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「もしかして、あれじゃないかしら」
林檎の木と別れてからほどなく、ビアンカが何かを見つけたようだ。読真と朗はビアンカが指差す先を見る。そこには、一軒の小さな家が建っていた。
「もしかして……」
朗がつぶやく。
「この状況って、『ヘンゼルとグレーテル』?」
「いや、違うだろ」
読真がすかさず突っ込んだ。
「あの家のどこがお菓子の家に見えるんだ?」
「じゃあ、なんなの?」
「……」
「なんだよ、アニキだってわからないんじゃん」
「今、考えているんだろ!」
「とりあえず、あの家に行ってみましょう。パンや林檎の木が、困ったらおばさんを訪ねてごらんって言ってたでしょ? あの家にいるかもしれないわ」
喧嘩する兄弟を横目に、ビアンカは先に立って小さな家へと向かう。兄弟もそのあとを追った。
「こんにちは」
扉の前でビアンカが声をかけると、ぎぎぎという、木の軋む音がして扉が開かれる。
「おや、お客さんとは珍しい」
中から出てきたのは、老女というにはまだ若さの残る女性だった。
「こんなところまでやってくるなんて、いったいどうしたんだね?」
「私、糸巻き棒を落としてしまって困っているんです。ここへくる途中、パンや林檎の木に、困ったらおばさんを訪ねるようにと言われて……。あなたが、パンや林檎の木が話していたおばさんですか?」
「ああ、それはきっと私のことだね。この辺じゃ、私はホレおばさんと呼ばれているんだよ」
「ホレおばさん……あ! 思い出した!」
ホレおばさんとビアンカの会話の横で、読真は朗に耳打ちする。
「これもグリム童話だ」
「どんな話なの?」
「孝行者にはご褒美を、怠け者には罰を……みたいな話だったと思う。とにかく、ここではホレおばさんの言うことを聞くんだ。じゃないと、きっと罰を与えられる」
「え、罰? 嫌だよ、そんなの」
「だから、ちゃんと働くんだよ」
「働くって、何するの?」
「トーマ、ロー? 何を話しているの?」
こそこそと話し合っている二人を見て、ビアンカが首を傾げている。
「ホレおばさんが中に入りなさいって。せっかくだから、入れてもらいましょう」
そう言うと、ビアンカはホレおばさんの家に入って行った。読真と朗もそれに従う。
「お前さんの探している糸巻き棒だがね、残念だけど私は知らないよ。でも、使っていない糸巻き棒ならあるから、お前さんが私を手伝ってくれたらそれをあげてもいいよ」
「まあ! ぜひお手伝いさせて下さい!」
すると、ビアンカはホレおばさんから羽ぼうきを渡された。それを使って、まずはベッドを綺麗にするよう指示される。
「ビアンカ一人じゃたいへんだろう。お前たちも手伝っておやり」
ホレおばさんが読真と朗に目配せする。
「えー……」
不満の声を漏らす朗の口を押さえつつ、
「わかりました」
と読真が返事をした。その返答に満足したのか、ホレおばさんは椅子に腰かけると読みかけの本を取り出して読み出したのだった。
ホレおばさんの寝室に入るなり、朗はベッドにお尻から飛び乗る。その瞬間、
「……いったあ!」
と、お尻を押さえて仰け反った。
「何、このベッド、硬い!」
シーツを外して見ると、木を削って作られたようなベッドが顔を出す。
「よくこんなのに寝られるね!」
「柔らか過ぎるのは体によくないらしいぞ」
「これは硬過ぎだって!」
「でも、掃除はしやすそうじゃないか」
「また掃除しないといけないの? 『シンデレラ』の世界でもやったのに」
「文句を言うなよ。『シンデレラ』よりもずっと小さな家なんだから、あれよりは楽だろ」
「もう掃除は嫌だよ」
そんな兄弟の会話をよそに、ビアンカはベッドに向かうとシーツを外して羽ぼうきを振るう。それから、寝室にある棚もすべて羽ぼうきで綺麗にすると、外したシーツを持って寝室を出て行こうとした。
「待って、ビアンカ」
読真の声にビアンカは足を止める。
「それ、洗濯するの?」
「ええ。ついでに、棚や床を拭く雑巾を借りてくるつもりよ」
「なら、洗濯は俺たちがやるよ。あと、雑巾も持ってくる」
「え? 別にいいのよ。私一人でも」
「いや、やるよ」
「そう? なら、お願いするわ」
「ほら、行くぞ、朗」
読真が朗の腕を引く。
「嫌だよ!」
その手を朗は振り解いた。
「僕は、もう掃除は嫌だ!」
「お前な……」
「嫌だ! やるならアニキがやればいいだろ!」
「お前、ビアンカに助けてもらったんだろ? 少しぐらい手伝ったっていいじゃないか」
「もう、掃除は嫌なの!」
「いいわ。ロー、休んでて。トーマも。私は、掃除も洗濯も好きだから、一人でも全然苦にならないから」
そう言ってビアンカは笑うが、
「そういうわけにはいかないんだよ」
読真はぐっと朗の腕をつかむと、力任せに寝室の外へと連れ出した。
「離せよ! クソアニキ!」
じたばたと暴れる朗を家の外の水場まで連れて行く。
「離せって言ってるだろ!」
「いい加減にしろよ!」
朗の腕を解放した読真は、朗の叫び声にも勝る大声で朗を制した。
「だって……なんで掃除なんかしなきゃいけないんだよ!」
「俺がさっき言ったこと忘れたのか?」
「……さっき?」
「ここでは、ホレおばさんの言うことを聞いてしっかり働かないと、たいへんなことになるんだよ」
「たいへんなこと?」
「物語では、怠け者の娘が真っ黒なオイルを塗られていた」
「なんだよ、それがたいへんなこと? そんなの洗い流せばいいじゃん」
「とれないんだよ。その娘は、一生体中に真っ黒なオイルがついたままだったらしい」
「え……そんなの、嫌だよ」
「だろ? だから、ホレおばさんの前ではしっかり働くんだよ。それに、怠け者には罰があるけど、働き者にはご褒美があるって言っただろ? 孝行娘は、帰り際にホレおばさんからたくさんの金貨をもらったんだ」
「嘘だあ! あのおばさん、そんなお金持ちには見えないよ。こんな小さな家に住んでるぐらいだし」
「童話ってのは、見かけで判断した奴が、だいたい損をするようにできているんだよ」
「じゃあ、僕たちも金貨がもらえる?」
「かもな。そしたら、これからの旅が楽になるだろ」
「ホレおばさんって、なんでも願いを叶えてくえるのかな」
「さあ。それはわからないけど」
「もし叶えてくれるなら、どうやったら家に帰れるか聞いてみようよ。もう、僕、こんな世界はうんざりだよ。家に帰りたい!」
「そうだな。知っているかわからないけど、聞いてみよう。だから、とにかく、ホレおばさんの前では働き者でいるんだぞ」
そう話がまとまると、二人はさっきまでの喧嘩が嘘のように、協力し合ってシーツを洗い上げた。




