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数年前に書いていた小説です。
プロローグの題名、どこかで聞いたことがあるよーな……(;^_^A
穏やかな秋の午後だった。
さっと吹いた風が、その優しい手で、無造作に置かれた本のページをめくっていく。
室内はとても広くて、背の高い棚がいくつもあった。その棚のすべてに、難しそうな本がぎっしりと並べられている。
部屋には大きな窓があった。
普段は厳粛に閉じられており、厚手のカーテンが下ろされていて、たまに虫干しをする以外には日の目を見ることはない。
学者で本好きの両親が、本が湿気ったり日焼けしたりすることを嫌うためだ。
それなのに、この日は、どういうわけか一部のカーテンが上げられていた。おまけに窓も開かれ、冷たい風が室内を駆け回っている。
そのことに最初に気がついたのは、中学校から帰宅したばかりの天月読真だった。
読真は、家に帰り着くと図書室へと急いだ。
図書室は、庭の隅に建てられた塔の二階と三階にある。
昨日の夜に本を読んでいたのだが、眠気に抗えずに図書室の机に置きっ放しにしてきたことを、今日一日中気にかけていたのだ。
本好きの両親は、本を図書室から持ち出すことを禁止している。読みたければ図書室で読みなさい、と言うのだ。また、本を元の場所に戻さないということも決して許さない。読んだら、必ずその手で元の場所に戻すようにと、小さな頃から何度も言われてきたのだった。
読真は、両親の言いつけを守っている。本は必ず図書室で読み、持ち出さない。窓を開けるのは、空気の入れ替えも兼ねた十分程度にとどめている。そして、読んだら、必ず元の場所にも戻している。
それが、昨日に限って、つい机の上に置きっ放しにしてしまったのだ。
今日は、両親が学会の関係で帰りが遅くなることを知り、思わず気が緩んでしまったのかもしれない。
しかし、それにしても、どうしてカーテンが上げられ、窓が開いているのか。
その犯人には心当たりがあった。
「朗!」
読真は、くるりと踵を返すと、これでもかと言うほどの大声を張り上げた。
「朗、出てこい!」
叫びながら庭に出た読真は、家族がおもに生活している空間である家へと向かった。
朗とは、読真のふたつ下の弟だ。来年、中学校に上がる。
朗の通う小学校は、この日、創立記念日だった。
読真は、家の扉に手をかけると勢いよく開け放った。そして、開口一番、
「朗!」
家中に響き渡るほどの大声で呼ばわった。
反響した声が自分の耳に届く。その後、しばらくの静寂が訪れた。
一切の動きを止め、耳をそば立てる。物音ひとつしない。
きょろきょろと見渡してみると、リビングの扉がわずかに開いているのが見えた。
何事にもきっちりとしている両親が、扉を開けたまま家を出ることなどありえない。躾けに厳しい両親の言いつけを守るように心がけている読真も、扉を開けっ放しにすることはないと自分では思っている。
こんな猫のような真似をするのは、この家では朗以外に考えられなかった。
開かれた扉からリビングをのぞく。
朝、出かける前に見た時とはどことなく違う雰囲気が漂っていた。しかし、そこに朗の姿は見当たらない。
わずかな隙間に、そっと体を滑り込ませる。室内に入ると改めて辺りを見回した。だが、やはり誰もいない。
仕方なしに踵を返しかけた時、がたりと音がした。
勢いよく振り返る。すると、その先には、リビングのテーブルの下に四つん這いになっている朗の姿があった。
「……朗っ!」
追っていた獲物を見つけたとばかりに駆け出す読真。
体をあちこちとぶつけながらも、そんなことに構うことなくテーブルの下から這い出す朗。
読真が朗の襟首をつかむ寸前、持ち前の反射神経で頭を下げて逃れた朗は、読真がバランスを崩しているうちに立ち上がると、一目散に庭へと逃げ出した。
「……っ、待てよ!」
「待たないよ!」
まるで風のように走り去る朗。その途中、彼はいろんな物を倒して行った。
「あいつ……」
朗が倒した椅子を起こし、朗がぶつかって向きの変わった棚を直しながら、読真は朗の向かった先を睨みつけた。
狭くはないが、そこまで広大でもない庭だ。隠れられるような大きな木や草むらなどはない。庭に出たら、向かう先は庭の外か、図書室のある塔ぐらいのものだ。
門扉には鍵をかけておいた。暗証番号を入力するタイプで、朗もそれは知っているはずである。しかし、あの焦りようでは、きっとすぐには解錠できないだろう。もたついているうちに追いつけるはずだ、と読真は思った。
庭に出て見渡してみる。門扉のところに朗の姿はない。
と、すれば……。
読真は、迷うことなく図書室のある塔へと向かった。
塔の扉を開くと、すぐに階段がある。この塔は三階建てで、蔵書を置くためだけに造られたものだった。
階段を上り、二階の図書室に入る。何も変わらないように思えたが、少しばかり室内が暗く感じられた。さっきよりも日が西に傾いたせいだろう。
三階に向かう階段は、この二階の図書室内にある。つまり、この塔の出入り口は、読真が通ってきたひとつきりだということだ。
「まさか、本嫌いのお前がここに逃げ込むなんてな!」
図書室を見回しながら声を張った。その声が反響して耳に届いたのち、妙な静けさに襲われる。
物音ひとつしない。
「おい、朗! ここにいるのはわかっているんだぞ」
反響したあと、また静けさだけが残された。
「窓を開けたのはお前だよな? カーテンも、お前だろ? 本が日焼けするし湿気るから、カーテンや窓の開けっ放しは駄目だって言われているよな!」
ぐわんぐわんと、読真の声が響く。そして、また、しんとした静けさが漂った。
「……そうか。わかった。お前がその気なら、ずっとここにいればいいさ!」
そう言うと、読真は踵を返して図書室を出る。そして、図書室の重い扉を閉めると、外から鍵をかけたのだ。
かちゃり、という音が図書室内に響いた。
「……ちょっと」
背の高い本棚の陰から、朗が顔を出す。その表情は強張っていた。
「まさか……閉じ込める気?」
朗が扉へと向かう。その時、
「なあ、知っているか?」
扉の向こうから楽し気な声が上がった。
「この図書室な、出るんだぞ」