―2―
「やあ、君たち」
しばらく行くと、見事な林檎を実らせた木が話しかけてきた。
「ちょっと頼みを聞いてもらえないかい?」
「何かしら」
「物語」の世界では動物が話すことはわかったが、パンや植物までが口を利くのかと、朗はしゃべる木をまじまじと見つめた。その隣で、ビアンカはなんでもないことのように、普通に林檎の木と会話をしている。
「私の林檎たちは実に見事だろう?」
「ええ、素晴らしいわ。まるでルビーのように真っ赤ね」
「そうだろう、そうだろう」
「とても美味しそうな甘い香りが漂ってくるわ」
「そうなんだ。今がちょうど食べ頃なんだよ」
「それは、残念ね。ここには食べにくる鳥や動物たちが見えないもの」
「そうなんだ。そこで君たち、頼むよ。私の体をちょっと揺すってくれないかい」
「え? あなたの体を?」
「そうさ。揺すって、実を落としてもらいたいんだ。もう、どうにも頭が重くってねえ」
そう言われ、ビアンカと朗は二人がかりで林檎の木を揺すってあげた。ごろごろと、いくつかの林檎が地面に落ちてくる。そのひとつひとつが、きらきらとした笑顔を湛えているように光り輝いていた。
と、その時、どしんと、物凄い音がした。地面が揺れた気もする。それから、わずかに呻き声も聞こえた。
「え……なにっ?」
びくっと肩をすくめる朗。
「え、人?」
ビアンカの声に、落ちてきたものをじっと見つめる。そこで朗は、
「なあんだ」
と肩の力を抜いた。
「アニキじゃん。何やってるの?」
尋ねた視線の先では、両手足が使えないのか、じたばたともがいている読真の姿があった。
「なんか、べたべたしたもので手足を縛られているみたいなんだ!」
そこで、朗とビアンカは、読真の手足を片方ずつ持つと左右に引き離す。べりべりべりという音を奏でながら、読真の手足はようやく自由になった。
「……はあ、助かった」
そうつぶやいた読真に、ビアンカが手を差し伸べる。
「大丈夫?」
その手を取りながら、読真は立ち上がった。
「……うん。ありがとう」
「あなた、ローのお兄さん?」
「うん、一応ね」
「一応?」
「あ、俺は読真って言うんだ」
「私はビアンカよ」
「ここ、どこかわかる?」
「ごめんなさい。私にもよくわからないわ」
「井戸の中らしいよ」
朗が口を挟んだ。
「はあ? 井戸だって?」
呆れたように朗を見る読真に、
「だって、ビアンカがそう言ってたんだもん!」
と朗が唇を尖らせて言った。
「ええ、そうなの。私は、落とした糸巻き棒を拾おうと井戸に入ったの。そしたら、こんな世界が広がっていたの」
読真は、顎に手を当てる。
「……きっと、信じてはもらえないでしょうね」
そう言ってうつむくビアンカに、読真は首を振って答えた。
「信じるよ」
「え! 信じるの?」
朗が目を丸くして驚いている。
「これまでのことを思い出せよ。この本の世界では、どんなことだってありえることだろ」
「……まあ、確かに、そうかも」
そんな二人の会話を首を傾げて見つめるビアンカを横目に、読真は、
「ただ、井戸が出てくるような童話があったかなと思って、考えていたんだ」
と朗に告げた。
「井戸っていったら……あ、あれだ!」
「なんだよ?」
「えっと……貞子、だっけ?」
「お前、それ観たことないじゃん。怖がっててさ」
「あんなの、観る必要ないもん。でも、なんとなくぐらいは知ってるよ。井戸が出てくるんだよね?」
「いや、だから、童話だって言ってるだろ。それじゃホラーじゃないか」
そんな言い合いをしていると、
「……おばさんの家は、もうすぐそこだよ」
と、林檎の木が歌うように教えてくれた。けれども、おばさんの前の部分がやっぱり聞き取れない。
兄弟とビアンカは、林檎の木に手を振ると先を進んで行った。