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『スイーリ 留学の準備は済んだ?』
本宮で一日を過ごしたスイーリと鳶尾宮で晩飯を食うのも、すっかり恒例になった。そして食後にはこうして毎回スイーリが淹れたコーヒーを二人で愉しむ。
「はい ほぼ終わりました」
デニスの婚礼から始まった二月も気がつけば今日で終わり。明日からは三月だ。あと十日ほどで私達はメルトルッカへ向かう。
当初は四月の入学に合わせて到着するつもりでいたのだが、三月下旬に執り行われるクラウドの結婚式に参列することになったのだ。
「婚約者様の卒業に合わせてご結婚なさると仰っていましたものね」
『うん それでも卒業直後とは思ってなかったな』
てっきり春以降のことだろうと思い込んでいた。ステファンマルクで婚礼と言えば春から秋にかけてが一般的なのだ。
が、よくよく考えてみたらこことメルトルッカでは気候がかなり違う。ここの三月と同じに考えてはいけなかったんだ。
「今日王妃殿下からパリュールをお借りいたしました」
『そうか 気に入るのものはあった?』
スイーリも王太子婚約者として招かれるため、ティアラを着用する。それを王妃殿下が管理しているパリュールの中から選ぶことは聞いていた。
「初めて宝物庫に入りましたが どれも素晴らしくて自分では決められなかったんです 王妃殿下が選んでくださったのですよ」
『当日まで楽しみにしているよ あのドレスを着たスイーリが早く見たい』
スイーリが着用するドレスは、王妃殿下がオリアンに特別に注文した生地で用意された。
私がクラウドの結婚式で正装と共に身につけることになる、あの装飾と同じ色をした、美しい南国の夏空のような色をしたドレスだ。
あの装飾には、対になるパリュールも存在している。それはいつかスイーリが私の妃となった時、貴女のものになるんだよ。
「―レオ様?」
『あ ごめん ドレスを着た姿を想像してた』
スイーリの話しも聞き逃すほど、妄想に耽っていたのかと恥ずかしくなる。
「ドレスも試着させていただきました 素晴らしいお色です オリアンさんが用意して下さったのですね」
『うん 私も知らなかったんだ 見事に再現していたな』
上半身を埋め尽くすように銀刺繍と、貝ビーズで装飾されている。婚礼衣装と言われても納得するほどの豪華さだった。でもそれがスイーリを困惑させていたらしい。
「あれほど絢爛なドレスを私が着せていただいてよいのでしょうか」
『うん あれを着て私の隣にいてほしい』
これでは言葉が足りないな、スイーリが心からあのドレスを喜んでくれるよう説明しないと。
『メルトルッカの婚礼衣装は独特だと聞いたよ 不安なら直接レノーイに聞きに行こうか』
「まあ どんなお衣装なのでしょう?」
私の乏しい表現では、スイーリが納得するだけの情報を伝えきれる自信がない。
『少し待っていてくれる? とりあえず本を持ってくるよ』
「ご一緒します」
『うん 行こうか』
急に書庫へ行くと言い出し周囲が慌てだした。
『本を一冊取りに行くだけだから慌てなくていい 灯りだけで充分だ』
火を落として冷え切っているのだろう。スイーリにコートを羽織らせて向かった。
棚の場所はわかっている。迷わずたどり着くと、一冊の本を取り出した。
『ここは冷える 戻ってから見よう』
「はい 」
サロンに戻り、暖炉のそばの長椅子に並んで座った。
シモンがハーブティーにミルクを添えて運んでくる。
『シモンが淹れたハーブティーは初めてかな とても温まるから飲んでみて』
新しく従者に加わったシモン=ベレンセ。彼はハーブや薬草といったものにとても詳しい。ベレンセは薬を扱う家門なのだ。
カップにミルクを注いで一口含んだスイーリが、ニコりと微笑む。
「美味しいです 甘い香りとピリッとした辛みもあって ぽかぽかしますね」
スイーリの言葉に嬉しそうに目を細めたシモンは、ポットに追加の湯を注いでから静かに部屋を出ていく。
『さて 見ようか』
持ってきた本をぺらぺらとめくる。この本はメルトルッカの風土を記したもので、たくさんの挿絵がある。
「綺麗―」
大きく開いたページに描かれた幾人かの花嫁の姿に、スイーリがうっとりとした声を漏らす。
「メルトルッカの伝統衣装なのですね 初めて拝見しました なんて美しいのかしら」
どの花嫁も赤いドレスを纏っている。ところどころ白い部分が見えるのは、白いドレスの上に赤いドレスを重ねているかららしい。そして金銀に加えて色とりどりの刺繍が首元を中心に施されている。
『きっとクラウドの花嫁もこの衣装を着るだろうと思う』
「はい お目にかかるのが楽しみですね レオ様」
先程まで自分のドレスに悩んでいたことも、すっかり忘れたみたいだ。美しいドレスに夢中になるスイーリがなんともいえず愛らしい。
もちろん私達の目的は留学だ。
けれど、王族として向かう以上様々な交流が求められることも事実だ。スイーリの準備はドレスだけでも大変な量になったに違いない。
『スイーリは制服も楽しみにしていたよな』
メルトルッカの学園にも制服があるそうで、先に私達四人分の製作を依頼済みだ。
「はい!レオ様ともう一度制服を着て歩けるなんて嬉しくて 楽しみですね!」
『同級生のダールイベック嬢と放課後デートだな』
言ったそばから気恥ずかしくなる。もう一度学生に戻るのがステファンマルクでなくてよかった。
「どんな制服なのかしら レオ様はご覧になったのですか?」
『いや 向こうに着けば用意ができているはずだよ』
ごめんなスイーリ、特別興味もなくて聞いてすらいなかったとも言えず、話をごまかした。
その日の帰り際、珍しくスイーリから誘いがあった。
「レオ様 次の日曜日はもうご予定がありますか?」
外せない政務がある時以外、全ての日曜日はスイーリのために空けている。出発前最後になる次の日曜日も、もちろんスイーリと過ごすつもりでいた。
『一日空いているよ どこか行こうか』
嬉しそうに顔を上げて両手をぱちんと合わせる。私が大好きな、スイーリのよくする仕草だ。
「八番街に行きたいです ご一緒していただけますか?」
『もちろん 喜んでご一緒しましょう』




