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執務室に戻り、先だって届いたジェネットからの手紙を取り出す。
何が起こっている?
手紙にはジェネットと国王が話し合いの場を持ち、その流れで使節団の派遣が決まり、彼女自らが大使に志願したと間違いなく書いてある。
ジェネットの病に関しては正直言って眉唾だ。予め予定されていたかのような返答だった。
彼女は婚礼を間近に控えた王女だ。使節団に加わることに難色を示されたとしても不思議はない。しかしその為代理としてあの大使を任命したのであれば、病と偽る必要がない上に、あのような書簡を国王が送ってくるはずもないのだ。
その話とは別にしても、グリコスには人材がいないのか?
何故現役を退いたような官僚ばかりを送ってきた?他国からの使節団で大使を務めるものは、大抵が王家に名を連ねるものだ。それを引退した一官僚に・・・
いや、人がいないわけではないだろうな。この人選は意図的に行われたに違いない。ステファンマルクは王も若い。陛下のご年代はまだ他国では殆どが王太子だ。
そこがつけ入る隙だと勘違いしたのか。グリコスの王は陛下を取り込もうと目論んだのかもしれないな。
私一人を懐柔するつもりなら老齢の大使を遣わすこともなかっただろう。経験もない若造を手玉に取るだけならば、現役の外交官で十分だ。
愚かだな。グリコスの寄越した大使以下三名の使節は陛下の父以上の年齢ではある。だがな、そこに経験の差があることにどうして気がつかない。ステファンマルクの王が年間どれほどの会見や謁見をこなしていると思っているのだ。陛下はグリコスの大使程度が太刀打ちできる相手ではない。そのようなこともわからないほど、グリコスは孤立した国だと言う意味だろうか。
陛下が謁見を拒否なさったのは、ご自身の多忙が理由ではないな。考えれば使節団が来ることは前もって知らされている。そこに重要な政務を当てることは不自然だ。
グリコスを友好国とお認めになる気はないということか。私一人で処理しろと言うことは、外交の大きな変更をするつもりがないということ、そしてもう一つ。恐らくは私をお試しなのだ。
「レオ?」
気遣わしげな顔をしたベンヤミンが目の前に立っている。
『ああ 済まない 少し考え事をしていた』
「グリコスはなんて言ってきたんだ?」
書簡を突き返したからな。ロニーやビルも気になっているところだろう。
『なんだったかな
軍事援助と相互協力 財政支援 文官の長期研修・・・あとは忘れた』
「は?なんだって?」
「随分と虫のいい話でございますね」
素っ頓狂な声を上げたベンヤミンに続いて、ロニーが辛辣な言葉を放った。
「ロニーの言うとおりだぜ それのどこが提携だよ」
「従属国にでもなるおつもりなのでしょうか」
ビルすら憤慨している。だがその通りだ。それだけのものを求めておいて尚対等な立場を主張するなど思い上がりも甚だしい。
「レオが怒るのも当然だわ」
『いや怒ってはいない 呆れただけだ』
「だよな 確かに呆れたわ 友好国でもないのによくそれだけのことを言えたな」
「いえ友好国でもあり得ないでしょう」
「だなー」
三人の言葉は止まらない。
「それとさ 大使にも俺は驚いたぜ 年寄りならレオが折れるとでも思ったのかな 甘いな」
「ええ 以前のレオ様でしたらいざ知らず 現在のレオ様にそのような手段が通用するはずがございません」
ロニー、それは褒めてくれているのか?あまりその感じはしないけれど。
「老齢の大使をお寄越しになるのでしたら 王弟にするべきだったのではないでしょうか」
「それでも結果は変わらないけどな」
「なあレオ 一応聞くんだけどさ 夜会はどうするんだ?」
『中止だ』
「だよな 晩餐も?」
『ああ 必要ない』
あ、夜会の通達は済んでいたな。どうするか。
『ロニー 中止はまずいか?』
「そうですね 実質レオ様がお開きになる初めての夜会ですから 期待されている方も多いかとは思います」
困ったな、使節らを歓待する必要はない。しかし彼らが滞在している側で夜会を開くのも・・・参加者もあれこれと詮索するだろうしな。
『少し考える 今日中には決める』
「かしこまりました」
「殿下 こちらをお預かりして参りました」
ようやく静まった頃、本宮の騎士が手紙を一通届けに来た。騎士が手紙を運んでくるなど初めてのことだ。
『珍しいなリサーク卿 騎士団からか?』
「いいえ 本日到着しましたグリコスの同行騎士でございます 必ず直接渡してほしいと念を押されました」
グリコスの騎士、か。
『わざわざ済まなかったな』
「とんでもございません では失礼致します」
差出人の名前を確認し、早速封を切って中身を取り出した。
・・・・・
読み終えた手紙を持ったまま立ち上がる。そのまま扉へ向かうと皆慌てたように動き出した。
「レオ?どこに?」
『ああ そのままでいい』
扉を開け、外にいた騎士に伝言を頼んだ。
『至急リサーク卿に伝えてくれないか 手紙を渡した騎士を呼んでくれと言えばわかる』
「かしこまりました すぐ伝えて参ります」
扉を閉めて振り返ると、三人が揃ってこちらを見ていた。
『手紙はジェネット殿下からのものだ』
私に直接渡せと念を押した手紙だ。個人的な内容のものではないが、見せることは躊躇われた。
『国王の書簡とジェネットの手紙の内容は大きく乖離している どちらが真実なのだろうな』
その場にいる三人が揃って物言いたげな顔をしている。
『遠慮なく話してくれないか 三人は謁見の様子もつぶさに見ていたのだからな』
「レオ様はジェネット殿下との友情から 殿下へ個人的な支援の提案をされたと私は認識しておりました」
最初に口を開いたのはロニーだった。
「俺もレオからそう聞いた」
『口約束だったからな 手紙の一枚でも渡しておくべきだった』
私の言った言葉は一切残っていない。二人の会話を聞いていた第三者すらいないからな。だからジェネットが曲解してグリコス王へ伝えていたとしたら、今回の使節団の話も納得がいく。
のだが、前回届いた手紙、そしてたった今受け取った手紙でもジェネットは一貫していた。私は彼女を信じたい。一国を統べる王よりも、言葉を交わしたことのある友を信じると言うのは青いだろうか。
「殿下 グリコスの騎士が見えました」
『通してくれ』
ゲイル以下四名の護衛騎士と共に一名の男が入ってきた。騎士服の上からもわかる鍛え抜かれた身体、そしてこの状況でも委縮することなく騎士然とした佇まいに好感を持った。
『よく来てくれた 私がレオだ』
騎士は最敬礼してから名乗った。
「ステファンマルク王太子殿下にお目にかかります グリコス王宮騎士団ドミニクス=オルソンと申します」
『オルソン卿 手紙は確かに受け取った
その手紙を読んだ上で ジェネット殿下が最も信頼する人物だという貴方に聞きたいことがある』
そう、先程の手紙の冒頭にはこう書いてあったのだ。
~レオ殿下
時間がないの。礼儀を欠いた文章をお許し下さい。この手紙を私が最も信頼する人に託します。手紙が無事貴方の元へ届くと信じて。
オルソン卿は僅かに瞳を揺らせた。
『ああ 貴方がグリコス王家に忠誠を誓う騎士と言うことは理解している 忠誠を揺るがすような質問はしないから安心してほしい』
「王太子殿下の深いお心遣いに感謝申し上げます」
『最初に聞きたい ジェネット殿下は無事か?』
束の間の沈黙が流れた。表情は変わらないもののオルソン卿は声を詰まらせながら答えた。
「はい 健やかにお過ごしでございます」
『軟禁されているというようなこともないか?』
卿の肩がぴくりと揺れる。
『済まない 答えなくてもいい 元気だとわかれば充分だ』
「いえお答えさせて下さい 姫様は我々の出国まで監視がついておりました」




