―5―
「さあ。私たちも夕食にしましょう」
ハンネローレは、広いダイニングルームに置かれた大きくて長い食卓に兄弟を着かせると、豪勢な夕食をふるまった。
「美味しい!」
口一杯に肉を頬張りながら叫ぶ朗を、
「少し静かに食べろよ。行儀悪いぞ」
と嗜める読真。けれども、その読真の手は休むことなく、しきりに目の前の料理をつついては口に運んでいる。
「気に入ってくれたようでよかったわ」
にこにこと微笑みながら、ハンネローレも料理を口に運んだ。
「ハンネさんの家って、エラの家の近くに建ってたんだね! すごい近所じゃん」
「ハンネローレさん、だろ。人の名前を勝手に略すなよ」
兄弟のやりとりを聞きながら、
「いいのよ。私の名前は少し言いづらいかもしれないわね。好きに呼んでちょうだい」
とハンネローレが笑う。
「実はね、私、ずっとエラを探していたのよ。恩人でもある友人に、なんとか恩返しがしたくてね。数年前にエラを見つけたと思ったら、びっくりしたわ。まさか、あんな暮らしぶりをさせられていただなんて」
「え、ハンネさん、エラのこと知ってたの? さっきは知らないみたいだったのに」
「知っていたわよ。でも、知らないことにしておいた方がいいかと思って黙っていたの」
「どうして?」
「頼りたくなってしまうでしょ? 自分の母親に借りのある、しかもお金持ちの友人が現れたら。誰だって頼りたくなってしまうわ」
「頼っちゃだめなの?」
「まずは、自分で考えて道を開かないといけないと思うのよ。頼るのは、自分にできることをすべてやってみたあとでね。それこそが、あの子のお母様の考えでもあるから」
「エラのお母さんの?」
「ええ。私が、どうにも困って借金をした時に、あの子のお母様が……私の親友が言ったの。自分には、借金を全額返済させてあげることもできるし、それ以上の額を出して支援してあげることもできる。でも、それはあなたのためにならないと思う。だから、今のあなたが人並みの暮らしを送れるように、最低必要な金額を貸してあげる。利息はとらないし、無期限でいいから、そこからまずはやり直してみて。そして、返せるようになったら返してくれればいいから……ってね。それで、親友に借りたお金を元手にこつこつ働いて、お金が溜まってきたから事業を起こしたの。それが大成功したのよ」
「へえ! 才能があったんだね」
「そうかもしれないわね。でも、それに気づかせてくれたのは、親友の言葉よ。あの時、親友が借金をすべて肩代わりしてくれたりしたら、私は苦労することもなく、甘えた人生を送っていたかもしれない」
「そっか。ハンネさんは、その恩返しでエラのことを見守ってあげてるんだね」
ハンネローレは、おほほほと、照れたように笑った。
「でも、エラは大丈夫だよ」
読真の声に、二人は振り向く。
「エラは、全然甘えてないよ。誰よりも頑張ってる。……だろ?」
読真が目配せすると、朗は大きく首を縦に振った。
「天は自ら助くる者を助く」
ハンネローレのつぶやきに、読真と朗は彼女を見つめる。
「助かりたいなら、自分で助かる努力をしなさいということよ。奇跡だけ待っていても時間の無駄。自分で助かる努力を続けているところに奇跡が起こるのよ」
「へえ、いい言葉だねえ」
「お前、本当に意味わかってるのか?」
うんうんとうなずいて聞いている朗を小突いて、読真が口を挟んだ。そんな二人をにこやかに見つめながら、ハンネローレは食後の紅茶に口をつけたのだった。
読真と朗は、しばらくの間ハンネローレの屋敷に滞在することになった。
エラは、無事に舞踏会へ行くことができたらしい。エラが一人で家にいる時を狙って会いに行ったら、興奮気味にその時のことを話してくれたのだ。そして、その数日後、エラはお城に上がることとなった。王子様のお妃様として。
舞踏会に行く当日、ハンネローレはエラにガラスの靴をプレゼントした。
人生初めての舞踏会を楽しんでいたエラだが、義母や義姉たちよりも早くに帰って家のことをやらなければならず、帰り際に急ぎ過ぎて靴を片方失くしてしまったのだ。しかし、失くしたはずのそれを持っていたのが、走って帰る彼女を追いかけていた王子だったのだ。
最後の最後まで、義姉たちは自分こそがガラスの靴の持ち主だと言っていたようだが、当然ながらすぐに見破られてしまったらしい。
「これで、エラは幸せになれるかな」
迎えにきた王子様の白馬に乗せられるエラを遠くから見ながら、朗がハンネローレに尋ねた。
「それは、これからのあの子しだいね。お城にはお城の苦労があるものよ」
「そっか……」
「でも、きっと大丈夫だろ」
読真の言葉に振り向く。
「少ししか一緒にいなかったけど、エラは本当に頑張っていたと思う。俺だったら、あんな状況……耐えられないよ」
「うん。僕も、そう思う」
「だから、大丈夫だ」
「……なんで?」
「神様が、エラのことを放っておくわけがないからさ」
「神様なんて、いないよ」
「お前は信じてないもんな」
「だって、見たことないもん。アニキは見たことあるの?」
「……こういうのは、感じるもんだろ?」
「何それ。わかんないよ」
「うちは、お父さんが仏教徒でお母さんがクリスチャンだろ。二人とも神様を信じている。だから、俺も信じているんだ」
「……わかんない。お父さんとお母さんの子供だからって、二人と同じになることないじゃん。僕は、やっぱり信じられないよ。見たことないからね」
そう言って読真から顔を背けた朗は、そのままエラの方を向いた。白馬に乗せられたエラが、幸せそうな顔で王子様に微笑みかけている。その時、エラの頭上から何かが降ってくるのが見えた。それは、白くて、粒が細かく、きらきらとしていた。それが、エラの頭上にだけ、ずっと降り注がれていたのだ。
「アニキ……」
横にいる読真の袖口を引く。
「ねえ、あれってなんだろ?」
尋ねるが返答がない。
「ねえってば!」
さらに強く引いたら、手をぱしっと叩かれた。
「だから、あれってなんだよ!」
「だから、あれだよ。エラの頭の上。白い……光みたいなのが降っているよ」
「……なんのことだよ」
「え……見えないの?」
「お前、またなんか企んでいるのか?」
そんなやり取りを眺めていたハンネローレが、おほほほと笑うと、
「さあ。そろそろ鍵は見つかったかしら?」
と二人に尋ねた。
「え、鍵?」
首を傾げる朗。ハンネローレのその言葉を聞いてしばらく考えていた読真は、
「もしかして、次の『物語』……。そこに、進む鍵?」
とつぶやく。ハンネローレは、またも、おほほほと笑った。
「ええ。私がこの『物語』の案内人よ」
「案内人?」
「前の『物語』にもいたでしょう? あなたたちが道に迷わないように案内するのが私の役目なの。次の扉はここにあるわ。あとは鍵を見つけるだけ」
「鍵って?」
「言うなれば幸せの鍵、ね。人を幸福にする鍵よ」
「……?」
「この世界で、あなたたちは何を学んだの?」
「それって、教訓ってこと? 童話や寓話には教訓がつきものだけど」
読真の問いかけに、ハンネローレは口をつぐんだ。
――自分で考えろってことか。
そう思った読真は、
「無理して合わせることは幸せじゃない、ってことだと思う」
と答えた。
「エラのお義姉さんたちは、王子様の前で無理に取り繕おうとしていた感じだったから。もしも、そのままお城に上がったって、たぶん幸せにはなれなかったんじゃないかな」
「ふうん。なるほどね」
「なら、エラは?」
朗が声を上げる。
「エラは、すごく頑張ってた。あれって、無理しているって言わない?」
「それは……言わないよ。頑張るってことは、自分を高めることだから。自分を高めることは、自分や周りもよりよくするってことだ。だから、頑張ることは幸せに繋がることだと思う」
「……そっか」
おほほほと、甲高い声が上がる。
「進みなさい」
ハンネローレが手を空にかざすと、目の前に、色とりどりの宝石がたくさん散りばめられた純金の扉が現れた。
「うわあ! 派手だなあ」
声を上げる朗の隣で、声に出さないまでも読真もうなずいてそれを見つめている。
「おほほほ。さあ、扉が開くわよ。その鍵を持って、次の『物語』へと行ってらっしゃい」
ハンネローレのキンキンとした声を背に、読真と朗は、二人同時に煌びやかな扉をくぐったのだった。




