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神と思しき存在は、意外にも親切だった。
教会の連中に聞かれたら、やれ神への冒涜だ、だの信仰心が足りないだの言われそうだが、実際今の今まで安堵と不審感が綯交ぜになった複雑な感情を抱いていたのだから仕方ない。
私(の身体)を取り囲んで話し込んでいるやつらの声を今から聞かせてくれるそうだ。しかもただ聞けるというのでもないらしい。
〔初めから見せてやろう〕
そんなことまでできるのか。
〔何を驚いておる 過去を見せると告げたであろう〕
そうだった。
いや、そういうことだったのか?過去を見せるって既に起こったことを自分の目で見るって意味だったのか?
〔そなたらしくもない 理解が遅いな〕
『あー!全て筒抜けだったな これからは声に出すよ 仕方ないじゃないか この状況を受け入れるだけでも精一杯なんだ 次々言われても処理しきれないんだよ』
無視か。
愚痴や文句は徹底して無視だな。まあいいさ、答えがほしくて言ってるわけでもない。
その時景色が突然変わった。これは執務室だ。
私と、隣にいるのはゲイルか。そうか、掴んだ腕はゲイルだったんだな。
明らかに歩き方がおかしい。まるで酩酊状態だ。
カチャ、最後に入って扉を閉めたのはロニーだ。ああその音は憶えている、ここで完全に意識がなくなったんだ。
「「殿下!」」「「レオ様!」」「レオ!おいレオ!」
「今朝のお食事は?」
「確認してきます」
ミロとビルが飛び出していった。毒なんかじゃないからな、戻ってこい、厨房に行っても無駄足だ。
「私は医師を呼びに行って参ります」
次はエディが出ていく。
「レオ様をこちらへ」
そうか、私が寝かされているのは執務室の奥の部屋だったんだな。
ロニーが扉の手前で声をかけている。
それにしても見事だな。皆予め想定していたかのように行動していく。
アレクシーが慎重に担ぎ上げて運んでいる。そんな丁寧に扱わなくてもいいんだ、それはただ寝ているだけの抜け殻なんだからな。
それにしてもなんでこの時間だったんだ。いや何時であろうと周囲の驚きは変わらないだろうけれど。
「アレクシー 今朝はレオと鍛錬したのか?様子がいつもと違うってことはなかったか?」
ベンヤミンの言葉に、その場にいた全員がアレクシーに注目している。
「ああ 今朝も殿下のお相手を務めさせて頂いた いつもと何も変わることはなかった 顔色 動き 声の張り 全て好調な時の殿下だったと俺は思う」
アレクシーは毎朝そんなことまで見ながら鍛錬していたのか?全く驚くことばかりだ。
「お顔の色は悪くありませんね 呼吸も安定しているように見えます レオ様失礼いたします」
ロニーが私の額に手を触れている。見ていてますます済まなくなってきた。それはどこも問題ないからな。中身が飛び出してしまって、ただ転がってるだけなんだ。
いや私の責任じゃない。私だって誰よりも困惑している最中さ。
覗き込んでいた先が突然暗くなった。灯りも灯されている。何が起こったんだ?
〔同じことばかり繰り返すだけだ 先に進めた〕
へえー便利なことで。
って、暗いじゃないか!何時間経ったんだ?これはいつのことだ?
「おいレオ どうしちまったんだよ もう夜になったぜ 一日寝てるつもりなのか?」
ベンヤミン、声がかすれている。一日そうしていたのか?もう邸に戻って休め。それは放っておいても全く問題ないんだ。
「ロニー スイーリはいつレオに会いに来る予定なんだ?」
「二日後の夕方にお見えになる予定でございます」
「それまで知らせなくていいのか?」
待て。
頼む、スイーリには言わないでくれ。余計な心配かけたくないんだ。今日スイーリとの約束がなくてよかった。スイーリにだけは知られたくない、わかってくれるよなロニー。
「万が一 ダールイベック様がお見えになった時 レオ様がお目覚めでなければどれほどの衝撃を受けられるか」
「だよな 俺もそう思う 今からでも伝えた方がいい」
おい!何勝手に決めてるんだよ!ベンヤミンも何が「だよな」だ!お前が止めなくて誰がロニーを止められるんだよ。
くそ、声が届かないのがもどかしくてたまらない。何か伝える方法はないのか!
「俺はまだ伝えない方がいいと思う」
アレクシー!よく言ってくれた。その勢いで押し切ってくれ。
アレクシーに私の願いが伝わったわけではないのだろうけれど、今はアレクシーに賭けるしかない。頼むぞ。
「噓も方便て言うだろ ロニーが言ったように もしも二日後になっても意識が戻らなかったら その時は隠せない だけど正直に言う必要はないと思う たまたま過労がたたって休んでいるとでも 言えば 」
尻つぼみに言葉が弱くはなっていったが、いいこと言ってくれたなアレクシー。
が、アレクシーが先日見せたよりも一層痛みを堪えるような表情をしているのが心苦しかった。考えるな、そのうち何事もなかったように起き上がるはずだ。そうだよな?
「ですがー」
ロニーが言い難そうに口を開く。言い難いなら言うな。もうやめてくれ頼む。
「ダールイベック様にお話しするまでの猶予は二日でございますが それ以上の問題がございます」
その場の全員が大きく一度頷いた。
「ああ 後五日もすれば諸国の招待客が到着するその時もしもレオがー」
ちくしょう、なんでこのタイミングだったんだよ。もっと別の時がいくらでもあっただろう。
スイーリに知られる前に戻りたいのは当然だが、招待客が来た時に私が不在にするわけにはいかない。いや五日後だろう?そんなに長く戻れないなんてことは・・・
『戻れるんだよな?戻してくれるのだろう?』
この問いには一度も返事が来ていない。
あのまま抜け殻だけ置いていたって生きているとは言えない。どうしたらいいんだ。自分の身体なのに見ていることしかできないことが、もどかしく腹立たしかった。
〔満足したか〕
この声の主は人間ではない。私の尺度で答えてはいけないんんだ。
この場合の満足とは、自分の今置かれている状況を理解できたかという点だ。だから私はこう答える必要がある。
『ああ 理解できた だがひとつ疑問がある 私がここに来てどのくらいの時間が経ったんだ?』
〔今の様子だ〕
先程と見た目は変わっていないが、ああベンヤミンがいないな。邸に戻ったのだろう。
「自分とコンティオーラ卿が就きます マッケーラ卿とダールイベック卿は今から仮眠を 明朝交代でお願いします」
「エディさんとシモンさんもお休みください ミロさんは明日休暇でしたね
お医者様もお休みください レオ様に変化がありましたらすぐ呼びに参ります」
ゲイルとロニーがそれぞれ指示を出しているところだった。夜通し見張るつもりのようだ。何も起こらないから皆休め、体力を無駄にすることはないんだ。
今はもうそれなりの時間なのだろう。ここにいると時間の流れがさっぱりわからない。怖いな、あっという間に日が過ぎていきそうだ。
〔その通り 戻りたくば そろそろ過去と向き合ってはどうだ〕
『私が自分の過去を見れば戻れるのだな』
その口ぶりは戻れると言う意味だよな?
〔器も衰弱する 無防備な器は攻撃を受けとめることができぬ 今そなたは 紙一枚でも容易く命を奪われるほど弱い存在なのだ〕
えっ?
寝ているだけと言っただろう。何故だ?何故それほど大事なことを今頃になって言うんだ。半日無駄にしたじゃないか。
〔人間は食事を得ねば衰弱する 痛みを訴える術もなき器は赤子よりも脆い〕
『なるほどそういうことか 理解した』
こうしている間にも時は流れている。動かぬ自分の姿を眺めている場合ではない。
生憎飯も食わず寝続けるのは初めてじゃないんでね、早々くたばりはしないさ。
〔過去を知り受け入れよ〕




