の子だったんだ」
「白鳥……?」
「うん。君は、どういうわけか、卵の時に白鳥の巣に紛れてしまったんだよ。白鳥の雛とアヒルの雛とは毛並みが違うのは当たり前だ」
「僕、アヒルじゃなかったの?」
「うん」
「そうなんだ……」
そう言うと、少し戸惑っているようだったが、仲間たちが優しく迎え入れてくれたこともあって、白い鳥ははにかみながら白鳥の群れへと入って行った。




