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出迎えの侍女達に籠を渡す。
「おかえりなさいませ」
『うん ブルーノに届けてもらえるか?』
「かしこまりました まあ!とてもたくさんでございますね」
「ああ 俺達が頑張ったんだ なあソフィア!スイーリ!」
うるさいな、ベンヤミンの手柄を横取りするつもりはないから安心しろよ。
得意げな顔をじとりと睨みつけると、後ろからクスクスと笑い声が聞こえる。
「サロンも整ってございます」
『ありがとう 三人を先に案内してやってくれ それとブルーノに厨房を借りに行くと伝えてほしい』
「厨房を・・・はい・・・? 承知致しました」
返事はあったものの、侍女は籠を持ったまま誰一人動こうとしない。お互いに目を見合わせたかと思うと、その視線は再び私に集まった。
「あの どなたがお使いになるとお伝え致しましょう」
『私だ』
その時後ろから別の声が聞こえた。
「私がお伝えして参ります 遅くなり申し訳ございません」
急ぎ足で近づいてきたのはロニーとビルだ。
「いいえロニー様 私共がお伝えして参りますので」
慌てて籠を抱え直した彼女達に、すまし顔のロニーが答える。
「王太子殿下のご趣味の一つです ブルーノさんはご存知ですのでそのままお伝え下さい」
「はい!かしこまりました!」
勢いよく返事をしたかと思うと、侍女達は瞬く間に立ち去って行った。
「厨房に向かわれるのはお久しぶりでございますね 良いベリーが採れましたか?」
うん、ロニーは全く悪くない。悪気なく聞いていることはわかる。急に決まったことだものな。だが、ニヤニヤと視線を投げつけてくるやつが忌々しい。
『あーうん 詳しい話はベンヤミンにでも聞いてくれ 私は一度部屋に戻る』
サロンへはロニーが、私はビルと私室へ戻ることにした。
「賭け でしたか」
クスリと控えめにビルが笑う。
『ああ ベンヤミンは私と組んでいたのに酷いと思わないか?』
そうだよ、なんであいつだけ勝ったことになってるんだよ。
そんな不満を言いつつ私室に着いた。
上着とウエストコートを置いて、シャツを着替えるとすぐに厨房へ向かう。
「いつ頃からスイーツを作られるようになったのですか?」
『十二~三歳頃からだったと思う 学園に入ってからは減ったけどな』
ビルに話したことはなかったが、大方ロニーから聞いていたのだろう。ビルの受け答えは自然だった。
厨房の入り口には若い男が一人立っていた。
「殿下お待ち申し上げておりました こちらをお使い下さいませ」
手渡されたエプロンを腰に回しながら中へと入る。
『マルティンだったな 今日の厨房の様子はどうだ?』
「はっはい!日曜ですので普段より落ち着いております」
『そうか』
マルティンの言葉は本当のようで、今の時間厨房にいるのは殆どが下働きの若い少女だった。
ブルーノを中心とした製菓のエリアだけが活気づいている。
「殿下 お待ちしておりました 素晴らしいベリーをありがとうございます」
『急で悪いなブルーノ』
「とんでもございません この日を待ちわびておりましたよ」
賭けで負けたいきさつを話すと、ブルーノはクククと笑い声をあげた。
『私にかまわずブルーノは作業を進めてくれ 皆パイを楽しみにしていたからな』
「かしこまりました 殿下は何をお作りになるかお決めになっておられますか?」
それだよな、何せ急な話だったものだからまだ何も考えていない。
察したブルーノが助け舟を出してきた。
「本日の晩餐にお出しする予定で準備していたものがございまして―」
『わかった それを使わせてもらう』
ベリーを洗って砂糖をまぶす。私が摘んだリンゴンベリーや少しだけ混ざっていたラズベリーやスグリも全て入れる。それから砂糖が馴染むのを待つ間に粉をふるう。
今から作る生地はビスケットだ。ふんわりと軽い焼き上がりで、そのまま食っても旨い。
卵を割って白身と黄身に分ける。最初に卵黄を泡立てる。砂糖を加えてしっかりもったりとするまで泡立てたら次は卵白だ。卵白も砂糖を加えながらしっかりと泡立てる。こちらはピンと角が立てば完成だ。
卵を混ぜ合わせたところへ粉を加えたらざっくりと混ぜ合わせて絞り袋へと入れる。
天板に絞り出して粉砂糖を振る。それをオーブンに入れて、ベリーに戻る。
一晩置けるといいのだが、時間がないのですぐ火にかける。
瞬く間に厨房中に甘酸っぱい香りが広がった。
焼き上がったビスケットを小さなガラスの器の底に敷いて、出来立てのベリーソースをたっぷりとかける。ビスケットにソースが染み込むまでに、別の生地を仕込む。
粉と砂糖、牛乳と卵を混ぜた生地を作る。この生地は少し寝かせる必要がある。
生地が出来上がった頃を見計らって、マルティンが大きなボウルを抱えてきた。ブルーノが用意していたチーズクリームだ。それを絞り袋に入れて、先程のビスケットの上に絞り出す。
ベリーソースを乗せたらもう一度チーズクリームを絞る。
一番上にもたっぷりとベリーを乗せて一品完成だ。
「お預かり致します」
ここから数時間冷やした後が本当の完成となる。これは晩餐の後に出すとして、今すぐに食えるものを今から用意しようと思う。
寝かせた生地をフライパンで焼いていく。薄く丸く流した生地を焦がさないように焼いたら皿の上に取り出して折りたたむ。何枚も焼いては繰り返す。
全ての生地を焼き終えたら、再びベリーの鍋を温めて、ソースポットへ移す。
「完成でございますね 弟子達も感嘆のため息を漏らしておりましたよ」
「殿下のお顔を存じ上げておりませんでしたら 製菓長が引き抜いてきた職人だと思ったことでしょう」
専門家達からさんざもてはやされるほどむず痒いことはない。
そうだ、そのうち宮に小さな厨房でも作ろうか。頻繁に使うことはないだろうが、それなら誰を気にすることもなく自由に使うことが出来る。うん決めた、絶対作ろう。
『この皿の分はあの子達にあげてくれ』
先程からソワソワしながら野菜の皮をむいている少女達の方を見ると、ヒャッとかキャッとか声が上がった。
「かしこまりました」「殿下 あの」
ブルーノの声に別の声が重なる。後ろにいる彼の弟子達が私とブルーノを交互に見たかと思うと、遠慮がちに口を開いた。
「たくさんございますので 私達も少しだけ頂いてもよろしいでしょうか」
「も もちろんあの子達の分はしっかりと先に取り分けます!」
上目遣いの彼らの先頭で、ブルーノもニッコリと笑みを浮かべる。
『・・・素人が焼いたものだぞ』
わっ!と歓声が上がったかと思うと、一斉に感謝の言葉が飛んできた。
目の前で食われるのは居心地が悪い。彼らが手放しで褒めたたえる様子が目に浮かぶ。ここは早く立ち去るのが正解だ。
「レオ様 お疲れ様でございました このままサロンへ向かわれますか?」
ビルがワゴンを押して隣に立った。
『うん 行こうか』
「ありがとうございます 有難く頂戴致します」
「殿下ごちそうさまです!」「ビル様とロニー様の分も残しておきますね」
「パイが焼けるまで今しばらくお待ち下さいませ 焼きたてをお持ち致します」
エプロンを外し、スイーリ達の待つサロンへと急いだ。
レオが作ったものは、ベリーのティラミスとクレープでした。




