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出発を明日に控えた三月のある日、王宮は日曜日にも拘らず多くのものが慌ただしく動いている。

いつも何かと理由をつけては欠席している夜会も、今宵ばかりは参加しないわけにはいかないだろう。



同行者の中で唯一王都在住ではないエドヴァルト=ドゥクティグも、昼過ぎには王都に到着したらしい。エディの父が代官を務める直轄地は、運河を使えば数時間の距離だ。


窓の向こうには、積み込みの完了した荷馬車がずらりと並んでいる。改めて見ると呆れるほどの数だ。季節を一周するわけで、同行者全員の私物だけでも大変な量になってしまうのだから、仕方ないと言えばそうなのだが。



「とうとう明日ですね」

隣に並んで窓の外を見ているスイーリが、視線を遠くに合わせたままぽつりと言った。


『うん』


『手紙を送るよ インクもたくさん用意したんだ』

スイーリへの手紙にはいつか二人で買いに行った、特別な色のインクを使っている。メルトルッカ製のインクだ。


「お待ちしていますね 私も毎日お手紙を書きますね」

『ありがとう 楽しみにしてる』


旅程は公表されているから、手紙のやり取りはそれほど難しいことではない。数週間分をまとめて出すことにはなるだろうけれど。


「レオ様からのお手紙を楽しみにしています 私は何を書けばいいかしら 学園の話ばかりになってしまうかもしれませんね」

手紙を楽しみに待つと言ってくれるスイーリのために毎晩必ず書くよ。分厚い手紙を覚悟しておいてくれ。


『どんな話でも嬉しいよ 日記で構わない けれど無理だけはしないと約束してくれよ 学園生がどれほど忙しいかは私もよく知っているから』

「はい けれどレオ様へのお手紙は一番大切な時間ですから 肖像画を見ながら書きますね たくさん書きますね」

わかった。

これ以上は止めても逆効果だな。けれどありがとう、旅先で受け取ることを楽しみに待つよ。



『さて あと半日どうやって過ごそうか どこか行きたいところはないか?』

「レオ様と過ごせたら私は充分ですから」

スイーリがそう答えることもわかっていた。日常の中のほんの小さな、見過ごしてしまうような些細な事柄にも喜びを見いだせるのが貴女だから。



とは言えどうしようか。外で過ごすにはまだ早い。森は深い雪に覆われているし、庭も全く景色を楽しめる状況ではない。城下へ向かってもいいのだが、明日から働きづめになる騎士達を思うと、今日はできる限り休ませてやりたいと思う。



『久しぶりに本宮の温室にでも行こうか』

あの場所は私達にとっても特別な場所の一つだ。初めて二人が出会った場所で、スイーリに交際を申し込んだ場所でもある。


「はい!是非!」

スイーリもあの温室には私と同じだけの思い入れがあると思う。彼女の輝く瞳を見ると、それは確実だと思えた。


「あの日以来になるのでしょうか?嬉しいです 思い出の場所ですから」

『うん 久しぶりだね ゆっくり一周しようか』

「はい!」



「温室にお茶の準備をしましょうか」というロニーの言葉には首を横に振った。

『いや しばらくしたら戻る』


予想していた通り、温室に人影はなかった。

広い温室の中を時間も気にせず歩く。スイーリから教えられたように指を絡めて手を繋いで。

着ているコートが少し暑苦しく感じられ始めた頃、東屋に向かった。丁寧に活けられた春の花々が飾られたテーブルを挟んで腰を下ろす。


「変わらず美しいですね ここだけはすっかり春みたい」

色とりどりの花を眺めながら、嬉しそうにスイーリが呟く。


『静かだな おかげでゆっくり回ることができた』

この季節は茶会が開かれていることも珍しくないので、無人の温室はとても貴重なのだ。



「次にお会いするのも雪の季節になりますね」

『うん クリスマスコンサートには間に合うように戻るつもりだ 予定を空けて待っていてくれる?』

「ふふ もちろんです」

結局はいつものように他愛のない話題で終わってしまったけれど、今日のスイーリのことはしっかりと目に焼き付けた。身体には気を付けて。再会の日を楽しみに行ってくるよ。




スイーリを送り届けた後は本宮で催される夜会に向かった。

通常であれば王宮主催の夜会が開かれることのない時期だが、この夜も多くのものが参加していた。


「レオ達は今日どこへ行ってたんだ?八番街ですれ違うかなと思っていたけど会わなかったな」

ベンヤミンとソフィアは八番街で過ごしていたらしい。


『ああ 王宮(ここ)にいた』

「そっか 確かに王宮は穴場だな」

王宮でデートできるなんてレオだけだもんな、とケラケラ笑っている。なんだよ、使ってもいいんだぞ?一言言ってくれたらいくらでも場所くらい貸すのに。



パートナー不在のもの同士、グラスを片手に雑談を重ねていたところへ、数人の友人を連れたヘルミが挨拶に来た。

「レオ様 ベンヤミン様 いよいよご視察へ出発ですね 実り多き旅となりますことをお祈り申し上げますわ」

『ありがとうヘルミ』

「ヘルミも元気にしていろよな 時々はソフィアの話し相手にもなってくれると助かるぜ」


「ええ ソフィア様ともスイーリ様とも頻繁にやり取りしておりますの ご安心くださいませ」

そのままヘルミ達令嬢と会話を重ねている間に、時間はゆっくりと過ぎて行った。



「話も一区切りついたことだし レオ!明日に備えて俺達はこの辺で切り上げようか」

『そうだな 皆身体に気を付けて 次の冬にまた会おう』

ベンヤミンが切り出してくれたおかげで、スムーズに抜けることができそうだ。


「お気をつけて 良い旅を レオ様ベンヤミン様」

ヘルミやベンヤミン達と別れた後、最後に陛下と王妃殿下にご挨拶申し上げ、本宮を後にした。




翌、出発当日。

大掛かりなことはしないでほしいと念を押したはずなのに、本宮前では第一と第二の騎士がずらりと隊列を組んでいた。さらに学園生までいるじゃないか。左端の先頭にイクセルがいるのが見えるから、あれは適当に並んでいるのではなくて、しっかりと列をなしているのだろう。全く誰の指示なんだよ。


こんなことを指示できるのは一人しかいないと思いつつ、乗ったばかりの馬車から降りた。

降りた先で第二騎士団新副団長に出迎えられる。

「王太子殿下 おはようございます 国王陛下がお待ちでございます」



左右に並ぶ騎士の間を進んで行った先に陛下はいらっしゃらなかった。

なんだよ呼び止めておいて。こっちはさっさと出発したいんだ。初日から旅程を狂わせたくはないからな。

『いらっしゃらないな 出発して構わないか?』


こうなると慌てだすのは副団長を始めとした周囲の騎士なことはわかるけれど、せっかちなのは父親譲りだと言うことも知っているだろう?

全く陛下はご自分が人一倍せっかちなくせに、人のことは待たせすぎなんだよ。


呼ばれている以上、例え待たされたとしてもその場を動くつもりはなかったが、少々苛立ち始めてはいた。


「なんだ?出立の朝にしては難しい顔をして」

声のした方を振り返ると、公式の場でしかお使いにならない王冠を被りほくそ笑む陛下が立っていた。

いやどれだけ気合入れてるんだ?



「こうしてお膳立てしてやらねば お前は挨拶ひとつせずに出発していたのだろう?」

・・・

昨日ご挨拶に伺ったじゃないか。遠慮することなく思い切り顔に不満を出してやった。


『隠していましたね?』

この状況が今朝の気まぐれではないことだけは確かだ。とすると、今回も意図的に私の耳に入れなかったということになる。


「レオ お前はこの視察の重要さをまるで理解していないようだな」

いやこの期に及んで説教を始めるのか?なんで今なんだよ。


口答えは得策ではない。ひたすらやり過ごして早く出発するに限る。そう思い聞き役に徹することを決めたところ、陛下は満足げに話し始めた。


「お前以前にステファンマルクを旅した王族は一人しかいない 誰かわかるか?」

答えようとするよりも早く陛下が続ける。


「レオ=ステファンマルク一世 建国の王ただ一人よ お前はそれに続くものになるのだ」

建国王のそれは、旅と言っていいのか疑問ではあるが、ステファンマルクを隅々まで回ったという意味では正解だな。


いや感心している場合ではない。

いくつもの地を平定し、国土を拡大し続けていった建国王と同列で語らないでいただきたい。私達は視察に行くのだから。


『建国王には遠く及びませんが この国の有り様をしっかりと見て参ります では行って参ります』

これでいいだろう。さっさと出発しよう。



「レオ 身体には充分気を付けるのですよ」

はい・・・そうですね。陛下がいらっしゃっているのだから、当然いらっしゃってますね。


『はい 王妃殿下も健やかにお過ごしくださいませ? ―スイーリ?』

母上の声に、振り向き応えたその時、その隣にゆくりなく愛しい人の姿があった。少し恥ずかしそうに両手を揃えて伏し目がちに見上げる瞳と視線が重なる。


「お声がけを賜りまして お見送りのご挨拶に伺いました レオ様 いってらっしゃいませ」

こうなると現金なもので、足止めに感じていた忌々しさなど瞬時に消え去ってしまう。


『ありがとうスイーリ スイーリも身体を大切に それと学園長にも礼を言っておいてくれるかな』

後半を小声で付け加えると、スイーリも眉を下げて小さく笑った。

「かしこまりました 戻りましたらお伝えいたしますね」



最後に学園生と騎士団を見渡せる中央付近まで足を進めた。

『今ここに並ぶもの達の中にも 様々な地域から来ているものが少なくないだろう 九ヵ月とは この国を全て見て回るにはあまりにも短い時間だ だが その限られた時間で出来る限り現状を見てきたいと思う


陛下を助け 王都を頼む

最後に学園生には 朝の貴重な時間を割き この場に集ったことを感謝する』


広場に盛大な拍手が巻き起こる。その中を一人の騎士が進み出てきた。



「殿下 お気をつけてよい旅を ボレーリンでお待ちしております」

前第二騎士団副団長のヴィルホだ。彼と会話を交わしながら馬車に向かう。



ヴィルホは今月から第一騎士団へ異動になった。

次期将軍職に内定したためだ。数年第一騎士団での国境警備を担当した後、王都で城下の警備を監督し、その後に引継ぎを行うことになっている。


国境警備の地として彼が選んだのがボレーリンだった。

本格的な夏を迎える前には着任する予定だそうだ。


『夫人にもよろしく伝えてほしい 身体を大切にするように』

「有難いお言葉を感謝致します 必ず申し伝えます」

リリエンステット夫妻にはまもなく嫡子が誕生する。任地への着任まで猶予があるのは、第一騎士団長とボレーリン侯爵からの祝儀代わりだろう。ボレーリンへはヴィルホが単身で向かう。我が子に再び会えるのは数年先になるだろうから。



『では行ってくる』

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