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これはノシュール家とオースブリング家の婚礼から遡ること十日ほどのこと。
「レオ様 ダールイベック卿おはようございます」
「おはようございます」
早朝の鍛錬場、外はまだ深夜と変わらぬ静寂の時間だと言うのに、私とアレクシーは上気した顔に汗を滴らせていた。鍛錬時間の終わりを告げるロニーとエディに挨拶を返す。
『おはよう』
「おはようございます」
「本日からビルさんがお休みをいただいております」
『わかった』
私室に戻って汗を落とす。十年以上続けてきた朝のルーティンだ。
浴室から出る時間になっても、厚いカーテンは閉められたままだ。冬の朝は遅い。
朝食前に茶を一杯飲む。今朝はロニーが紅茶を用意した。ゆっくりとそれを味わいながら、今日の予定を確認する。
『今日は二人が来る日だったな』
二人とは、視察に同行したミロスラフ=ビエルカ卿とシモン=ベレンセ卿だ。
彼等から従者希望の便りが届いたのは、年が明けてすぐの頃だった。二人はエディが私の従者になったことを知ってるだろうか、知っているだろうな恐らく。
『ロニー エディ 二人から見て彼らはどうだ?』
九ヵ月付き合ってきたのは私だけではない。ロニーもエディも二人と接する時間はたっぷりあったのだ。私では気がついていない面も見てきたことだろう。
エディがロニーに視線を送る。頷いたロニーが先に口を開いた。
「あくまで私から見た視点ではございますが お二人ともレオ様にご満足いただける方と思っております ビエルカ卿は官僚経験もございますので そちらでのサポートも期待できるかと」
『うん』
ビエルカ卿は三年の官僚キャリアを一度棄てて、視察に同行した。復職も可能とは思うのだが、彼の望みは従者ということらしい。
ベレンセ卿の方は、専科を卒業後視察に加わった。科は違うもののアレクシーの同期だ。アレクシーとはそれなりに親交もあったようだ。
『エディはどう思う?』
「はい ビエルカ卿とは五年間共に学びました 努力家で機転もきく男だと思います」
『そうか!エディと同期なのか』
口ぶりから好意が感じられる。共に働く仲間として悪くないようだ。
『ベレンセ卿についてはどうだ?』
ベレンセ卿はボレーリン領にほど近い東部の子爵家次男だ。彼も生涯雇用を希望しているのだろうと思う。それならばこちらも真剣に検討しなくてはな。
ベレンセ卿についても二人は好反応だった。
『わかった ロニー二人の部屋を用意しておいてくれ』
どちらかにはロニーの補佐を任せてもいいかもしれない。ロニーは何も言わないが、相当な量の仕事を抱えているはずだから。
「かしこまりました ご用意しておきます」
話が見えたところで朝食を摂り、執務室へ向かった。
「お 今日はビルが休みなんだな」
「はい 一週間お休みをいただいております」
ベンヤミンは「そっかそっか」と頷きながら資料を並べ始める。
「ビルは休みの日ってリンドフォーシュの邸に帰ってるのか?」
「毎回ではありませんが 帰ることは多いようですね」
休暇中のことは私から聞くことはない。ロニーに報告していることも今知った。休みなのだから自由にして構わないのに、誠実で責任感の強いビルらしいな。
「今日はマーケットに行くようですよ」
本人抜きでビルの話が続いていく。
「おおーそうなんだ 気になる店でもあったのかな」
「デートのようですね」
さらりと言ってのけたロニーの言葉に全員が反応した。
「なんだって?ビルのやついつの間に交際してたんだ?どこの令嬢だ?ロニーは知ってるのか?」
矢継ぎ早にベンヤミンが質問する。私も言葉には出さないが、ロニーがなんと答えるのか少し、いやかなり気になった。
「さて お相手の名前までは・・・交際しているのかも聞いておりませんので
ご期待に応えることができず申し訳ございません」
そこはロニーが謝るところではないからな。ビルの不在中に噂話をしている私達の方が後ろめたい気分だ。
「なるほどなー 今が一番大事な時期ってやつだな 俺達はそっと見守ってやらなきゃな」
先輩風を吹かせるベンヤミンのことが可笑しくなり、つい笑いそうになる。
『雑談はこの辺にして 取り掛かろうか』
「おう」
二人が来るまでに会議の資料を読み終えたい。今日の午後には本宮で大きな会議が予定されているのだ。
「レオ 去年の定期船実績が届いた 分析と今年の変更案をまとめてあるから後で聞いてほしい」
ノシュール・ダールイベック間の定期船事業は順調に進んでいる。視察に出る前に、念入りに練った計画と、抜かりない準備、そして人員の配置まで、全てベンヤミンが中心となって行った。
定期船の運航が開始したのは、私達が王都を離れていた時期だったが、大きなトラブルもなく今日まで続いている。
『わかった 一時間後で頼む』
~~~
一日の執務を終えて私室に戻る。
この時間部屋の中にいるのはいつも私とロニーの二人だ。
『なあロニー 今朝の話でもないんだが』
ポットにハーブティーを用意しているロニーに向かって話しかける。
「はい 今朝と仰いますとビルさんのことでしょうか」
『うん ああビルの話ではなくて』
どうもこの手の話は苦手だ。
『ロニーはどうなんだ?』
あれこれ考えるのが面倒になり核心から入ることにした。
だってそうだろう?ビルの話をしている場合じゃないんだ。ロニー、お前いくつになったんだよ。二十九だよな?今まで聞くに聞けずにいたけれど、ロニーこそ相手はいるのか?ロニーの仕事ぶりを見ていると、とてもじゃないが交際相手の令嬢がいるとは考えられないぞ。
今夜一度限りのつもりで、この際徹底的に聞いてやろうと思った。
が、何と聞けばよいのやら、さっぱり思いつかずなんとも不甲斐ない。仕方なく、察しろとばかりにじぃと瞳を覗き込んでやった。
年長者のゆとりだろうか。悔しいことにロニーは余裕さえ感じられる笑みを浮かべた。
「レオ様にご心配いただけたとは嬉しい限りでございますね」
ちっ、なんだよ。主に心配かけて喜ぶ侍従がどこにいるんだよ。
実際はそれも悪くないなどと感じつつ、表情だけはムッとしてみせた。
「ご安心くださいませ お相手は考えております」
『そうか』
えっ?そうなのか?私の知っている令嬢か?ステファンマルクの令嬢ならば名前を知らないものはいないとは思うのだが、一体誰だ?全く見当がつ・・・いや待て。
なんだか妙な言い回しだったな。
相手は考えている? 相手がいる、ではなく?
『ロニー 違うとは思うけれど まだ交際はしていないのか?』
否定してくれよ?「○年前から交際しておりますが」と呆れ顔で訂正してくれていいんだからな。
当たってほしくない時に限って当たるものだ。
「はい 申し込んでおりません」
なんだろう、急激に疲れが襲ってきた気がする。いつもそつなく仕事をこなす、この上なく有能なこの男が、突然ポンコツに見えた。
『なあ あまりこういう話を急かすつもりはないが 悠長に構えていて平気なのか?』
好意すら伝えていない相手が、必ず自分を受け入れると思っているその自信は一体どこから来るんだ?
私ばかりが狼狽えている中、ロニーはこの日一番の笑みを浮かべた。
「はい 全く問題ありません レオ様のご結婚を見届けずに嫁を迎えるわけには参りませんから」
いや。いやいやいや。どうしてそうなる?
視察が終わって、ようやく侍従として本格的にこの宮を任せるようになったんだ。私に連れ回されて遠くに行く必要もなくなった。妻を迎えるのに今は一番良いタイミングではないのか?
く・・・ロニーの圧に気圧されている。
残念ながら今の私には、ロニーに立ち向かえるだけの言葉の持ち合わせがなかった。
『わかった』
全くもって納得などしていないのに、裏腹な言葉がつい出てしまう。
「進展がございましたら 真っ先にご報告いたします 気長にお待ち頂けますか?」
ニッコリと微笑む侍従に、私はただ頷くしかなかった。




