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「ホレおばさん、次は何をしたらいい?」
「おや、寝床の掃除は終わったのかい?」
シーツを干し終えた読真と朗が二人で尋ねると、ホレおばさんは読んでいた本から顔を上げた。
「寝室の掃除はビアンカがしているよ。俺たちは、その間にシーツを洗っておいたんだ」
「そうかい。なら、寝床に戻ってビアンカを手伝ったらどうだい」
「でも、あんな狭い部屋、ビアンカ一人で大丈夫だと思うけど」
そんなことを言う朗の頭を小突きながら、
「分担してやった方が早く終わるでしょ?」
と読真が言った。すると、
「別に急ぐことはないさ。今日終わらなければ明日もあるのだし、ゆっくりやってくれて構わないんだよ」
とホレおばさんが言う。それには、二人とも言葉を失ってしまった。
「あの人、僕たちを帰さないつもりなんだよ」
そうぼやきながら寝室の戸を開けると、ビアンカが床を磨いているところだった。
「……なんか、綺麗になったね」
入った瞬間、清々しい空気を感じる。もともと、それほど汚れていない部屋だったが、さっきよりも確かに綺麗になったと読真は思った。
「ビアンカ、もう帰ろう!」
ビアンカは、手を止めて朗を見つめる。
「あの人、僕たちを帰すつもりがないんだよ」
「え?」
「だって、今日終わらなければ明日やればいいって言ってた。ずっと僕たちを働かせるつもりなんだ!」
「それは、何日でもいて構わないよっていう、ホレおばさんの親切じゃないかしら」
「え! なんでそんなふうにとれるの?」
「私は、もう少しここにいたいわ」
「なんで? こき使われるだけだよ」
「いいのよ。さすがにずっとはいられないけれど、もう少しここにいて、ホレおばさんの役に立ちたいの」
そう言うと、ビアンカは床磨きを続けた。
読真と朗も、ホレおばさんからビアンカを手伝うように指示されている手前、ビアンカを置いて家を出るわけにはいかない。それに、たとえ家を出たとしても、どこに向かえばいいのかわからないのだ。
二人は、やむなく、ビアンカを手伝ってホレおばさんの家の掃除を続けた。
何日か経ったある日、
「ホレおばさん」
朝食のあとで、ビアンカが改まった口調で話す。
「私、そろそろ帰ろうと思います。義母と義妹のことが気になるの」
「やったあ!」
すかさず歓喜の声を上げた朗の口に、読真は朝食のパンを詰め込んだ。
「そうかい。それは寂しくなるねえ」
「ホレおばさん、何日も置いて下さってありがとうございました」
「いやいや。今日まで、ひとつの文句もなくよく働いてくれた。礼を言うのはこっちだよ」
「朝食の後片付けが済んだら、帰りますね」
「そうかい。なら、その間に糸巻き棒を用意しておくとしようかね」
「……え?」
「なんだい? 糸巻き棒だよ。それを失くして困っていたんだろう?」
「……そうだったわ。私ったら、すっかり忘れていたわ」
「おや、忘れていたのかい?」
二人の間に朗らかな笑い声が起こる。
朝食を終え、後片付けも済んだビアンカは、ホレおばさんと兄弟たちに別れを告げると、ホレおばさんの家をあとにした。ホレおばさんからのお土産の金貨を、体中にびっしりとくっつけながら。
「ホレおばさん」
ビアンカが帰ったあと、読真が口を開いた。その顔はどこか誇らしげだ。
「俺たちもそろそろ先に進みたいんだ」
「ううん、帰るんだよ。僕たちを家に帰して!」
読真の横から朗も口を挟む。
「先に進むも家に帰るも、勝手にしたらいいじゃないか。私はお前たちを引き止めたつもりはないよ」
「帰り方がわからないんだ。ホレおばさんなら知っているでしょ?」
「さあ、知らないねえ」
「そんなあ!」
「自分たちでここへきたなら、自分たちで帰れるはずだろ? そんな立派な靴を履いているんだ。お前たちのその足は飾りかい?」
「なら、お土産をちょうだい!」
「お土産?」
「うん! ビアンカに金貨をあげたでしょ? 僕たちにもちょうだいよ。僕たちも今日まで頑張って働いたよ」
「ああ、そうかいそうかい。お土産だね。ちょっと待っておくれ」
そう言うと、ホレおばさんは奥へと引っ込んで行った。その後、すぐに戻ってきたホレおばさんは、両手にバケツを持っている。そのバケツの中には、黒い、どろっとした水が一杯に張られていた。
「もしかして、それ……オイル?」
読真が顔を引きつらせて、ホレおばさんとバケツとを交互に見つめる。
「え、なんで?」
金貨をもらえるものだと思っていた朗は、鳩が豆鉄砲を食らった時のように目をぱちくりとさせてホレおばさんを見た。
「なんで、だって? 心当たりはないのかい?」
「ないよ! あるわけないじゃん!」
自信たっぷりに答える朗に、
「本当に?」
ホレおばさんが、バケツを突きつけながら詰め寄った。
「ないよお! だって、僕たち、ビアンカとおんなじように働いたよ。掃除も洗濯も風呂焚きもちゃんとしたし、ホレおばさんの言う通りにしていたじゃん」
「そうだね。確かに、お前たちはしっかり働いてくれたと思うよ。でも、ビアンカと同じようにというのは違うんじゃないのかね」
「え……?」
「ビアンカとの違いは何なのか、本当にわからないのかい?」
「ビアンカとの違い……?」
「ならヒントをやろうかね。さっき、ビアンカに糸巻き棒を渡そうとした時のことだよ」
「糸巻き棒……?」
「……忘れていたみたいだった」
朗の横から読真が答えた。
「大切な糸巻き棒を失くして困っているって言ってたのに。糸巻き棒のために、ホレおばさんの言うことを聞いて働いていたはずなのに……」
「きっかけはそうだったかもしれない。でも、ビアンカは、糸巻き棒のためだけに働いていたわけじゃなかったのさ」
「……ホレおばさんの、ために? ビアンカ、ホレおばさんの役に立ちたいって言ってたんだ」
「そうかい。その言葉を聞いていたのに、まったく情けないねえ、お前たちは」
バケツを傾けるホレおばさんに、
「待って!」
両手を上げて読真が叫んだ。
「ホレおばさん、俺たちにチャンスを下さい!」
「チャンス?」
「ホレおばさんの言いたいこと、なんとなくだけどわかったと思う。俺たち、ビアンカを手伝うように言われていたのに、手伝うどころか邪魔をしていたかもしれない。それに、今、気づきました」
「それで?」
「もう少し、ここで働かせて下さい!」
「ええっ?」
朗が不満の声を上げているが、無視して、読真はホレおばさんに頭を下げた。
「ふうん。いい心構えだね。チャンスが欲しいのは、兄の方だけかい? そっちのおチビさんはいらないのかい?」
「朗、お前もお願いしろ」
読真に迫られ、ホレおばさんにはバケツを突きつけられ、
「……働かせて、下さい……」
朗は、泣く泣く頭を下げてお願いしたのだった。




