観測
「それでお母さん、どこに連れて行ってくれるの?」
二十歳の誕生日を迎えた日、母が久しぶりに一緒に出かけようと娘を誘った。
娘が幼い頃、父と死別しそれまで専業主婦だった母は女手一つで娘を育てるため、休日もなく働きつめの生活を送っていた。
その母が休みを取って出かけようと言ってくれた。
娘は嬉しくて仕方なかった。
「まぁまぁ、行ってみたらわかるから。」
はしゃぐ娘に母は苦笑する。
「ほら、見えてきたわよ。」
「百貨店?」
「そう。ほら、行きましょう。」
そう言って母は百貨店に入っていく。
切り詰めて生活している母がまさか百貨店に連れてきてくれるとは思いもしなかった。
娘はドキドキしながら後に続いた。
宝石店のガラスケースの前で立ち止まった母は娘を見た。
「好きな物を選びなさい。二十歳の誕生日プレゼントよ。
私もね、昔、おばあちゃんから同じようにされてすごくうれしかったから。
あなたにも絶対にそうしようと思ってたの。
これで願いが一つかなったわ。」
母は嬉しそうに娘に笑いかけた。
「お母さん、ありがと!」
人目もはばからず娘は母に抱き着いた。
娘は吟味に吟味を重ねて、小さなタンザナイトのついた指輪を選んだ。
折角なら、母の大好きな色の宝石を身につけたいと思ったからだった。
母は笑顔でうなずいた。
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百貨店からの帰り道、信号が赤になって立ち止まった娘は、手を空にかかげた。
その指には、母から買ってもらった指輪がはまっていた。
「綺麗だね。お母さん、本当にありがとう。大切にするね。」
母は笑顔でうなずいた。
信号が青になり、母と娘は歩き出す。
「…危ないっ!」
声のした方を娘が振り返る。
母はそんな娘の背をおもいきり突き飛ばした。
驚いて娘は突き飛ばされながら振り返ると、母がいた場所を車が高速で通り過ぎた。
ドン!と大きな衝突音がして車は電信柱に衝突して止まっている。
「キャー!」
あちこちから悲鳴があがる。
娘は呆けたように道路に座り込んでいる。
その前をバタバタと人が走り抜ける。
煙があがった車から運転手を助けようとして人が集まっていた。
「?お母さん?」
娘は座り込んだまま、視線を車から道路に向けると、もう一つ人が集まっているところがあった。
その人だかりの奥に真っ赤に染まった道路に横たわる人がいた。
フラフラと立ち上がった娘は、ゆっくりとその人だかりに歩みを進めた。
人だかりをかき分け前に出た娘はその中心の人に視線を向けた。
「!お母さんっ!」
娘の悲痛な叫びが響き渡った。
娘は血を厭うこともなく、横たわる母の横に座り込み、母をゆする。
「うぅぅぅ、お母さん、ねぇ、目を開けてよ…」
母は力なく娘にゆすられるがままになっている。
娘は母の胸に耳を当てた。
わずかに鼓動が聞こえた。
「!お母さん!お母さん!」
目を開けてほしくて何度も母の名を呼ぶが、母が目を開けることはない。
「神様…一生のお願いだから、お母さんを殺さないで!お願いだから、母さんを助けて…」
娘がそう叫んだ瞬間、母が光に包まれた。
人だかりがザワザワしはじめ、スマホを母に向け始める。
娘も固唾を飲んで母を凝視する。
ほどなく光がおさまり、先ほどまでと同様に力なく横たわった母がいるだけになった。
「…何だったんだ。」
我に返った周囲が発光に興奮して騒ぎはじめる。
娘は母を凝視する。
ピクリと母の指が動いた。
そしてゆっくりと瞼があがる。
「…おかあ…さん?」
母の手が娘の頬を包む。
「そんなに泣いて、どうしたの?」
その手を娘が握りしめた。
母が何事もなかったかのように上半身を起こす。
その様子に周囲が静まり返った。
「…奇跡だ…」
誰かのつぶやきに、我に返った周囲が拍手をはじめる。
これが観測された初の出来事だった。