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「殿下おはようございます 本日よりこちらでお世話になります」
『デルリオ卿おはよう 短い間ではあるがよろしく頼むよ』
クリスマス休暇まであと僅かとなったある朝、ベンヤミンの兄が執務室を訪ねてきた。
「こちらこそよろしくお願い致します
ところで弟はご迷惑をおかけしておりませんか?」
ベンヤミンの兄、ノシュール公爵家嫡男のデルリオ侯爵は、今日から鳶尾宮に執務室を移すことになった。
次の直轄地代官に内定したためだ。赴任するまでの数ヵ月間、ここで担当官と準備を進めることになっている。とは言ってもクリスマス直前の今は、官僚達もどこか浮足立っており、それはデルリオ卿とて例外ではないらしい。年内は執務室の移動を済ませるだけで、本格的な執務は年が明けてからになるのだろう。
直轄地代官には大まかに言って二種類ある。ドゥクティグ卿やコルペラ卿のように、原則引退まで勤め上げる任地と、数年の任期で赴く任地の二つだ。
今回デルリオ卿が向かうのは後者、北方直轄地だ。
ステファンマルクの北部地方は豊富な鉱物資源に恵まれてはいるものの、その過酷な自然環境のため、ほぼ全域が直轄地となっている。(例外が隣国ベーレングと国境を接するクルーム領だ。)
『卿の耳にも届いているだろう?ベンヤミンにはとても助けられているよ』
デルリオ卿が来てからちらちらと視線を寄越していたベンヤミンも、満足そうに笑みを浮かべた。
「それをお聞きして安心致しました どうも私の目にはいつまでも小さな弟のままでして」
まるで父親のようなことを言うデルリオ卿は、頭を掻きながら笑っている。
『それはそうと随分待たせたようで済まなかったね』
「とんでもございません この歳で任命頂けたことは大変光栄でございます」
直轄地代官を勤め上げることは出世コースの王道だ。中央で重職に就いているもの達の多くがその道を通ってきている。様々な厳しい条件をクリアした希望者が、僅か八つの椅子が空くのを待ち続けているのだ。
「人気の地に選ばれまして 仲間からも羨まれております」
『そうか 確かに北方ではあの地が一番人気らしいな』
「ええ 妻も安心して連れて行けます」
『夫人を?』
「はい 娘も連れて行きます」
北方直轄地の代官は、先の理由から妻子を本邸や王都に残して単身で向かうものも珍しくはない。それでも任地に帯同することを決めた夫人は逞しい。
『夫人や令嬢も貴重な体験をすることになるな』
「予想していた以上に赴任を待ちわびているようでして」
『それは良かった』
デルリオ侯爵の娘は確か三歳、いやまだ二歳だったか?どちらにして本格的に家庭教師をつける頃までには王都に戻ってこれるだろう。そう思えばいいタイミングだったのかもしれないな。
侯爵と入れ替わりで手紙が届けられた。
絹織物工場のオリアン、代官のコルペラ卿、オリアンとは別に工場長のオリアン夫人からのものもあった。それぞれがずっしりとしており、かなりの枚数が認められていることがわかる。
なんだろう?あの町には人間を筆まめにする力でもあるのだろうか。おびただしい量の日記を書き残しているあの町の神父のことを思い出して、少し身震いした。
それらに混ざって若草色の封筒があった。何度か手にしたことのあるその封筒を真っ先に開ける。
便箋の数ヵ所が丸く波打つように縒れている。インクが少し滲んでいる箇所もあった。
~親愛なる友人 レオ殿下へ
一昨日使節団が無事帰国しました。
最初にこの度の貴国の歓待にグリコス王家の一員として御礼申し上げます。
王家に連なる全てのものが呼ばれ、帰国早々の大使からこの度の報告を聞くことが出来ました。
これがどれだけ衝撃的な出来事だったのか、まずはそこからお知らせしなければなりませんね。この日の奇跡は必ずやグリコスの歴史に刻まれることでしょう。女性の王族が政治の場に並ぶということは、まさに奇跡と呼ぶにふさわしい、グリコスの歴史史上初めてのことでした。ただ一人初代女王を除いてね。
ありがとうレオ殿下、あなたは私の命の恩人よ。あなたは死にかけていた私の心を救ってくれました。ドミから受け取ったあなたの手紙を読んだ時の、私の気持ちがわかるかしら。どれだけ驚き嬉しかったか、そしてどれほど勇気を与えてくれたのか、とても文字では伝えきれないわ。
あなたの言葉に、私ももう一度だけ勇気を出す決心をしたの。おじい様と徹底的に話し合ったわ。前回以上にあなたの援護を感じた。そしてとうとう掴むことが出来たの。私が望んでいた以上のものを。
詳しい話は直接会って聞いてほしい。会ってくれるわよね?聞いて下さるわよね?
ああ、順序を間違えてしまったわね。でも書き直す時間も惜しいの。
ドミから全て聞きました。彼ったら途中で何度も声を詰まらせたのよ。
やっとの思いで話し終えると、あなたから頂いた剣を嬉しそうに見せてくれたの。素晴らしい剣を賜ったと何度も言っていたわ。私には剣のことはよくわからないけれど、彼があんなにも褒めちぎるのだから素晴らしいものだとわかるわ。
何度も自慢して満足した後で、不思議なことを言っていたわ。あなたと話す機会がなければこの剣をどう受け取ればよいか悩んだと思うと。どういう意味かしら?何度尋ねても教えてくれないの。いつかあなたに再会した時に聞いてくれですって。
年が明けたらステファンマルクへ向かいます。使節ではなく研修生として。
本当はすぐにでも行きたいの。けれど、ステファンマルクの冬は厳しいとおじい様が何度も心配なさるから、出発はもう少し後にすることにしたわ。職人も募らなくてはならないものね。それでもグリコスの山々が色づき始める頃には発つ予定よ。
職人も早速集まり始めているのよ。何人になるかしら。全て私が叶えたかった通りに進んで怖いくらいよ。何度でも言います、ありがとう。
レオ殿下がグリコスに与えて下さったこの大きなチャンスを、しっかりと実現させてみせるわ。私はあなたの友人なのですもの。時間がどれだけかかろうとも、成果を出してみせる、どうか期待していてね。
グリコスから出す手紙はこれが最後になると思うわ。次はステファンマルクでお会いしましょう。
あなたの友、ジェネット・エーデル=グリコス
コトッと音がした。茶を置いたロニーが私の手元を見つめている。
「その封筒はグリコスからでございますね」
『ああ ジェネットからだ』
「ご満足の内容でございましたか」
返事は聞かずともわかっているようで、ロニーも満足そうに表情が和らいだ。
『回り道をしたが 来年グリコスから職業研修生を受け入れることが決まった 文官も一人来るようだな』
「おお!今度こそジェネット殿下が来るのか?」
すかさずベンヤミンが立ち上がり駆け寄ってきた。
『ああ ジェネットも来る 確定だ』
「そっかー そうかー」
よかったなあ、よかったなレオ、と自分のこと以上に喜んでいるベンヤミンを見ると、私もこれでよかったのだと思えてきた。
使節団の前では強硬な姿勢を見せたものの、ステファンマルクの王太子としてこれが正しい行いだったのか、正直に言うと自信がなかった。内政干渉ではないだろうかとも何度も自問自答した。
陛下から頂いた言葉をいつも思い出す。成人した私は大きな力を手にした。当然力には責任も伴う、と。
力の使い方を誤ってはならない。自分の言葉に他国の運命を左右するだけの重さがあることを改めて実感した。
怖気づいたわけではない。正解へと導けばいいんだ。結果を出せばそれが正解なのだから。




