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公邸に戻り一息つく。この邸にサロンはないらしい。とりあえずあてがわれている二階の部屋に向かった。うん、この部屋がいいな。すっきりとしていて落ち着く。
それにしてもこの邸の外観は何度見ても不快だ。この町に着く直前たまたまベンヤミンが色の話をしていたよな。その時に言えばよかった。
しかし目にする機会もあと数日だ。いやでもこの町の公邸があの色だと思い出すたびに腹立たしくなるだろう。
「レオ様いかがされましたか?」
『あ・・・うん やはり想像しているのと実際目にするのとでは違ったな』
今その話を持ち出すのもどうかと思い、工場の話に戻すことにした。
「はい 私も何度か動転する場面がございました」
ロニーのそんな様子は全くなかったように思うけれどな。涼しい顔をしながら狼狽えていましたとでも言うのか。
余程私が胡乱な目をしていたのだろう。ロニーはわざわざ付け加えた。
「お疑いでございますか?朱夏のお二人のお言葉の数々に何度も動転しておりましたのに」
クスッ
ビルの小さな笑い声が漏れた。
『確かにあの二人には圧倒されたな』
「怖いもの知らず でしたね」
『正直でいいじゃないか 裏表がないものは信用できる』
大変に印象深かった、ネリーとクラーラを始めとした工員達の話をしていたところ、部屋を訪ねるものがいた。ベンヤミンだ。
「俺も仲間に入れてくれよ 一人で部屋にいるのも退屈でさ」
ベンヤミンが一人を嫌うのは知っているさ。毎日私の執務室に入り浸っているのだからな。
四人で海を眺めながら話の続きをする。
「工場長が女性だったのには驚いたぜ」
開口一番そのことを言われた。やはり言い忘れていたようだ。
『だが適任だっただろう』
「ああ まだ半年足らずなんだろう?知らないやつが見たら この町の生まれだと思うだろうな」
ウルッポがどのような工場長だったのかは聞いていない。今更知る必要もないことだ。だがこれだけはわかる。オリアン夫人は工員達の心を見事に掴んだ。大変慕われていることもわかった。それは一般的な工場長と工員という関係とは少し違うかもしれない。でもそれでいい。ここにはここのやり方がある。
「二日続けて訪問することになるとは思いませんでしたね」
『明日はオリアンとしっかり話し合わなくてはな』
そうだ、差し入れをする約束をしたな。
『この邸にパン窯はあるか?』
「はい ございました パン窯とオーブンが備え付けてあります」
そうだった。ここには以前も住み込みの料理人がいたのだったな。王都で裕福と言われる商家でも、住み込みの料理人を雇えているものはほぼいないはずだ。何年前から雇っていたのかは覚えていないが、男爵に叙爵される以前から料理人を雇っていたとは、つくづく驚きだ。
『パンを多めに焼いておくよう伝えてほしい』
「差し入れですね 皆さんお喜びになると思います」
早速、料理人に伝えてくるとビルが立ち上がった。
『もう一ヵ所行かなくてはならない場所があるな』
ロニーが含み笑いを浮かべている。ベンヤミンはそれがどこかわかっていない。
「明日に致しますか?」
『ああ 今日はもう耳が疲れた』
「意外にもこの町の住人は話好きの方が多いのかもしれませんね」
「どこに行くんだ?」ベンヤミンの問いにロニーの方を見る。耳をひくつかせながら頷いたロニーが代わりに答えた。
「教会でございます この町の牧師には大変お世話になりまして」
「へえーそうだったんだ 俺も行くよ」
言ったな?自分から行くと今確かに言ったな?後から後悔しても責任は取らないぞ。
『わかった では明日の午前に行こう 日記も戻してやらないといけないからな』
「かしこまりました 馬車の用意をしておきます」
「え?そんなに遠いの?」
いいや・・・教会までは充分歩いていける距離だ。
『行けばわかる』
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夕食は獲れたての魚料理が振舞われた。
「魚だけは王都に負けないものをお召し上がり頂けます」
好奇心旺盛な男改め繊細な男コルペラは、食事の時間にもその繊細さを発揮した。
飯を食いに来たわけじゃないんだ。何が出されようと不満を言うつもりは一切ないというのに、一口口へ運ぶ度ハラハラと見守られたのでは落ち着かなくて仕方がない。
『卿は王都の飯が恋しくなったか?』
「いいえ この町に来て魚の旨さを知りました 毎日のように獲れたての魚が届きますから」
『ああ 王都ではどれだけ金を出してもこの魚は食べられないだろう』
「は い・・・」
残念だ、真意は伝わらなかったらしい。
「殿下はこれ以上料理のことで気を揉むなと言っているんだと思いますよ」
ベンヤミンがコルペラ卿に助け舟を出した。
「俺も感心しました 正直に言うとこんなにしっかりしたもてなしを受けるとは思っていなかったので」
『そういうことだ 料理人と夫人を労ってやらなくてはな』
卿と、その隣に座っている夫人が同時に目を瞠った。
「何故お気づきに・・・?」
理由か、夫人から厨房の香りがしたからと言ってはショックを受けるだろう。明日以降着替えて出てくるだけならまだいい、表に出なくなることも考えられる。真っ正直に答える必要はない。
『他の直轄地でも夫人が厨房を任されていることはあるからな 夫人も慣れないうちは大変だろう 感謝するよ』
「い いいえ 実家におりました頃から厨仕事を手伝うことはよくありました 身体を動かしている方が落ち着きますので」
確か彼女は男爵家の次女か三女だったはずだ。一般的な男爵家だと、平民と変わらず厨房は夫人が取り仕切ることが多い。娘がいればその手伝いをするのも自然なことだ。ビョルケイのような男爵家は特殊で参考にもならない。
『働き者の夫人がいて安心だ コルペラ卿は今後益々多忙になるだろうから しっかり支えてやってほしい』
「はい!お任せ下さいませ」
夫人とは夕食の席が初対面だったが、明るい性格のようだ。彼女なら住民にもすぐに溶け込めるような気がする。
その日は少し遅くまでコルペラ夫妻やベンヤミンと話し込んだ。部屋に戻り寝る前に少し本でも読もうかと思っていたところへ、誰かが部屋を訪ねてきた。
「お休みのところ失礼致します フロードとハーヴが到着しました」
ロニーと共にフロードとハーヴが部屋の前に立っている。
『入れ』
今回の視察に二人は同行していない。彼らは別件で三週間ほど前から王都を離れていた。それが何故ここにいる?
「急ぎご報告申し上げるべく直接こちらへ参りました」
『定着したのか?』
「それがダールイベックの―」
『そうか・・・』
想定外のことが起きた。
しかし意外とは思わなかった。寧ろ[疑惑が限りなく確信に近づいた]と言うことだ。




