アイシクル・ディー
「アメリアさん。おはようございます」
「……」
学校の門前で私を待っていたのは、同い年の友達――アンジェラ・シーエンスだった。
アンジェラは、ここから遥か遠く南の国にある雪街キエストを統治するシーエンス家の三女で、青い髪を持ち、才色兼備を地で行く女の子だ。入学初日、私が敷地内で迷子になっていたときに助けてくれて以来の親友である。
「アンジェラ、おはよう。……なんでここにいるの?」
「なんでって、ここであなたを待っていたんです。なかなか教室に来ないから、どうしたのかと心配で」
頬に手を当て、アンジェラは眉を下げた。
うん。心配して迎えに来てくれるのはありがたいけど……時間内に敷地内に入っていないと、君も遅刻認証されて先生に怒られちゃうよ。
[アメリアさま、もう時間がありません。早く教室へ行かないと]
「あ、うん。そうだね」
「……あら。プクプさんもいらしたのですね。おはようございます」
[おはようございます、アンジェラさま。ですが、このままだとアンジェラさまも遅刻認証されますよ?]
プクプに促され、私はアンジェラの腕を引いて学校の敷地内へ入った。時間はギリギリ。門扉の下に刻まれた魔法陣が発動し、学校全体に結界が張られる。
なんとか今日は遅刻せずに済んだ。遅刻認証もされない。やったね。
「ふぅ、なんとか間に合った……」
[おつかれさまです、アメリアさま。リィドさまに感謝ですね]
「はは、まったくだね」
リィドさんに無理やり連れて来られていなかったら、私は確実に遅刻していたはずだ。彼はこの学校の元生徒らしいから、結界による遅刻認証の仕組みを知っていたのだろう。
そういえば、大爆発で家を失ってしまった彼は、これから本当にどうするつもりなのだろう。
あ、ちなみに――結界による遅刻認証とは……
[ブー!遅刻!遅刻!]
「うわっ、マジかよ……」
――ちょうど今門を通った男子生徒を例にすると、時間外に敷地へ入ると結界が即座に反応し、彼の肩にバツ印のシールを貼りつける。その直後、学校が独自に開発したアンドロイド・アンディくんが、敷地奥にある学長先生専用の休息小屋から超スピードで走ってきて、遅刻した生徒の顔を赤外線で認証。その情報を、脳波通信で校内の教師全員へ伝達する――という仕組みだ。
アンディくんに認証されてしまった生徒は、その日一日罰として、購買や学食で物を買うとき、通常の倍の値段を支払わなければならない。
「さ、アメリアさん。教室へ参りましょう」
「そうだね」
あえてもう一度言う。
今日は遅刻しなくてよかった。本当に。
+
授業を終えて、放課後。下校時刻まではあと二時間と少し。その時間まで、私はいつも教室で暇を潰していた。
同じ教室で授業を受けていた人たちは、みんなそれぞれ帰路について、今はもういない。誰もいなくなった教室で過ごす時間は、それはもう最高のひと言に尽きた。
……うん。本当に最高だったんだよ。なのに。
「……なんでここにいるの」
はぁ、と眉をひそめて頭を抱える。
茶色い横長のテーブルを挟んで反対側に座っているのは、アイシクル・ディーという銀髪の男。
前にも言ったけれど、彼は私の婚約者で、女子の間では「格好いい」と騒がれている男の子だ。私はそうは思っていないけれど。
アイシクルは横向きに足を組み、頬杖をついて本を読みながら、私の正面に座っていた。ため息混じりに声をかけると、彼は本から目を離さないまま反応する。
「今朝は誰かさんが遅刻して会えなかったからな。だから今、会いに来てる」
「遅刻してないし!ギリギリだったけど」
「……………」
ぺらりと本のページをめくる。
何を読んでいるのかと本のタイトルを覗けば、そこには『眠れる森の美女』とあった。
「……似合わないもの読んでるね」
「図書館でまだ読んでない本を探したら、これが出てきた」
「ふーん。……面白いよね、それ」
「そうか?」
「うん。私は好きだよ。眠れる森の美女。王子様がかっこいい」
「……へぇ」
にっこり笑うと、アイシクルはつまらなそうに本を閉じ、こちらへ体を向けた。目が合う。
彼の目は左右で色が違う――いわゆるオッドアイ。右目は海のように澄んだ青、左目は深い緑色。もし彼の好きなところを挙げるなら、私は迷わずこのオッドアイを一番に言うだろう。いや……正直言えば、そこしか褒めるところがない。
「……で?」
「で?」
「今朝はどうして時間ギリギリだったんだ?」
テーブルに両腕を置きながら、アイシクルが問いかける。
「……た、ただの寝坊だけど?」
「嘘吐くなよ。お前、嘘吐くとき目線が右に向くからバレバレ」
「ぐ……」
嘘で切り抜けようとしたけど、やっぱりアイシクルの前では無理だ。
彼は昔から人の仕草や言動を観察して、すぐに嘘を見破る癖があった。だから誰も彼の前では嘘をつけず、よく困らされていた。
私も例外ではなく、幼い頃から一緒にいる分、嘘を何度も見破られた。些細な嘘から大きな嘘まで。そのせいでからかわれたり泣かされたり……。
思えばそれが、私がアイシクルを苦手に思う原因になったのかもしれない。
「で、本当は何してたんだ?」
「……リィドさんのところに行ってたの」
「リィド……?」
私の口から出た名前に、アイシクルは片眉を上げた。彼もリィドさんのことを知っている。リィドさんは彼の兄の友人だからだ。
「なんでそんなところに?」
「今朝、学校へ来る途中でリィドさんの家の方から爆発音が聞こえてね。気になって行ってみたら……」
私は今朝の出来事をそのまま話した。リィドさんの家が爆発でなくなったこと、魔法陣のこと、空へ伸びていった柱のこと。
話し終えると、アイシクルは顎に手を添えて視線を逸らした。嘘ではないことはわかっているはず。私は彼の顔を覗き込み、言葉を待つ。
「……空に伸びた柱、か。にわかには信じがたいけど……」
「本当にびっくりしたんだから。……こう、ドーン!って」
両手で大げさにジェスチャーすると、アイシクルは再び思案顔になり、それから立ち上がった。
「……まあ、見てみなきゃ何も言えないな。……あの人の家に行くのは気が引けるけど、その柱が本当にあるなら確かめたい。連れて行ってくれないか?」
「え、今から……?」
「そう。安心しろ。見終わったらちゃんと家まで送ってやる」
アイシクルは笑った。なんだか妙にやる気だ。興味を持たれてしまったらしい。私は眉を下げつつも、断る理由もなかった。
「……わかった。私ももう一度見てみたいと思ってたし。夜になる前に、さっさと済ませよう」
鞄を手に取り、机の上を確認してから歩き出す。教室の扉まで来たところで「あ、そうだ」と急に方向転換すると、後ろを歩いていたアイシクルが驚いて肩を震わせた。
「な、何……?」
驚いた顔が新鮮で、少し面白い。
「言っとくけど、私の隣は絶対に歩かないでね!」
「? なんで?」
「仲良く帰ってるなんて思われたくないからよ」
「別にいいだろ。婚約者なんだし」
「よくない。私は認めてないんだから。あんたが婚約者だなんて」
「……」
ふん、とだけ告げて、私はさっさと廊下を歩いた。
少しすると背後から足音がして、アイシクルが追いついてきたのがわかる。門の結界はすでに解かれていた。私とアイシクルはそのまま外へ出て、リィドさんの家がある場所へ向かった。