―6―
「おい、朗!」
読真に咎められ、朗はびくっと肩をすくめた。
「え、だって……なんで? なんで泣くの?」
「何よ……義姉さんばかり、何よ……!」
アデラは、ついに声を上げて泣きはじめてしまった。
「ビアンカばかりって、どういうこと?」
「そうだよ。ビアンカばかりっていうなら、ビアンカばかりが家事のことを押しつけられていたんじゃないの?」
読真と朗が尋ねると、しゃくり上げながらアデラは語った。
「どうして、義姉さんばかりがあんなに美しいの?」
読真と朗は顔を見合わせる。そして、改めてアデラを見た。
アデラは、お世辞にも美人とは言えない。しかし、一方のビアンカは、姿もその物腰も美しかったと思う。
「確かに、血が繋がっていないんだから似てないのは当たり前だわ。でも、みんな、私たちのことを『似てないね』って言うの。それを聞くたびに、『義姉は綺麗なのにね』って言われているみたいで……」
「そんな。考え過ぎだよ」
「義姉さんはみんなに愛されている。私には母だけよ。だって、私は母さんの実の娘だから。母さんだけは私を愛してくれる。でも、母さんだって、もしかしたら……本当は義姉さんのような娘が良かったのかも」
「そんなわけないじゃん」
「義父さんが亡くなってから、母さんと私は、義姉さんにぼろぼろの服を着せて使用人のようにこき使ってきたわ。私は、あの綺麗な顔が憎らしくって。でも、どんなにみすぼらしい姿をしていても、あの人は……やっぱり、美しいの」
そう言って泣き叫ぶアデラの頭を、朗は黙って撫でてあげている。
「それは、心が綺麗だからなんだよ、きっと」
アデラが顔を上げて読真を見つめた。
「どんなに格好が汚らしくたって、一生懸命に頑張っている姿って綺麗に映るものだと思う。それに、ビアンカは、きっと家族のために頑張っていたんじゃないかな」
「え……家族の、ため?」
「うん。やらされているから、やらないといけないから、じゃなくて」
「家族って、私と母さん? ……どうして?」
「ビアンカを見ていて思ったんだ。俺と朗は、ホレおばさんに言われたから仕方なく掃除をしていた。でも、ビアンカはホレおばさんの役に立ちたくて家事をしていたんだ。ホレおばさんって、会ったばかりの赤の他人だろ? その人のために役に立とうとするぐらいだから、家族のためならもっと頑張ろうとするんじゃないかと思って」
「家族なんて……私たちのこと、そんなふうに思っているとは思えないわ」
「ビアンカは思っていると思うよ。だって、家に帰ったんだろ? あれだけの金貨があれば、家を出て一人で暮らすこともできたろうにさ。家に戻ったってことは、アデラたちをちゃんと家族として見ているからじゃないの?」
「……」
「俺さ、ホレおばさんに言われるまで気づかなかったんだけど……。たぶん、行いの上に思いがくるんじゃないかって思うんだ。俺も朗も、家中の掃除をしたよ。ビアンカと同じぐらい働いたって思っている。でも、その質は、ビアンカよりもずっと低かったんだ。何が足りないのか考えたんだけど、それは、思いだったんだよ。心のこもっていない行いじゃ、きっとダメなんだ。意味がないんだよ」
アデラは、真っ赤に腫らした目元を拭うと、すくっと立ち上がった。そして、
「貸して」
と手を伸ばす。アデラの視線を辿れば、読真の手の中にある羽ぼうきに行き着いた。そこで、読真が羽ぼうきを差し出すと、アデラは無言でそれをつかんだ。
そこからのアデラは、まるで別人のように働いた。さっきまで寝転がっていたベッドの掃除からはじまり、ホレおばさんの寝室の掃除をし、洗濯をし、床磨きをし、庭の草木への水やりもした。兄弟も手伝ったが、そのほとんどをアデラがやってのけたのだ。
「アデラ。なんか、ちょっと、綺麗になったね」
朗が言うと、
「からかわないでちょうだい。そんなお世辞、子供が言うことじゃないわ」
と、わずかに頬を赤く染めながら、アデラはそっぽを向いた。
「え、お世辞? だって、さっきまでと違う。ねえ、アニキ。アデラ、綺麗になったよね?」
「うん……」
朗の言葉に、せっせと働き続けるアデラを見つめながら、読真はこくりとうなずく。
この時、兄弟の目には、アデラがビアンカにも劣らないほどの美しい娘に映っていた。
その日の夕食はアデラが担当した。彼女が自発的に行動したのだ。
「まあまあだね」
スープを一口啜ったホレおばさんが、そう言ってパンに手を伸ばした。
「でも、慣れていないにしては上出来だよ」
「……いつも、義姉さん任せだったから」
「働いてみて、どうだった?」
「たいへんだったわ。こんなにたいへんなこと、義姉さんは毎日してくれていたのね。文句も言わずに」
「あんたには、できそうかい?」
「無理、だと思うわ。……一人じゃ」
「なら大丈夫だね。あんたにはビアンカがいるんだから」
「でも、義姉さんは、私と何かを一緒にやるなんてしたくないんじゃないかしら」
「そんなことはないだろ。姉妹じゃないか。家族なんだろ?」
「……そうね」
「なら、帰ったら、まずは何をするんだい?」
ホレおばさんが尋ねると、アデラはぽろぽろと大粒の涙を流し、
「……義姉さんに、謝るわ……っ」
と答えた。
「いい答えだね」
ホレおばさんが満足そうにうなずく。すると、アデラの流した涙が、消えることなくアデラの体中に張りついた。胸にも腹にも足にも。どういうわけか、背中やお尻にまで大粒の涙が張りついて、消えない。あますとこなく張りついたかと思うと、それらが透き通るような結晶へと変わったのだ。最初は、柔らかくて形を保っていなかったのが、しっかりとした高度を持ったものへと変わっていく。透明なそれは、ガラス玉よりも硬そうで、きらきらと虹色に光輝いているようだった。
「……ダイヤモンドだ……」
読真が口にすると、ホレおばさんはまたも満足そうにうなずいた。
「それは、アデラの心を結晶化したものだよ。随分といいものを持っていたんじゃないか」
「これが、私の心……?」
「外はまだ明るいね。今から帰るかい?」
「……はい!」
涙を拭うと、アデラはホレおばさんに抱きついてお礼の言葉を口にした。その後、読真と朗にも抱きつき、握手をする。そして、屈託のない笑顔で手を振ると、ホレおばさんの家を出て行ったのだった。
「すごい変わりよう……」
「だが、もともとアデラが持っていたものさ」
アデラが出て行った扉を見つめて唖然としている朗に、ホレおばさんが告げる。
「ビアンカに嫉妬するあまり、アデラ自身が見失っていたものだよ。その心が、アデラを醜く変えていたのさ。それに、お前たちは気づかせてやることができた」
読真と朗は、思わず背筋を伸ばしてホレおばさんに向き直った。
「トーマ。さっき言ったこと、忘れるんじゃないよ」
「……はい!」
「ローはどうだい? さっき、トーマが言ったことを聞いていただろ?」
「えっと……」
「もう忘れたのかい? 行いの上に……」
「あ! 思いだ! 行いの上に思いがくるんだよね? 行いも大事だけど、行いそのものより、何を思ってそれをしたのかが大事ってことでしょ?」
「その通りだよ」
この時、ホレおばさんは、兄弟がここにきてから一番の笑顔を見せた。
「さあ、トーマ、ロー。進みなさい」
ホレおばさんが家の扉を指し示す。
「え、帰れってこと? でも、外に出たって、どこに向かったらいいかわからないよ」
不安げな朗に、ホレおばさんは首を振った。
「あんたたちが向かうのは、次の『物語』だよ。この扉を抜ければ、そこに行けるはずだからね」
「……次? やっぱり、まだ帰れないんだね」
がくりと項垂れる朗の頭を、ホレおばさんがぽんぽんと撫でる。それを横目に、
「行くぞ」
読真が朗をうながして扉に手をかけた。振り返ると、ホレおばさんがにこにこと笑っている。そんなホレおばさんの笑顔に見送られるように、読真と朗は次の世界へと旅立って行った。




