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「なんだよ!」
苛立ちながら詰め寄ると、
「だって、アニキ……森が……」
朗が、背後の道を指差しながら、目を大きく開けたまま口をぱくぱくさせている。読真も振り返った。そこで、朗と同じように、唖然としてしまった。
通ってきたはずの森が、跡形もなく消えていたのだ。そこにあるのは、広い道と、目の前の屋敷と同じように、大きな庭つきの屋敷がいくつか見えるぐらいだった。
「……どういうこと?」
「……わかんないよ」
「アニキ……お腹空いた」
「俺だって空いてるよ」
「ねえ、この家の人に食べ物もらえないか聞いてみない?」
「ええ?」
「だって、こんなに大きな家だもん。きっと何かくれるって」
そう言うなり、朗は堂々と屋敷の庭へと入って行く。
「おい、朗」
「あ、人だ! 家の人かな」
止める読真の手を振り解き、屋敷の裏手に向かう人のあとを追う。
「あの」
朗は、角を曲がると、躊躇うことなく声をかけた。
「待てって!」
そこに読真もようやく追い着く。
「……だ、誰?」
角を曲がった先には、朗よりも五歳ぐらい年上に見える女の子が木に寄りかかっていた。
「あ……ご、ごめんなさい!」
突然謝る朗を不思議がりながら、読真は女の子を見る。そして、
「……ごめんなさい」
と読真もまた、女の子に謝った。すると女の子は、くすくすと笑いながら目元をぬぐう。真っ赤に腫れた目を隠すように両手で顔を覆いながら、
「私こそ、こんな姿を見せてごめんなさい」
と謝った。
「いえ、俺たちこそ、勝手に入っちゃって……」
「ねえ、君はこの家の人? お手伝いさん?」
「……おい!」
「だって、僕、ほんとにもう限界なんだよ。何か食べないと死んじゃう」
「お腹が空いているの?」
読真と朗のやり取りを見ていた女の子が、少し心配そうに腰を屈めて兄弟を見つめる。
「たいしたものは出せないけれど、よかったら上がって行ってちょうだい」
そう言って勝手口へと向かおうとする女の子。その背後には、女の子がさっきまで寄りかかって泣いていた木が立っていた。
「もしかして、これ……ハシバミの木?」
読真が尋ねると、
「ええ、そうよ。少し前にお父様から頂いたの。お母様のお墓にお供えするものが欲しくて」
女の子はそう答えて、足元の粗末な墓に跪いた。
「てことは、君がシンデレラ?」
指を差しながら声高らかに言う朗。その途端、女の子はうつむき、さっと表情を曇らせてしまった。けれども、すぐに元に戻り、
「そう。私のこと、知っていたのね。そうよ。みんな、私のことをそう呼ぶの。あなたたちも呼んでくれて構わないわよ」
と言うと、こちらを振り向くこともなく、すたすたと勝手口から家の中に入って行ってしまった。
首を傾げる朗に、
「お前なあ。あの人に謝ってこいよ」
読真が渋い顔で詰め寄る。
「え、なんで?」
「お前、シンデレラって名前だと思ってるのか?」
「……違うの?」
「灰かぶりって意味だよ」
「え……?」
「グリム童話では『シンデレラ』、シャルル・ペロー版では『サンドリヨン』って言うけど、どっちも灰にまみれているっていう意味なんだ。あれは、意地悪な継母や義姉たちが、あの人を蔑んでつけたあだ名なんだよ」
「そ、そんなの……僕、知らないもん」
「『シンデレラ』ぐらい読んでおけよ。小学校の図書室にだってあるだろ」
「授業以外で図書室になんか行かないよ!」
「もう! いいから謝ってこい! じゃないと食べ物もらえないぞ」
その時、ちょうどよく朗のお腹の虫が鳴った。
「ほら。俺も行くから」
読真に促されながら、朗は勝手口の扉に手をかける。中に入ると、女の子は台所で細々と動き回っていた。
「あ、あなたたち。ちょっと待っていてね。すぐに用意するから」
そう言うと、女の子は、本当にすぐに食卓に料理を並べてくれた。
「朝の残り物よ。これしかなくてごめんなさい」
女の子が出してくれたのは、皿の三分の一ぐらいまでに注がれたスープと、少しばかりの野菜や果物、そして一切れのパンばかりだった。
「今はこんなものしかないの。あとはチーズがひとかけらあるけれど、これは私の小さなお友達の分なのよ」
「……ありがとう」
「よければ紹介しましょうか?」
「近くにいるの?」
「ええ。私の部屋で一緒に暮らしているわ」
そこで、読真と朗は、それぞれ食器を持つと、女の子に連れられて階段を上った。
「ここよ」
階段を上ってすぐの扉を開けると、わずか三畳ほどの空間があった。
小さな窓があり、そこから白い光が射している。太陽は、もうじき真上に差しかかろうとしていた。木造の壁はひび割れ、窓は閉まっているというのに、どこからか冷たい風が入り込んできている。
「ここって、屋根裏部屋?」
朗が尋ねると、
「そうね。でも、住んでみるとなかなかいいところなのよ」
女の子はそう言って笑った。
「住んでるって、ここに?」
「ええ」
「こんなところ……寒くないの?」
「日が昇っているうちは大丈夫。でも、夜はさすがに寒いわね。だから、夜だけは暖炉の側で、灰を被って眠るのよ」
「ご……ごめん、なさい」
ぎこちない感じで頭を下げる朗を、女の子は小首を傾げて見つめている。
「僕、『シンデレラ』って、君の名前かと思っていたんだ」
「え? 私が、シンデレラって名前だと思っていたの?」
「……うん」
女の子はくすくすと笑い出した。
「シンデレラなんて、子供にそんな名前をつける人がいるかしら」
「……」
「でも、そうなのね。大丈夫よ。私、気にしてないから」
「うん……」
「私の名前はね、エラというの。あなたたちの名前も教えて?」
「僕は、朗だよ」
朗の後ろから、
「俺は読真。俺たち、兄弟なんだ」
と読真も名乗った。




