[312]
「今日のお茶はね 先程トローゲン様が仰ったエルダーフラワーとミントの他に カモミールとローズヒップ それにりんごの皮が入っているの」
オリアン夫人が茶の説明をしている。随分と詳しいんだな。
「リーナさんに教えてもらったから 私達もエルダーフラワーをたくさん摘んだのよ」
「秋になったらローズヒップも摘まなくちゃね」
「このお茶は工場長が作ったものなのですか?」
両手で持ったカップを覗き込んでいたビルが尋ねると、彼女は嬉しそうに笑った。
「はい ローズヒップやりんごは去年摘んだものを持ってきました カモミールはこちらに来てすぐに種を蒔いて育てたものです」
「手作りなのか!」
オリアンがセルベール領の工場で染色の修行をしていた頃、夫人は経営の勉強の傍らで趣味のハーブティー作りをしていたそうだ。
「この町の近くでも豊富に材料が見つかりましたので 収穫が楽しみなのですよ」
『良い趣味だな 不足しているものはないか?欲しい種があれば今度送ろう』
元から綻んでいた頬が上気して赤く染まる。余程好きなのだな。
「あの・・・」
恥じらうように俯き気味だった一人の工員が、意を決したように隣に座るロニーに話しかけた。
「皆様もこの町にお住まいになられるのですか?」
「いいえ 私達は視察で参りましたから 明日以降新しく直轄地になった町を順に回ることになっております」
ロニーの説明に彼女は首をかしげる。
「直轄地と言うのは?町を回った後はまたこの町にお戻りになるのですか?」
相手が誰であろうと常に慇懃なロニーは、彼女に対しても丁寧に答えを返した。
「説明が不十分で失礼致しました この町を中心に近くのいくつかの町は 王太子殿下が直接お治めになる特別な地区になったのでございます 先日赴任してこられたコルペラ卿はその代官なのでございますよ
そして私共は数週間の視察の後は王都に戻ります」
ロニーのその返答に皆ため息を漏らした。そのため息の意味は様々らしい。期待するような目のものもいれば、失望のような顔も見受けられる。
「どうやら喜ばしいお方と そうではないお方がいらっしゃるようですね 理由をお伺いしてもよろしいですか?」
ロニーも彼女達の表情の違いには気がついたようで、それは私も気になるところだ。
「あなたはがっかりされたご様子ですが」
ロニーは最初に話しかけてきた隣の女性に聞いている。
「はい・・・皆様がすぐお帰りになると仰るので・・・」
うんうんと何人もが頷いた。
「王都から来た方は皆男前だからねえ」
カカカと笑ったのは、彼女の母親ほどの年齢の女性だ。
「もう!ネリーさんは黙ってて!」
「冬に騎士さんが来た時から大騒ぎだったじゃないか 今更隠すこともないじゃないのさ」
「それにしても今日来られた方は皆さんびっくりするほど男前揃いだねえ」
ネリ―と呼ばれた女性と同じくらいの年恰好の女性も話に乗る。
「私もあと二十若かったらノラみたいにそわそわしちまってただろうよ」
言いながらまたカカカと豪快に笑う。
オリアン夫人が珍しくハラハラとした顔をしているから、片目を瞑って合図を送った。
「皆さん結婚はされてるんですか?」
ネリ―のその一言で、なぜか小さな悲鳴が上がる。
私達は顔を見回し、自然とその視線はゲイルに集まった。
「私は妻がおります」
悲鳴がそのままため息に変わる。
「他の方は独身というわけですね」
年配女性二人組は臆することなくグイグイと攻めてくる。女性が集まるとこういう話をするんだな。
「俺は美人の恋人がいるよ」
そう言い切ったのは勿論ベンヤミンだ。
先程よりもさらに大きなため息が漏れる。
「こんなにいい男じゃ 恋人がいて当然だあね」
「残念だったなあノラ」
二人がまた豪快に笑いだした。笑い方まで似ているな。
「もう!やめてよクラーラさんまで!」
「いいじゃないのさ この町に若い男が来るなんて数十年ぶりなんだからさ 私らもはしゃいじまってるのよ」
数十年ぶり―そうか、それはパルード人のことを言っているんだな。
外部のものが殆ど訪れない町なだけに、どれほど閉鎖的なのだろうかと身構えていたから、彼女達のことは少し意外だった。成程、過去に言葉も通じないもの達を受け入れた経験があったからか。
「それで」
ようやく笑い終えたクラーラが、じっと私を見てきた。
「一番の男前さんはどうですか?」
「何聞いてんだいクラーラ いないわけないだろう 一生に一度お目にかかれるかって男前よ?」
「それもそうだねえ」
二人はそれで完結したらしく、またもやカカカと笑い出した。
「正解 レオには婚約者がいるぜ」
私の替わりにベンヤミンが答えてしまった。私も美人の婚約者がいると言いたかったのに。
「カー!」
笑いがそのままうなり声に変わった。
「うちのレオと大違いだわな」「ネリーんとこのレオとは大違いだわな」
全く同時に同じことを。なんとも息の合った二人だ
「うちのレオもこの半分でもいい男だったらねえ」「ねえ」
年配二人組に圧倒されていた残りの女性の一人が小声で教えてくれた。
「ネリーさんの旦那さんもレオさんって言うんです」
「さあさ今のうちにうんと目の保養しとかんとね ほらノラもドルテも美人の実食べて元気だせいな」
「ビジンノミ?」
即座に聞き返したベンヤミン以外も皆がわからないという顔をしている。私もだ。
「これのことなんです 肌がきれいになるって言われていて よろしければお召し上がり下さい」
「グズベリーですね 俺も好きです」
嬉しそうに実を眺めているのはビルだ。王都でも手に入るが生で食べることは殆どない。
「今朝摘んできたばかりだから美味しいですよ」
クラーラも薦めてきたので皆で手を伸ばす。
「おー!旨いな生で食べたのは初めてだ」「はい 旨いですね」
様々なベリーが楽しめるステファンマルクで、このグズベリーも間違いなく旨いベリーのひとつだ。そして生で食べても充分旨いことを今知った。
「リーナさんが来てからこの時間が楽しくてね この仕事続けてきて良かったと思いましたよ」
先程までの豪快ぶりとは打って変わり、ネリーがしみじみと語り始めた。
「以前は昼食の時間しか休憩がなかったからねえ」
「それが今じゃ」
そこまで言うとまたカカカと笑い出した。
「リーナさんが工場長になって 午前と午後にお茶の時間が出来たんです」
「毎日リーナさんが美味しいお茶を用意してくれて ね」
若い工員達もオリアン夫人を見ながら嬉しそうに話を続ける。
「今では皆さんも差し入れを持って来て下さったりして 私もこの時間がとても楽しみなんですよ」
夫人もグズベリーを一粒つまんで笑った。
心配する必要は全くなかったな。彼女ほどこの工場に相応しい責任者はどこを探してもいないだろう。才能溢れる染色師のオリアンと、天性の人たらしである夫人。二人に任せておけば安心だ。
「ところでこちらのお二人はお役人様でしょう?残りの方は騎士様ですよね もしかして王太子様の騎士様なんですか?」
「まさか お役人様と一緒に来られたのよ?」
顔を見合わす。お役人様と呼ばれたのはロニーとビルだ。ベンヤミンは気味が悪いほどニヤニヤしているし、ゲイルとジェフリーはお互いの顔を見た後、揃って私に視線を移した。
「正解です 自分と彼は王太子殿下の騎士です」
ゲイルの言葉にわっと歓声が上がった。
「当たった!王太子様を見たことがありますか?」
「ええ それはまあ」
再びキャーと声を上げたのは若い工員達だ。
「どんなお方なんですか?」「おいくつなのかしら?」「この町に王太子様も来られますか?」
年齢は関係なかった。若い彼女達も矢継ぎ早に質問を繰り出す。なんだか名乗りづらくなったな。
「あんた達 そんな雲の上のお方がこの町なんかに来るかね」
「そうさ 夢見るのもいいけどさ もう少し現実味のある夢にしときなさいな」
「わかってるわよ いいじゃない聞いてみるくらい」「そうよそうよ ねー!」
最早私達は眼中にないのかもしれない。最初のようにすっかり賑やかで楽しそうに話しが弾みだした。
その時転げるようにこちらへ走ってくる男が大きな声で叫んだ。
「おいリーナ そんなところで何を!
殿下!」




