―1―
「アニキ、アニキ! それでね、カラスに連れられてお城に行ったんだけど、そこにいたのはカイじゃなかったんだ。でも、王子様も王女様もいい人でさ、毛皮のブーツと黄金の馬車をくれたんだよ」
「……お前、ブーツなんか履いてなかったじゃん」
「途中で脱げちゃったんだよ。木靴の下に履いていたからさ」
「へえ」
「それから、森を抜けないといけなくてね、でも途中で夜になっちゃったんだ。そしたら山賊が出てきてさ、もうだめだと思ったよ。でも、山賊の女の子がさ、ゲルダと仲よくなっちゃって、僕たちを逃がしてくれたんだよ。パンとハムもくれたよ。僕もゲルダもお腹ぺこぺこだったから、本当にラッキーだった!」
「ふうん」
「黄金の馬車はとられちゃったけどさ、代わりにトナカイをくれたんだ。しかもね、そのトナカイ、話せるんだよ! それから、なんとかって町に行ってね、そこでカイは雪の女王のところにいるって教えてもらったんだ。雪の女王の庭に着いてからも凄かったよ。雪の女王の家来たちが襲ってきたんだ。それを、ゲルダが全部倒しちゃったんだよ! ゲルダの息が、剣と盾を持った天使になってね、襲ってくる雪の結晶と戦ったんだ! 僕、こんな冒険、生まれて初めてだよ!」
「……こっちだって、いろいろあったんだよ」
「へえ、アニキも冒険したの? どんな?」
「言っただろ。神様に会ったんだよ」
「うん。それで?」
「神様に教えられたように進んだ。そしたら、凍らされた村を見つけたんだ。聞いたら、二百年も前に存在した村だったらしい。それが、そのままの姿でそこにあったんだ!」
「え? それなら、あの時に僕も聞いたよ。他には何かないの?」
「村を出ると、一面雪に覆われた山だった。寒さに耐えながら進むと、洞窟があったんだよ。入ってみるとだいぶ奥行きがあって、広かった。道はいくつにも枝分かれしていて、そのうちのひとつを通ってきたんだけど、部屋数もたくさんあった。天井には氷柱がシャンデリアみたいに垂れていたな」
「それってさ、女王の宮殿に入ってからの話でしょ? それなら僕だってわかるよ。僕も同じ道を通ってきたんだからさ。そうじゃなくて、宮殿に入る前に女王の手下に襲われたりしなかったの?」
「……」
「え? 嘘! 普通に宮殿に入れたの? なら、アニキはたいした冒険してないんじゃん」
「……うるさいぞ。アニキって呼ぶなって言ってるだろ!」
崩れる氷の宮殿から脱出したあと、読真と朗の兄弟は、さっきまでの寒さが嘘のように暖かいところに出た。
暑過ぎず寒過ぎず、ぽかぽかとしたちょうどよい気候。周囲にはたくさんの緑が生い茂っている。小鳥のさえずりが耳に心地よい。それは、どこかの森の中のようだった。
……ぱきっと、音がした。
朗が立ち止まって足元を見る。小枝を踏んだのかと思ったのだ。
「違う。あれだ」
読真の視線を追って、朗もそちらを見る。そこでは、馬を引いた立派な姿の男が、木の枝を折っているところだった。
「木の枝なんか折って、どうするんだろ?」
「見ろ。馬の背中……」
「あ……あのネックレス、大きなガラスがついている」
「ガラス、じゃない。石だよ」
「石? あんなにきらきらしてるのに?」
「宝石だよ、たぶん。ブレスレットやイヤリングも見える」
「あ、あれ、凄い服だね」
「うわ! あんな派手なドレス、初めて見たよ」
「宝石にドレスに木の枝……? 変な組み合わせだね」
朗の言葉にしばらく考えていた読真が、ひらめいたように口を開いた。
「もしかして、あの木の枝……ハシバミじゃないかな」
「ハシバミ? 何それ?」
「ヘーゼルナッツって知ってるだろ? あれはハシバミの木から採れるんだよ」
「へえ! お父さんが好きなヤツだよね。よく、それ食べてビール飲んでるもん」
「うん。お菓子なんかにも使われてるよ。あれがハシバミだとすると、この世界は、たぶん『シンデレラ』だ」
「え、『シンデレラ』?」
朗が声を上げる。
「『シンデレラ』なら知ってるよ! ディズニーだよね?」
「もともとは違うよ。グリムかペローが原作だ」
「原作がふたつあるの?」
「グリム童話は創作じゃなくて、伝説や本当にあったことをもとに書かれているらしいからな。グリム童話の題材とペローが書こうとしたものが被ったんじゃないか? あ、でも、『シンデレラ』の話は、ペローが先に出版したって話も聞いたことがあるけれど」
「ふうん。なら、あの人は?」
「お父さんだよ」
「シンデレラの?」
「うん。シンデレラの実のお父さん」
「なんか、表情が暗くない?」
「ハシバミの枝を折るシーンってことは、もう再婚してるんだろうな。あの宝石とドレスは、再婚相手の二人の娘へのお土産だよ」
「じゃあ、あの枝はなんなの?」
「あれは、シンデレラへのお土産だろ」
「え! 何それ! 義理の子供へのお土産が宝石やドレスで、実の子供には枝だけなの?」
「しょうがないよ。シンデレラがそう望んだんだから」
「なんで? 僕ならそんなの絶対に嫌だ!」
「シンデレラにとっては、宝石もドレスも意味がなかったんだよ」
「なんで?」
「ディズニーのシンデレラだってそうだろ? いつも埃まみれで働かされていて、着飾っている暇なんかなかったじゃないか。それに、このハシバミが、これからシンデレラを助けてくれることになるんだよ」
「嘘だあ。木の枝が? どうやって?」
「それは……」
先を行こうと一歩を踏み出した時、がらりと風景が変わった。
目の前には大きな屋敷が建っている。読真と朗は、いつの間にか広い通りに出ていた。
「……は? なんで? さっきまで森の中にいたのに……」
「アニキの話が長いからだよ」
読真が驚いていると、朗がそうつぶやいた。
「何言ってるんだよ。立ち止まって話していたじゃないか。一歩進んだだけで森を抜けるわけがないだろ」
そう言いながら朗を見ると、朗は顎を目一杯上げて空を見上げていた。読真もそれに倣う。森の中からは決して拝めないような、澄み渡る青空がどこまでも続いていた。
「大きな家だね」
視線を戻すと、朗が目の前の屋敷を見つめている。
「森を抜けてすぐにこんな屋敷があるなんて……」
そう言いながら振り返った朗は、
「……ああっ!」
と、素っ頓狂な声を上げた。




