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最後の朝は遅めに出発した。王都に着くのは陽が暮れてからがいい。
粉雪が音もなく舞う中を馬車は進んで行く。そうして東門を通過したのは四時を少し回った頃だった。
東門周辺は民家もまばらだ。
この辺りに住むものは職人が多いらしい。すっかり顔なじみになったガラス職人バルトシュの工房兼住宅もこの一角だ。尤も今はクリスマスマーケットに出店していて留守だろうが。
「とうとう帰ってきたな 今回もいい経験を積ませてもらった ありがとうレオ」
『この視察を物見遊山と誹られぬためにも これからが大切だ 頼りにしてるからな』
王都に限らず、国中がクリスマスに染まる華やかな時期ではあるけれど、今年ばかりはそれに流されるわけにはいかなかった。三月、再び王都を離れるまでに進めなくてはならないことがいくつもあるからだ。
「明日の予定は変わってないよな?俺直接運河に向かうからよろしくな」
明日は運河の開通式が予定されている。とうとうダールイベックの港と王都が繋がるのだ。
実を言えば、運河は先月には完成していた。していたのだが、私達が戻るのを待って開通式を行うことが決まったと言うのだ。
そんなくだらない理由でひと月近くも運河を遊ばせておくくらいなら、さっさと開通してしまえばいいものを。
その要請が通らなかったのだから、誰の決定なのかはわざわざ言う必要もないだろう。
『悪いな 誰かのせいで休む暇もなくてさ』
こんなところで文句を言うのが関の山だ。全く自分が情けない。だがベンヤミンの反応は違った。
「何言ってんだよ 世紀の瞬間に立ち会えるんだぜ 俺 視察団の帰還に合わせてくださった陛下にめちゃくちゃ感謝したよ」
そうだった。ベンヤミンはなんだかんだと節目を重んじるやつだった。
『ともあれ明日が終われば一息入れてくれ そのままクリスマス休暇に入って構わないからな』
「ありがとうレオ コンサートの日まで休みをもらおうと思う」
『わかった』
騎士達や従者と違い、ベンヤミンには必要以上に休暇を勧めることはしなくなった。ベンヤミンは私以上に結果を欲している。アテもなく休みを取るくらいなら、一つでも多く仕事をこなし、自分の名を知らしめたいのが今のベンヤミンだ。
「あれ?なんか聞こえない?」
『ん?』
ベンヤミンの一言に耳を澄ませてみると、微かにオーケストラの奏でる演奏が聞こえてきた。
『コンサートの練習か?』
「そうだろうな でも珍しくない?」
クリスマスコンサートを四日後に控え、今は最終調整の頃なんだろう。彼らが練習に勤しむのはごく自然なことではあるのだが、こうして外に漏れ聞こえるのは初めてだと思う。
『だよな 野外ホールで演奏しているのか?』
「今までリハーサルなんてしたことなかったよな」
待て。嫌な予感がする。
『なあこれ 王宮で演奏してるということはないか?』
「・・・レオ」
言葉は濁しても、ベンヤミンの顔には困惑と同意が見て取れた。
くそ、余計なことをしてくれる。たかが視察から戻る程度のことを演奏付きで出迎えてくれるなよ。
『済まないな できるだけ早く帰せるよう努力する』
今夜夜会の予定はない。さすがの陛下も帰還直後のヨレヨレな状態で夜会に引きずり出すことはなさらぬようで、ほっとしていたと言うのに。代わりにこれか?コンサートを間近に控えた学生を引っ張り出して?
「レオ 顔怖いよ? レオの気持ちもわかるけどさ 陛下はレオのことが誇らしくてご準備なさったんだと思うぜ なっ?」
つくづく情けなくなるがベンヤミンになだめられて、不承不承頷く。でも絶対一言言ってやるからな。
いよいよ王宮の門を通過する頃になると、この音色が間違いなく王宮から聞こえていることが判った。馬車が進むにつれて確実に大きくなるその音に、はぁーとため息をこぼす。悪いなイクセル、コンサート前に聞かせたくはなかったろうに。
広場の中央を馬車は進む。カーテンの隙間から窓の外をちらと見ると、かなりの人数が集っているようだ。
「お帰りなさいませ王太子殿下 長きに渡るご視察お疲れ様でございました」
出迎えの先頭にいたのはベンヤミンの父、ノシュール公爵だった。
『出迎え感謝する』
驚いたな、まさか宰相に出迎えられるとは思ってもいなかった。
「どうぞこちらへ 帰還式の準備が整っております」
どうやら私とベンヤミンが最後らしい。他の同行者は先回りして私達の到着を待っていたようだ。
公爵の先導で歩く道すがら広場に目を向けると、真っ赤な髪をした男が笑顔を向けているのが見えた。
イクセルじゃないか。その近くにポリーナやベーン夫人の姿も見える。
『ノシュール公 この演奏は学園生ではなかったのか?』
公爵は顔をこちらに向けてにこやかに言った。
「はい 今年結成された商業楽団でございます 芸術科を出たものも所属しているとか」
『商業楽団?それは知らなかった』
ベンヤミンを横目に見ると、ニコりと微笑み(よかったな)と口を動かした。
プロの楽団ならば文句も言うまい。イクセルを見る限り、この帰還式には学園生も強制参加ではないようだしな。
「殿下 今彼らが演奏しているのは我が国の国歌でございます」
『国歌だと?』
そんなものがあったのか、初めて聞いた。ベンヤミンも首をかしげている。
「はい 楽団の旗揚げを祝して陛下がお命じになったのです 私共も本日初めて聞きましたが素晴らしい曲でございますよ」
成程。
『たった数ヵ月離れていた間に いろんなことがあったんだな』
その呟きに笑みを返した公爵が、立ち止まって頭を下げた。背中越しに陛下と王妃殿下が並んで見える。
「戻ったか」
『総勢七十二名 ただ今帰還しました』
「ご苦労だった」
お二人の変わらぬお元気な様子に、ひとまず安堵した。
「聞いたか?」
陛下の言葉に主語がないのはいつものことだ。この場合今しがた公爵から説明された楽団のことを言っているのだろう。
『国歌をお作りになったそうですね』
正解だったらしい。満足そうに頷いていらっしゃる。
「まずは聞くといい なかなか上手くできている」
左手をひょいと動かし、隣に座るよう指示された。
ベンヤミン達視察の仲間らも用意された席につくと、指揮者が壇上に上がり合図を送る。
再び演奏が始まった。先程まで聞こえていた"国歌”だ。
『良い曲ですね』
正直音楽のことはよくわからない。追及してくれるなよと念を込めつつ無難な言葉を選んだ。
「レオ この後勲章を授与する」
演奏のさなかに陛下が耳打ちした。
『承知致しました ありがたくお受けいたします』
まず間違いなく星獅子勲章だ。これは成人した王族は皆授けられてきたもので、抜きんでた功労を上げていない私でも抵抗なく受けることができる。言ってしまえばただの象徴だ。
演奏が終わり、拍手を送る。広場全体が寒さをものともせず、熱気に包まれているようだった。
「簡単な晩餐を用意させてある このまま残れ」
『承知致しました』
スイーリも呼ばれているに違いない。早く会いたい。




