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明日グリコスの使節団が到着すると知らせがあった。
ジェネットは大使に任ぜられたのだろうか?まさかこんなに早く再会することになるとはな。
「ジェネット殿下がいらっしゃるのか?」
『どうだろうな 知らせには使節団としか書かれていないが 国王に直々に願い出たそうだから来ているのではないか?』
「レオの友人だからな 失礼のないようしっかりもてなさないと」
一人ソワソワとしているベンヤミンを、ロニーとビルが生暖かい目で見守っている。
「夜会は一日だけでいいのか?」
『ああ 充分だろう』
夜会など面倒でしかないが、開かないわけにもいかない。成年になって厄介だと思うことのこれが第一位だ。
「レオは夜会嫌いだな」
『ああ』
パートナーが参加しない夜会など何が楽しいのかわからない。パートナー不在はベンヤミンも同じはずなのに、ベンヤミンは不思議と乗り気だよな。
実のところ、正式に私の婚約者と公表された今スイーリは夜会に参加することは可能なのだ。本人が望めばもちろん拒むつもりはない。けれど、今は無理に参加する必要はないと思っている。ただですら学園生は忙しいのだ。毎日みちみちに詰め込まれた授業をこなすだけで精いっぱいということは、身をもって知っている。
その代わり晩餐には招待する予定だ。スイーリもジェネットに会いたいと言っているからな。ジェネットに対しては複雑な思いもあるだろうに、スイーリの前向きな姿勢にはいつも感心させられる。
あくる日。
「殿下 アントニー=フィッセル大使以下グリコス使節団五十二名到着致しました」
『わかった』
「十二名が謁見の間にてお待ちでございます」
謁見に同席するグリコス担当官のエイラー=クランツ卿が、使節団の到着を伝えに来た。
アントニー=フィッセルと言ったか?聞いたことのない名だな。
「ジェネット殿下は大使ではなかったようですね」
立ち上がったベンヤミンも少し意外そうな声を上げた。私も内心では多少驚いている。
「殿下 使節団の方々は本宮で陛下から謁見を拒否されました」
『そうか』
妙だな。
この件が全て私に任されていることは事実だ。しかし陛下が謁見を拒否なさるとは。今日使節団が到着することは伝えてある。どうしても外せない政務がおありだったのだろうか。
『とりあえず行こうか』
クランツ卿、ベンヤミン、ロニーにビル、それと四人の護衛と共に謁見の間へ向かう。
まず控えの部屋に入り、クランツ卿から使節団の詳細を聞いた。
「大使を務めておりますフィッセル卿は 以前外交を担当していたものでございます 彼の下に三名 残り八名は研修予定の文官と聞いております」
・・・・・
『そうか』
文官の研修―ジェネットの手紙には一切書かれていなかったことだが。
「殿下?」
ベンヤミンが気遣うような視線を向けている。
『ああ ここであれこれ考えるのは無駄だな 早く会うことにしよう』
立ち上がり謁見の間へと続く扉へ向かった。
ここ、鳶尾宮の謁見の間も基本的には本宮のそれとよく似ている。白と金を基調としていてメインホールの何倍も煌びやかだ。一番高い場所には椅子が一脚据えられている。私がその椅子に座ると、段の下左右にクランツ卿達が並んだ。
「フィッセル大使 ステファンマルクはグリコスの訪問を歓迎します」
クランツ卿が口火を切る。
フィッセルと思われる男の後ろに並ぶ十一名をざっと見回す。全て男だ。ジェネットは来ていないか。
「王太子殿下 謁見を賜り誠に感謝申し上げます 使節団大使のアントニー=フィッセルでございます」
その男はビルの養父、リンドフォーシュ卿のさらに一回りは上と思われた。以前担当していたと言ったのは、すでに引退した官僚と言う意味だったのか。そんなロートルを引っ張り出してきてなんのつもりなのだろう。
顔を上げた後ろのもの達にも目を向けた。大使のすぐ後ろに並ぶ三名いずれもが老齢、と呼んで差し支えない風貌をしていた。
そして一番後ろに並んでいるのが、研修予定と言われている文官か。
「こちらは我がグリコス王からの書簡でございます ご高覧頂ければ幸いでございます」
大使が差し出した書簡をロニーが受け取り運んでくる。その場で封を切り中身を取り出した。
『拝読する』
読み終えて一度ゆっくり目を閉じた。そのまま大きく息を吸い込み、倍の時間をかけて吐き出す。問題ない、今私は冷静だ。
『大使はこの書簡の内容をご存知か?』
「はい わが国とステファンマルク間の親善並びに提携に関する要望かと存じ上げます」
『クランツ卿 これを返却してくれ』
たった今受け取ったばかりの書簡を渡した。クランツ卿はそのまま大使の前へ進み、それを差し出す。
「王太子殿下はこちらを受け取ることが出来ないと仰せでございます」
初めて大使の顔色が変わった。
「お待ち下さいませ 理由を!せめて理由をお聞かせ下さいませ」
『では反対に聞くが 何故私がグリコスの要望を聞く必要がある?』
大使は唖然とした表情を隠すこともなく立ち尽くしている。
しらを切るつもりか?舐められたものだ。孫ほど離れた私のことなど簡単に丸め込めるとでも思っていたか。
『一度だけ聞く 今回この使節団が結成された理由は? 何故友好国でもないステファンマルクに提携を持ち掛けることになったのだ?お聞かせ願おうか』
大使は振り返り、後ろに並ぶもの達と顔を見合わせたかと思うと、ひそひそと話し始めた。
おいおい謁見の最中ではないのか?
ついため息が出た。使節団の左右にずらりと並ぶ騎士の中には呆れた顔をするものや、険しい表情を見せているものもいる。
切り上げてしまおうかと思っていたところで、大使がこちらに向かって大仰な身振りで話し始めた。
「大変僭越ではございますが申し上げます 先だって執り行われましたステファンマルク王太子叙任式の際 レオ王太子自ら我が国への協力をお申し出頂いたと聞いております」
『ほう?初耳だな それを大使に告げたのは誰だ?』
ここでジェネットの名前が出れば譲歩しようと思った。しかし最後まで大使の口からその名前を聞くことはなかった。
「はい グリコス国王より直接お話しがありました」
『グリコスの国王陛下が叙任式に参列していないことは大使も承知と思うが』
「それは・・・」
『私の叙任式にはベーレングの王家も参列頂いた 友好国であるベーレングの前で私がグリコスに協力を申し出たと思うか?』
大使は赤い顔をしたまま俯いている。ベーレングとグリコスは未だ緊迫した関係だ。そのためグリコスと友好的な関係を築いている国はほぼ存在していない。ベーレングとグリコスを天秤にかけた場合、どちらを取るかは誰に聞いたって明らかなのだ。
もしかするとこの老人は本当に何も聞いていないのかもしれない。この無礼極まりない書簡を送ってよこした国王の言葉を鵜吞みにしているだけで。だがそんな事情はどうでもいい。大使に任ぜられた時点で国を代表してこの場に立つことは決まっていたのだから。
さてどうしようか。このまま追い返しても構わないが、友人の国が送った使節団だ。最低限の礼儀は尽くすべきだろう。彼女のことも気になる。
『ジェネット殿下はどうしている?私は彼女が大使だとばかり思っていたのだが』
その問いには間髪入れず答えが返ってきた。
「ジェネット殿下は病に臥せっておられます」
『病?』
「はい ですがご心配には及びません 今頃はもう回復に向かっておられることでしょう」
・・・へえー病ね。国を発ってそれなりに日数が経つと言うのに、回復の時期までわかるのか。
『遠路お越し頂いたのだ すぐに帰れとは言わない 視察を望むならば案内をつけよう』
これ以上話すことはない。視察団一同をその場に残したまま謁見の間を後にした。




