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扉が開いた途端大きな音が飛び込んできた。成程耳を塞いでいてもこれだけ聞こえるのだから、そのままでは耳がどうにかなってしまうな。
オリアン夫人が扉を開けた先で頭を下げて待っている。六人全員が中に入ると、静かに扉を閉じた。
振り返ると彼女はニコニコと笑みを浮かべたまま、もう一度丁寧に頭を下げた。自由に見て回れと言うことだろう。そうだよな、説明を聞こうにもここでは、耳元で怒鳴りつけでもしない限り聞こえそうにない。ざっと見て回り、気になることがあれば後から聞くことにしよう。
工場の中も、柔らかな陽射しが差し込んでいてとても明るかった。
横一列に並んだ織機では、空色の生地が織られている最中だ。初めて見る光景に皆興味をそそられているようで、中でもベンヤミンとビルは食い入るように機械の動きを凝視していた。
それにしてもなんと時間のかかることだろう。暫く眺めていても殆ど織りが進んでいるように見えない。一枚の布が織り上がるまでに、一体どれほどの時間がかかるのか。
これだけ手間のかかる絹織物を、ぞんざいに扱っていたウルッポに改めて腹が立った。
腹が立ったのだが、ほんの僅かずつでも織り進んで行く細くて美しい糸を見ていると、心が凪いでいくから不思議だ。何度見ても素晴らしい布だ。オリアンには感謝しかない。
先程の部屋へ戻ることにした。分厚い扉が閉められたのを確認してから耳に手をやる。
「桜貝は織り上がりまして 今は紫陽花の製作中でございます いかがでしたでしょうか」
『それは生地に付けられた名前なのか?どちらもよい名だな』
ハッとしたように、両手で口元を押さえたオリアン夫人が慌てて付け足す。
「はい!ご報告が後になり申し訳ございません 仮の名前で呼ばせて頂いておりました」
『仮と言わず それを正式な名にしよう 誰が付けたんだ?』
顔が赤くなったところを見ると、工場長自らの命名らしいな。
『今後も新作の名付けを頼む』
「承知致しました 大変光栄でございます」
ニッコリと笑うとまたペコリと頭を下げた。
その時工場の扉をコツコツと叩く音が聞こえた。重い扉がゆっくりと開く。
「リーナさん 休憩の時間になったわ」
細く開いた扉から、恐る恐るこちらを覗くようにして声をかけている女性がいる。
「急いで用意するわ!先に行っていてくれるかしら」
『私達のことは気にせず 普段通りにしてくれ 休憩の時間だな?』
「ありがとうございます 今お飲み物をご用意致しますのでよろしければこちらでお待ち下さいませ」
長椅子がいくつか並んだこの場所は休憩場なのだろうか。でも工員達はこちらに来る様子ではなかったな。
湯を沸かすでもなく、彼女はパタパタと外へ駆け出して行った。
「自宅まで取りに戻ったのでしょうか」
『どうだろうな オリアン夫妻の自宅はここからは少し離れているはずだが』
以前ビョルケイ母子が暮らしていたオリアン夫妻の自宅は、教会の裏手にある。小さな町とは言っても湯を沸かしに戻る距離ではないように思うが。
五分くらい経っただろうか。小さな木樽を抱えたオリアン夫人が戻ってきた。駆け寄ったジェフリーが木樽を引き受け運んでくる。
「今日は暑いので川で冷やしておりました」
ニコニコと笑顔のまま棚から木のカップを取り出していく。
『彼女達が待っているのではないか?先に用意してやってくれ』
「工員達はここで休憩するのではないのですか?」
私達が陣取ってしまい入ってこれないのではないかと、ビルも気になっているらしい。
「最近は外で休憩を取っております 陽射しを浴びたいそうでして」
『私達もそこへ行こうか お邪魔かな?』
工員から話も聞きたかった。ちょうど休憩の時間になったことは都合がいい。
「はい!喜んでご案内致します」
オリアン夫人はテキパキとトレイの上に人数分のカップを乗せると外に向かって歩き出した。木樽を持ったジェフリーがその後に続く。
「コンティオーラ様 ありがとうございます 重たいのに申し訳ございません」
小柄な女性から心配されてはジェフリーも苦笑いだ。ゲイルも苦笑している。
二人の後をついて野外の休憩所へ向かった。
木でできたテーブルを囲んで大きな丸太が何本も置いてある。切り株の上に座っているものもいるようだ。賑やかに笑う声が聞こえていたのだが、私達の姿を認めるとその声はピタリと止んだ。
夫人が紹介しようと振り返ったのを止めて、先に声をかける。
『オリアン夫妻と共にここの立て直しを命じられてね 先程着いたばかりなのだが 混ぜてもらえるだろうか』
キョロキョロとお互いの顔を確認しあうように見ていた工員達は、少しずつ端に寄った。一人の女性がおそるおそると言った調子で立ち上がる。
「どうぞ こちらにお掛け下さい」
『ありがとう お邪魔するよ』
ロニーやビル、ゲイル達も丸太に腰を掛ける。
「今日も冷やしておいたのよ ドルテさん配ってもらえる?」
茶を注いでいたオリアン夫人は、隣に座っている女性に声をかけた。ドルテと呼ばれたその女性がテーブルの上にカップを置いていく。
「どうぞ リーナさんのお茶は美味しいんですよ」
『ありがとう』「ありがとうな」「いただきます」
皆にカップが行き渡ったところで、オリアン夫人も空いていた場所に腰を下ろした。
「あれ?これなんの味だ?」
先に口をつけたベンヤミンが独り言のように呟いた。すぐさまもう一口飲んでいるところを見ると、気に入らなかったわけではないらしい。
『いい香りだな』
「ハーブティーですね エルダーフラワーとミントは入っているようですが」
いつも様々なハーブティーを用意するロニーは、いくつか見抜いたようだ。
「流石ですね 俺全くわからないや でも旨いです!」
『うん 旨いな』
私達が口々に褒める様子を見ているうちに、工員達も少し緊張がほぐれてきたようだ。
「毎日これが楽しみなんです ねっ!」
「ええ 今日はどんなお茶かなってね」
「リーナさん 今日の種明かしはまだなの?」
急かすようにねだられて、オリアン夫人も嬉しそうだ。それにしても彼女はいつもニコニコと笑っている。笑顔の絶えない明るい性格はすぐにここで働くもの達にも受け入れられたのだろう。この町に来て数ヵ月とは思えないほど打ち解けあっているように見える。




