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お花畑の中を女の子が一人歩いてきた。
汚れたぼろぼろの衣装は、どことなくエラを思わせる。年頃もエラと同じぐらいに見えた。
そんな女の子が、穏やかなそよ風に吹かれながら、何かを探して目の前を通り抜けようとしている。このチャンスを逃がしてはいけないと、そう思った。
「助けて!」
たくさんの声が、一斉に女の子に呼びかける。
「助けて! そこの人、お願い、行かないで!」
女の子は、びっくりしたように立ち止まってこちらを向いた。見ると、そこには大きな釜戸があって、ぎゅうぎゅうにパンが詰められていたのだ。
そのひとつひとつが、「助けて!」「助けて!」と、女の子に助けを求めて叫んでいる。泣いているパンもあった。けれども、釜戸の熱で涙もすぐに乾いて、からからに顔に張りついてしまっている。また、今でさえぎゅうぎゅうなのに、釜戸の脇に置かれたベルトコンベアが作動していて、さらにパンを釜戸まで運んでいるようだ。
「あら、どうしたの?」
女の子が尋ねると、
「ここから出して! もう焼けているのに、これじゃあ焦げちゃうよ!」
釜戸の中のパンが、口々に叫んで女の子に助けを求めていた。そこで、女の子は、着ていたエプロンを脱ぐと、釜戸の中のパンたちを出してあげてエプロンの上に寝かせてやる。
「ありがとう!」
「ありがとう!」
「助かったよ! ありがとう!」
というパンたちのお礼の言葉を聞きながら、女の子はにこりと笑うと立ち去ろうとした。その時、
「助けて!」
またも助けを呼ぶ声に立ち止まる。
「これを止めて! お願い!」
見れば、ベルトコンベアがまだ動いている。しかも、ベルトコンベアが今にも釜戸に運ぼうとしているのは、パンではなかった。
「ねえ! お願いっ!」
女の子は、急いで近くにあるレバーを引いた。すると、ガッコンという音を立てて、ベルトコンベアが停止する。
「あっちぃ!」
ベルトコンベアが停止する時の振動で、熱した釜戸に腕が触れてしまったらしい。
「大丈夫?」
女の子が心配そうにこちらをのぞき込んでいる。
「うん。ありがと」
ひりひりする腕を見つめながら、朗はとりあえず女の子にお礼を言った。
「ねえ、君。ここから降ろしてくれない? なんか、べたべたするものが塗ってあるみたいで、降りられないんだ」
朗がそう言ってお願いすると、女の子は嫌な顔ひとつせずに朗をベルトコンベアから降りられるよう手助けをしてくれた。
「はあ、助かったよ」
朗は、ようやく解放された手で火傷を負った腕を押さえる。
「僕は、朗。君は?」
「ビアンカ」
「ここで何をしてるの?」
「私、大切な糸巻き棒を落としてしまったの」
「この辺に落としたの?」
「いえ、井戸の中に落としてしまったのよ」
「へ? 井戸って、どこの井戸?」
「おうちの近くの井戸よ」
「……ビアンカの家は、この辺なの?」
「私、井戸の中に入ったのよ。そしたら、このお花畑に出てしまったの」
何を言っているのかちんぷんかんぷんだったが、ビアンカは少しも嘘を言っている雰囲気ではなかった。
「僕も糸巻き棒を探してあげるよ」
よくわからないことは考えても仕方がないと、朗はビアンカがここに辿り着いた経緯については考えることをやめた。そして、そう提案する。
「助けてくれたから、お礼だよ」
「本当に? 嬉しいわ」
「それに、僕も……一応、探し物があるし」
「ローも何か落としたの?」
「落としたって言うか……」
「……?」
「ま、別にいいよ! さあ、行こう!」
そう言うと、朗は先頭に立って行こうとした。その後ろで、こんがりと焼けたパンが叫んでいる。
「何か困ったら、……おばさんの家に行くといいよ!」
何おばさんと言ったのかは聞き取れなかったが、朗とビアンカはパンたちに手を振ると、お花畑の中を進んで行った。




