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ゲイルに任せておいた視察の護衛も決まった。本宮騎士に遠征経験のないものが少なくないため、今回は本宮の隊から護衛を出すことになった。なんだかんだ言って、鳶尾宮の騎士は大方遠征経験があるからな。
『ベンヤミン 護衛も決まった 騎士は準備に一日あれば充分だ ベンヤミンが出発日を決めていいぞ』
「わかった それじゃ月曜日に発つよ」
それを聞いてビルが静かに立ち上がる。
「出発日を伝えて参ります」
「あ!いいよビル 俺が行く ビルは俺の従者じゃないんだからさ」
休暇明けからベンヤミンは従者を連れてこなくなった。理由は敢えて聞いていない。聞いてはいないのだが、毎日朝から夕方まで主のいない執務室に押し込まれているのは、さぞかし苦痛だったことだろう。つくつぐ彼には同情する。
が、本宮に向かったはずのベンヤミンは、ものの数秒で戻って来た。
「外にいた騎士がさ 今から本宮の騎士と合流するからって伝言を引き受けてくれたんだ」
『そうか』
訓練の時間だ。
騎士団の訓練は基本的に一日二回ある。普段はそれぞれの騎士団毎に行っていて、王宮内で訓練しているのは第二騎士団だ。
『ではベンヤミン少しいいか ベンヤミンの視察中に船の話を進めておこうと思っている』
「おお!各町に備える舟だな」
『それもだが 肝心の定期船を確保しなくてはな』
荷馬車一台分ほどの小舟ならば、半年もあれば造ることができると聞いた。尤も今回は十五艘と数も多いため、もう少しかかると思っていた方がいいだろうが。
しかし定期船規模となると、数年はかかる。これを一から造っていたのでは時間がかかりすぎる。他の領地へ示すためにも、南部地域の定期船はできる限り早く開始したいからな。その為今回は今ある船の中から探すことにしたのだ。
『ダールイベックの港に長いこと遊ばせてある船を一隻見つけたんだ まずはそれを定期船に利用する』
「どこの所有なんだ?タダで借りると言うわけにもいかないだろう?」
『問題ないさ 長年全く使ってないのだからな』
それでもベンヤミンは承服できないと言った表情を浮かべたままだ。
「レオ 船は小さいものでも邸が一軒建つほどの資産だ こんなことは考えたくないが海の上を走る以上絶対と言うことはない 最悪の場合沈んでしまうと言うこともあるんだぜ それを無断で使うのはいくらレオでも―」
『無断ではないさ 問題ないと言っただろう?』
てっきりこれで安心すると思ったのに、ベンヤミンの顔からは血の気が失せていっているような気がする。
「レオ まさかとは思うがその船の所有者って・・・」
『王家だ これで安心したか?』
「いやいやいやいやいや 待てよレオ どう考えたってそれはダメだ」
五回も否定された。
『気遣いは不要だベンヤミン
私達には船が必要だ それもできるだけ早く そこに長年捨て置かれている船がある 使わない手はないだろう?』
「ちょっと待て レオだってその船がどんな船か知っているだろう?それは放置されていたんじゃない 保管されいるだけだ」
意外に頑固だな。ベンヤミンだって他に選択肢がないことくらいわかっているだろうに。
他にも使われていない船がないかは探している。しかしノシュール方面の運河が開通した時、そのほとんどが買い取られたんだ。恐らくこの先も不要の船が見つかる可能性は低い。
『ベンヤミン 物は使ってこそ意味がある 誰も乗せず何も運ばない船に価値などないさ』
「レオが乗るだろう!その船を使っちまったら どうやってメルトルッカへ行くんだよ」
なんだ、そのことを心配していたのか。
『それなら心配する必要はないぞ メルトルッカとは頻繁に船が行き来しているからな』
「レオ!」
どうしたって言うんだ。いつになく興奮していてベンヤミンらしくもない。たかが船一隻でここまで揉めることになるとは思ってもいなかった。
「レオはステファンマルクの王太子なんだぜ 王太子を一般の船になんか乗せられるわけないだろう」
『それではベンヤミンの意見を聞こう 案があれば話せ』
追い詰めるつもりはなかったが、ベンヤミンは黙ってしまった。
『ベンヤミン 三年後五年後では遅いんだ ノシュールが手本を見せてくれるのではなかったのか?』
「でもレオ・・・」
『では聞くが 私は乗る船ひとつで変わる程度の存在か?王家の船に乗らなければ保てないような面子しかないと思うか?』
言い負かすのが目的ではない。極めて静かに話しかけたつもりだ。だがベンヤミンが息を呑んだような気がした。
『何に乗ろうが何を身に着けていようが 私自身が変わることはない 少しは信じろ』
瞳を覗かれているはずなのに、その視線は私をすり抜けどこか遠くを見ているような、そんな感覚がする。
「わかったよレオ レオの意見を尊重する 船を使わせてもらうよ
いえ 使わせて頂きます」
暫く続いた沈黙の後、ようやくベンヤミンが首を縦に振った。
『ベンヤミンの気遣いには感謝する 私も自分を取り巻く環境が以前とは違うことを理解しているさ その上での判断だ』
ずっと先になって、この時のベンヤミンの心情を知ることになる。人はさ、自分の変化にはなかなか気がつかないものなんだよ、そうは思わないか?




