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船はダールイベックへ向けて出発した。
私の同行者はエディとシモン、スイーリも侍女を二人。ベンヤミンは従者を一人。そしてビルにも一人同行する従者がついた。彼の義父リンドフォーシュ卿が、邸の使用人から選んで連れて行くようにと配慮したそうだ。
騎士は護衛の四名の他にも十名ほどがメルトルッカまで同行する。その中にはいずれスイーリの専属にと考えている騎士も含まれている。
「いやはや 他国へ向かうにしては護衛が手薄すぎませんかな」
そして同行者がもう一人。この愛すべき面倒くさい老人だ。
『メルトルッカはそれほど危険か ならば今すぐ引き返して鳶尾の全騎士を連れて向かうことにしよう』
ベンヤミンもスイーリも笑っている。状況を飲み込めないソフィアだけが瞳を彷徨わせていた。
『ソフィア 紹介するよ 私の師レノーイだ 今回帰郷することになって同行しているんだよ
レノーイ ベンヤミンの婚約者 ソフィア=ボレーリン嬢だ 港まで見送りに来てくれたんだ』
レノーイはニコりと笑って右手を差し出した。
「初めてお目にかかりますな 港までよろしくお願いします ボレーリン殿」
戸惑いを隠しつつ握手を交わしたソフィアは、相変わらず不安そうに瞳を揺らしている。
「お名前は伺っておりました お目にかかれて光栄でございます レノーイ様」
ベンヤミンとスイーリが笑いをかみ殺しつつ、ちらちらと視線を寄越す。うん二人は言いたくても言い難いだろうからな。
『ソフィア レノーイの話は十分の一程度聞いていれば充分だよ 残りの九割は聞く価値がない』
堪え切れず「ぶっ」と吹き出すベンヤミンと、ハンカチで口元を抑え視線をずらしたスイーリに、ソフィアは目をぱちくりとさせた。
「なんと酷い言い草 あんまりでございますよ 大国の王太子殿下のお言葉とは思えませぬな」
『では聞くが 私が生まれる以前からステファンマルクで暮らしているレノーイが 何故最新のメルトルッカの治安状況を把握できるのだ?もしやこれほどの長期間諜報活動をしていたのではあるまいな』
「あなや 私めをスパイ呼ばわりとは 息子も同然に慈しんできた結果がこの仕打ちとは あんまりでございますぞ」
ここまで終始胡散臭い笑顔を浮かべたまま、口先だけで嘆いてみせるレノーイに私も根負けした。
『ああもうわかった 降参だ
ソフィア レノーイはこの大ぼら吹きを生きがいにしているらしくてね でもほらを吹く相手はレノーイなりに選んでいるらしい ソフィアと親しくなりたいようだから我慢して付き合ってやってくれないか?』
突然すまし顔になったレノーイが、騎士の真似事のように胸に手を当ててソフィアを見上げる。
「レオ様のご友人は 私めにとっては我が子も同然 どうですかな?お近づきになってはくださりませんか?」
やっといつもの表情を取り戻したソフィアが、柔らかく微笑んだ。
「大変光栄なお話しでございます 私でよければ喜んで」
長い紹介が終わったところでレノーイは腰を上げた。
「では私めは部屋で休ませていただきましょう レオ様 個室をいただきありがとうございます」
『うん 何かあればいつでも声をかけてくれ 顔を出してくれてありがとうレノーイ』
レノーイが去った後、ゲラゲラと笑い出すもの、顔を隠し後ろを向いて震えだすもの、そしてヒクヒクと口元をひくつかせながら、なんとか笑いを堪えているもの、もうめちゃくちゃだ。
笑うだけ笑ってようやく落ち着いたベンヤミンが、目尻に涙をためながら話し出した。
「憎めないんだよな レノーイ様って 年長の方に失礼な言い方だけど可愛らしいというかさ」
『面倒くさいけどな』
やっと笑いが治まったソフィアとスイーリが、またくすくすと笑い出す。
「それよりさ!レオがソフィアのことを俺の婚約者って紹介してくれただろ?俺ジーンときちゃってさ」
喜びを隠しきれないといった表情のベンヤミンの横で、珍しくソフィアも顔を赤らめている。
「婚約者とご紹介いただいたのは初めてでしたので 私も嬉しかったです ドキリとしました」
『言うのが遅くなったね おめでとうソフィア ベンヤミン』
ソフィアの左手には緑色の石がキラリと光っている。ベンヤミンの瞳よりは少し薄いけれど、早春に力強く芽吹く若葉のような色だ。
「ありがとうございますレオ様 お二人のお力添えのおかげです」
その言葉には思わず苦笑いした。スイーリも少し眉を下げて微妙な笑みを浮かべている。
「ところでビルは?」
『エディ達といる』
メルトルッカではビルも私達と共に学ぶ仲間だ。
とはこちらの言い分であって、ビルからすればなかなか切り替えられるものではないのかもしれない。
無理に呼んでビル一人が気疲れしては意味がないしな。
ベンヤミンもその辺りのことは理解しているようで、「あー」と言った後黙ってしまった。
「レオはビルの主だしな ここにいたら色々気がついちまって休まんないだろうなー」
『そうかもな』
それを聞いて「ふふ」とソフィアが笑っている。
「なになに?どうしたソフィア」
「ベンヤミン様の主もレオ様なのでは と思っただけです」
目が点になってあんぐりしているベンヤミンを見て、ソフィアはさらにクスクスと笑っている。
「そ それはそうだけどさ!いやそうだけど でも俺とレオは いや酷いぜソフィア・・・」




