―5―
ビアンカが帰って行った日の夕方、またも来客があった。
ビアンカよりも少し幼く見える女の子は、読真と同じ年頃かもしれない。
「アデラよ」
彼女は、ホレおばさんの家に上がり込むなり、ぶっきらぼうに言い放った。
「さっきまで義姉さんがここにいたんでしょ? 私も置いてちょうだい」
「お前さんは何でお困りだい?」
「私、金貨が欲しいの。義姉さんに与えたのと同じぐらい、いえ、それ以上の金貨をちょうだい」
「へえ、金貨ねえ。それが欲しくてここまできたのかい」
「そうよ。金貨を持って行かなけりゃ、母さんに家に入れてもらえないわ」
「そりゃあ、困ったねえ。いいよ。お前さんがビアンカと同じぐらいにやってくれるなら、金貨をあげようじゃないか」
そう言うと、ホレおばさんはアデラに羽ぼうきを渡した。
「それで家中を掃除しておくれ」
しかしアデラは、渡されたばかりの羽ぼうきをぽいっと放り出すと、
「嫌よ。どうして私が掃除なんかしなくちゃいけないの? そんなことなら義姉さんを呼んでやらせてよ」
と言うと、誰も勧めていないのにも関わらず食卓にどかっと着くなり、
「夕飯はまだ? 私、ここまで歩き続けで、もうお腹がぺこぺこなの。早く支度をしてちょうだい」
と言う始末。
「ちょっと、あんた……」
見かねて口を挟んだ読真を見て、
「ふうん」
ひとつ息を吐いたホレおばさんは、
「あんたたちの仕事が決まったよ」
にやりと口の端を持ち上げて言った。
「このお嬢ちゃんに、ビアンカと同じことをさせてごらん」
「え! いや、それは……」
「チャンスが欲しいんだろう? それができなきゃ、三人ともオイル塗れになるだけだよ」
読真と朗は、否応もなく、これには黙ってうなずくしかなかった。
「アデラ、いい加減に働きなよ!」
アデラがホレおばさんの家にきてから二日が経つが、彼女は働くどころか、いつまでも与えられた寝床でごろごろと寝てばかりいた。
「ほら、これを持って!」
読真が羽ぼうきを差し出す。しかし、アデラはそれを払いのけた。
「嫌よ、掃除なんて」
「アデラは、何しにここにきたんだよ?」
「だから言ったじゃない。金貨をもらうためよ」
「だから、どうやったら金貨がもらえると思ってるの?」
「どうって、ここにいたらもらえるんじゃないの? 義姉さんは、ホレおばさんの家に何日かいて、お土産に金貨をもらったって言っていたもの」
「そんなわけないだろ。ビアンカはただいたんじゃなくて、働いていたんだよ。懸命にね。ホレおばさんのために」
「あら、そんなことであんなにたくさんの金貨をくれるなんて、あの人って見かけに寄らずお金持ちなのね」
「え? いや、そうじゃなくて……」
「もしかして、お金をばらまくのが趣味なのかしら? 一人暮らしのお年寄りだものね。私、側にいてあげるだけでも役に立っているんじゃない?」
「お年寄りって、ホレおばさんはそんなに年取ってないよ。それに、お金をばらまくのが趣味の人なんかいない」
「そう? 私はいると思うけど」
「少なくともホレおばさんは違うよ。ホレおばさんがビアンカに金貨をあげたのは、ビアンカがそれだけの働きをしたからなんだ」
「へえ、そうなの」
気のない返事をしたあと、再びごろんと寝転がったアデラはそのまま寝息を立て始めた。
「やっぱり無理だよ! アデラにビアンカと同じことをさせるなんて!」
寝ているアデラの横で、朗が喚き散らす。読真も頭を抱えて項垂れた。
「アデラに比べたらさ、僕たちの方がうまくできると思う。ねえ、僕たちが代わりにやってもいいか、ホレおばさんに聞いてみようよ」
「……お前、掃除はもう嫌なんじゃなかったのか?」
「嫌だよ。でも、一生オイル塗れはもっと嫌だ」
「でも、ホレおばさんはアデラにさせなさいって言っていた。それって、ここでだけの話なのかな」
「どういうこと?」
「いや……。三人に罰が必要なら、三人に掃除や洗濯や、家のことを全部させたっていいと思う。でも、アデラにっていうのは、何か意味があるんじゃないのかなって思ってさ」
「僕たちがやってもだめなの? アデラにさせないと意味がないの?」
「……うん。たぶん」
「なら、やらせなきゃ! 寝てる場合じゃないよね」
朗は、両手でシーツをつかむと、ぐっと力一杯に引いた。すると、その上で寝ていたアデラは、ころころとベッドの下に落とされてしまった。どしんという音が上がり、痛みよりも驚きの方が勝ったアデラは、目を見開いて飛び起きる。
「なに? なんなの?」
きょろきょろと辺りを見回して異常を確認する。そこで、朗が握り締めているシーツに目を留めた。
「ちょっと、あんた! いきなり何するのよ!」
「何、じゃないよ! 早く働いてよ。君が働いてくれないと、僕たちも、君もオイル塗れにされちゃうんだよ」
「オイル塗れ? 何よ、それ」
「一生取れないオイルを塗られちゃうんだ」
「はあ? 何言っているの? そんなものあるわけないじゃない」
「それがあるんだよ。あるわけないって言ったら、君の方があるわけないよ。ここでごろごろしているだけで金貨がもらえるなんてさ。家に置いてもらって、ご飯まで出してもらえるなんて、もうホテルじゃん。普通、宿賃を払わないといけないんだよ。君の言っていることの方がありえないよ」
一瞬、アデラが口籠った。
――朗のヤツ、いつもは屁理屈ばかりなのにな。……朗の言葉が効いているのか?
読真がそう思ったのも束の間。
「だから、私はいるだけで役に立っているのよ。寂しいお年寄りの話し相手になってあげているんだもの」
アデラの開き直ったような発言には、読真も呆れてしまった。
――話し相手になんか全然なれてないよ。ホレおばさんが何を聞いたって、まともに答えられてなかったじゃないか。
ホレおばさんは、時間があると常に読書をして知識を蓄えている。ビアンカにはそれほど知識があるわけではなかったが、代わりにユーモアのセンスを持っていた。ビアンカが滞在中は、食事の時などにホレおばさんと楽しそうに話していたことが思い出される。けれども、読真から見て、アデラにはビアンカほどの知識もなく、またユーモアのセンスもなさそうだった。
「話し相手になんか、全然なれてなかったよ!」
きっぱりと朗に言われ、アデラは言葉を詰まらせた。
「話し相手なら、ビアンカと話している方が、ホレおばさんはよっぽど楽しそうだったよ」
アデラの顔が怒りに歪む。
「おい、朗。もういいだろ」
見かねて止めに入ろうとした読真だったが、一足遅く、
「ビアンカとずっと一緒にいたのに。君は、ビアンカの何を見ていたの?」
と、朗がアデラに詰め寄った。すると、アデラからはさっきまでの怒りが消え、今度は悲しみに顔を歪めた。その瞳からは、大粒の涙がぽたりと落ちる。