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『急に呼び出して済まなかったね』
「とんでもありませんレオ様 お手紙を頂いてとっても嬉しかったのですよ」
今晩はスイーリと食事を共にしている。
スイーリに手紙を出したのは二日前の午後だ。その日は学園の始業日だったから、スイーリが受け取ったのは夕方だったろうに、夜には返事が届いた。
『学園はどう?』
「はい ついこの間までレオ様が過ごされていた教室と思うと嬉しくて
あ!去年もその前も同じことを思ったのですけれど」
真っ先にこんなことを嬉しそうに話すスイーリが、いじらしく愛おしい。
時間さえ許してくれるのならば、いつだってスイーリに会いたいと思う。
私を見つめてくるキラキラとした瞳。すぐ真っ赤になる頬。美しく輝く手入れの行き届いた黒髪。突然突拍子もないことを言い出す小さな唇も全てが愛おしく、いつまでだって見ていたい。
これは自惚れではないと思う・・思いたいのだが、きっとスイーリも同じように考えているはずだ。
そしてこれは至極自然な感情で、想い合う二人ならば当然のことだと思っていた。
が、それは私の思い違いだったのだろうか。
今日はそれを聞きたくて、スイーリを呼び出したのだ。
でもまあ食事時にする話ではないよな。特にロニーになんて聞かれた日には、後から何を言われるかわかったものではない。
「そうそうレオ様 ヴェンラさんはお母様の名字に戻られたのですね」
そうだった。スイーリには話しておこうと思っていたのに、すっかり忘れていた。
『済まない スイーリに話すのを忘れていたな』
まだ新学期が始まって数日だと言うのに、もう広まっているのか。
無理もないか。噂好きなやつらばかりだからな。
「ロイリさんと仰るのですね ヴェンラさんに似合っていて可愛らしいわ」
『スイーリがそう言ってやったら喜ぶだろう』
ふふ、と笑いながらグラスに口をつけたスイーリの目が急に大きく見開かれた。
「レオ様 このシロップとても美味しいです!」
『そうか それはよかった』
スイーリが手にしているグラスには、ほのかなピンク色をした炭酸割りのシロップが注がれていた。よく見るとベリーも浮かんでいる。
「こちらダールイベック様のためにご用意したシロップでございます お口に合いましたか?」
「ええとても ありがとうございますロニーさん」
シロップのおかげでいい感じに話が逸れた。せっかくのスイーリとの時間に、他の令嬢の話などしていたくはないからな。
料理が運ばれてきた。これは―スイーリが喜んでくれるだろう。
「まあ!レオ様いちじくです!ご用意頂いたのですね」
皿の上には半分に割ったいちじくが乗っていた。
『スイーリが好きだと伝えておいたんだ 手に入ってよかった』
「ありがとうございますレオ様 とっても嬉しいです」
てっきりデザートで出されるものとばかり思っていた。スイーリが気に入る味だといいのだが。
いちじくにナイフを入れる。透き通ったソースがかかっていて、底には丸く型抜きされた黒パンが敷いてあった。王宮で黒パンが出されることは非常に珍しいことだと思う。少なくとも本宮の料理人がこれを出そうとは思わないだろう。
「美味しい― 蜂蜜と黒コショウが合うのですね 知りませんでした」
『うん 旨いな 黒パンもよく合っている』
ソースだと思っていたものは蜂蜜だった。そこに黒コショウがピリリと効いている。そして黒パンにはチーズが塗られているらしい。一度に口に入れるとなんとも複雑な味わいだ。
「本日はデザートもいちじくをご用意しております」
ビルのその一言で、スイーリの目じりがさらに下がった。一度は諦めたのかもしれない、いや忘れるしかなかった好物だものな。嬉しそうに食べる姿を見れるだけで嬉しいよ。
『スイーリ このいちじくはテグネール領で作られているそうだ』
「そうなのですね この国でもいちじくが採れるとは知りませんでした」
『うん テグネールでは何年も前に栽培に成功していたようだよ』
テグネールは今回ベンヤミンが視察する領のひとつだ。ノシュールとペルティラに挟まれた小さな伯爵領で、今まではこれと言った特徴もない領という印象だった。
『ノシュールまでの街道を整備して 最近になって運河を利用できるようになったそうなんだ』
「それで王都までいちじくが届くようになったのですね」
今回初めて知ったが、いちじくも桃と同じくらい柔らかい果物だ。これをテグネール領から王都まではとても馬車では運べないだろう。いち早く運河に目を付け、街道を整備した伯爵は実に機知に富んだ素晴らしい人物だ。おかげでスイーリが好物を楽しめるようになったのだからな。
『料理人も新しい食材に喜んでいた ダールイベック邸の料理人もそろそろ仕入れている頃ではないか?』
「ふふ そうだと嬉しいのですけれど」
食事を楽しんだ後は、場所を変えた。スイーリはいちじくのタルトを甚く気に入ったようだ。
「ブルーノさんのタルトも素晴らしいです クリームがとっても美味しい」
『ブルーノに伝えておくよ スイーリが来るたびにタルトを焼くようになるだろうな』
気がつけばロニーとビルも外に出たらしい。短い時間ではあるが二人で過ごすことが出来そうだ。ようやく今日の本題に入れるな。一度隣に座るスイーリを見る。にっこりとほほ笑む彼女と目が合った。
その視線を外して前に向き直ると、決めていた言葉で切り出した。
『なあスイーリ おかしなことを言うが聞いてほしい 私は出来ることなら毎日でもスイーリの顔を見たいと思っているし スイーリとの時間は何よりも大切だ』
自分でも恥ずかしいことを言っている自覚はある。顔を見られたくなくて、前を向いたまま一息に話した。
『スイーリは・・・よかったらスイーリのことも聞かせてく・・・れ― る か』
ちらとスイーリの方を向くと、胸の前で祈るように指を組んで、瞳は私の目をしっかりと据えていた。あ・・・知っている。これは最近何度か目にした姿だ。二人きりの時に聞いて正解だった。
「レオ様 私は肖像画を頂いて以前より寂しいと感じる時間は減りました それでもこうしてお会いできる時間の尊さはますます高まるばかりです レオ様が毎日見たいと仰って下さるのなら私は毎時間毎分お会いしていたいです 私にレオ様の願いを叶えることができるのでしたら毎日通わせていただきます ええ私の方が何倍もお会いしたいのですもの明日も明後日もお邪魔しても構いませんか?」
『う うん ありがとう スイーリならいつ来ても歓迎だ だがスイーリも忙しいだろう 無理はするな』
話の切り出し方を間違えたかもしれない。下手な前置きなどしようとするからだ。
『そうだ 日曜の都合はどうだ?スイーリの時間があればどこか出かけよう』
「はい!あります!もちろんありますレオ様!」
話がどんどん逸れていく。ここからどうやってベンヤミンの話に持っていけばいいんだ?
『日曜日の話は後で決めよう その前に先程の話の続き―と言うのでもないのだが ああいう話を令嬢同士ですることはあるのか?』
「はい?お友達と ですか?」
『あ ああ ソフィアはどうなのだろうと・・・ いや無理に言わなくてもいい いいのだが・・・』
ぐだぐだだ。もう自分でも何を話しているのかわからない。
ふふ、とスイーリが小さく笑った。
「ソフィア様が早く視察に向かうよう仰ったからですか?」
やはりスイーリは私の考えをいつも理解してくれる。こんな支離滅裂なことを言っているのに。
『うん 済まない 私には回りくどい聞き方は向いていないようだね
二人のことが少し気になったんだ』
次の春が来れば、私達は長い視察の旅に出る。王都に戻ってくるのは根雪が積もった後だ。私とスイーリはまだいい。その翌年からは揃って留学出来るからな。けれどベンヤミン達はその二年の間も離れ離れになるのだ。
ベンヤミンの意思で決めたこととは言え、このことが理由で二人がギクシャクするようなことがあれば、私も目覚めが悪い。
「ソフィア様は幼い頃からあまり感情を表に出さない方なのです」
『そうだね』
それは私も知っている。彼女が声を荒げた姿はおろか、大笑いしているところすら見たことがないと思う。感情の起伏が少なく常に冷静で穏やかな姿は、貴族令嬢の見本を見ているようだ。
「レオ様もご存知のことと思いますが それでもソフィア様は大変温かい心をお持ちの方ですわ」
『うん そうだな』
「ソフィア様が以前仰ったことがありました 王都で暮らすようになって夏も皆さまとお会いできるのが嬉しいと」
『そうか』
そうだったな。ソフィアが一年を通して王都で暮らすようになってまだ何年も経っていないのだった。
一年の半分程度しか会えない時期を経験しているからなのか、無欲なソフィアが健気に思えた。
『私が言うことでもないが ベンヤミンが不在の間ソフィアを支えてやってくれないか?』
「ええ ソフィア様は大切なお友達の一人ですから お任せ下さいませ」
表情や態度に出さないからと言って、何も感じていないわけではあるまい。スイーリと対照的とも言えるソフィアが、辛い思いをしないよう私達にしてやれることがあるなら手助けしてやりたい。
『私にとってもソフィアは大切な友人だ だが私が声をかけるよりスイーリの方がソフィアも安心するだろう 頼んだよ』
「でしたらレオ様!日曜日はベンヤミン様ソフィア様と四人でお出かけにしませんか?」
『わかった ベンヤミンに聞いておこう』
「お願い致しますレオ様 ソフィア様には私からお話ししておきますね」




