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「出会ってから数年・・・もっと正確に言うか えっと三年半くらいかな レオは俺のことを圧倒し続けた
多分俺だけじゃなかったと思う イクセルはわからないけど デニス兄やアレクシーも俺と同じ気持ちだったはずだ」
話す口調は穏やかだ。懐かしい昔話として語っていることはわかる。私の方は何を言われるのかと気が気ではないのだが。
『そんなに高圧的だったのか?』
「そうじゃない 言ったろ?常にニコニコしていたって 今だから笑って言えるけどさ 人形のようだったぜ 俺に言われても気持ち悪いだろうけど 幼い頃からレオは作り物みたいに綺麗な顔していたからさ」
『そうか・・・』
わかるようでわからない。ベンヤミンが言うに当時の私は、仮面のように表情が変わらなかったのだろう。少なくとも彼らの前では。毎日毎日三年以上もずっと薄ら笑いのような笑みを浮かべられては、気味が悪くなるのも頷ける。何故そんなことをしていたのかは、さっぱりわからないけどな。
「いつ頃だったかなあ レオは憶えているか?ある日突然レオが俺達に 今日から名前で呼べって言ったこと」
『・・・あったな そうだった』
言ったのは私ではない、レオだ。でも記憶の中にはしっかりと残っている。
『友達は名前で呼び合うものだ』
「そうそう!言っていい?俺その時ちょっと信じられなかった」
いや私も信じられない。半ば脅しじゃないか。当時の私に代わって謝りたいくらいだ。
「でも殿下のご命令だから お名前でお呼びしなくちゃって―」
そこまで言ってゲラゲラと笑い出した。笑ってくれて助かったよ。穴があったら入りたいってこういう時に使う言葉だったんだな。
『聞いていて恥ずかしくなってきた』
「今だから笑えるし 恥ずかしくも思えるんだよ 当時はレオのこと友人だなんてとてもじゃないけど思えなかったからなー俺」
やはりそうだったんだな。初めて私が四人と会った時、私の名には敬称が付けられていた。かけられる言葉は全て敬語で、そこには到底友情などなかったと思う。
『で それがある日突然消えたというんだな』
「そうさ あの日会ったレオは別人だった それが今俺の目の前にいるレオさ」
『あの日か・・・』
私がこの世界に来た二月のあの日だ。自分ではレオとして振舞っていたつもりだったが、別人と思われるほどとはな。当時言われてもわからなかっただろうが、今なら嫌でもわかる。
「俺達はその日の朝の出来事を事前に聞かされた 言葉も出ないほど驚いたんだぜ」
そうだろうな、当時のベンヤミン達にとってレオは何をやらせても完璧なやつだったのだろうから。
その完璧で何を考えているのかさっぱりわからない人形のような友人が、風呂で溺れたと言うんだ。私だったら、そら恐ろしくて逃げ帰りたくなっただろうな。
「いつものあの部屋に入った時 空気が違ったんだよ そしてレオ レオの目だ あの時見たレオの目は多分一生忘れない」
聞いて、いいよな?一生忘れられないほどの衝撃を受けた理由を。
『どんな目をしていた?』
「人間の目だったよ 初めて人間の目をしてると思った」
ふっ、緊張が緩んだ。無意識のうちに握っていた拳をゆっくりと開く。
「笑うなよ本当の話だって あの目を見た瞬間俺の中から恐怖が消えたんだと思う」
『そうか』
知りたかったことの全ては聞けなかったが、お互いに幼かったころの話だ。憶えていないのも仕方ない。そもそも全て忘れている私にこそ問題があるのだ。
「口調もがらりと変わったからな 気がつけば俺達も敬語じゃなくなっていたし レオと呼ぶことにも抵抗がなくなっていたな」
口調か。それまでどんな言葉を使っていたのかはっきり憶えていないんだよな。何故こうも記憶にムラがあるのだろう。
憶えていないものは仕方ない。いつかひょんなことから思い出すこともあるかもしれないし、このままずっとわからないままかもしれない。
十年以上も前のことなどどうでもいいことだ。思い出すのも恥ずかしいようなことを、忘れている方が寧ろ幸せだ。
『ありがとうベンヤミン 幼い頃の私が相当変わりものだったということはわかった』
素直に感謝の気持ちを伝えただけなのに、ベンヤミンは飲んでいたワインをゴフッとむせるし、目をパチパチとさせ驚いていた。
「ちがっ!俺変わりものなんて一度も言ってないからな!」
『あの頃のままの方がよかったか?』
「いや・・・」
ベンヤミンにそれまでのレオは別人だと言っても理解できないだろう。私が前世の記憶を持って生まれてきたと思っているのだろうから。人が生まれ変わることはまだ理解できても、ある日突然乗り移ることなど私だって信じられない。自分の身に起こったのでなければ。
『理由は私にもわからない でもあの日を境に自分が変わったことはわかる』
「うん レオの変化は俺達には僥倖だったぜ 今もあの頃のレオのままだったら 多分俺は今でもレオ様と呼んでいただろうな」
『今からでも呼んでいいんだぞ』
堪え切れず同時に吹き出した。
「過去の話をしても動じなくなったな レオ」
クイッと空にしたグラスにワインを注いでやる。今夜のベンヤミンはいつになくペースが早い。
『そうだな 割り切れたんだろうな 過去は変えられない 悩むだけ無駄だ』
「好きだぜ レオのそういうとこ」
『それは光栄だ』
「よし!それじゃそろそろお開きにしますか!」
『ああ いい夜だった』
「うん 今夜のワインは特に旨かったぜ」
立ち上がったベンヤミンを扉の前まで見送る。
「じゃ また明日 おやすみレオ」
『おやすみ』
一人になってもう一度暗い海に目を向けた。
父上に言われなければ、幼い頃のことはずっと思い出すこともなかっただろう。改めて思い出そうとすると、確かにいびつに感じることがいくつも浮かんだ。
ロニーやアレクシーにも聞いてみるか。
それとスイーリ。
スイーリから聞いたレオは正義感に溢れ、人間としての温かみも感じられるやつだった。
変だよな、あいつはどこで変わったんだ?




