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公邸の入り口には、代官のコルペラ以下数人が出迎えに出てきていた。
「王太子殿下 遠路お疲れ様でございました お待ちしておりました」
門の中には馬車一台がやっとだ。門の外では応援に駆け付けた第一騎士団の指揮の元、早速半数ほどの騎士が野営の準備に向かっていった。
『出迎え感謝する
ノシュール卿紹介する 彼がこの地の代官 リスト=コルペラ卿だ
こちらはベンヤミン=ノシュール卿 私の補佐を務めてくれている』
ベンヤミンとコルペラ卿が握手を交わした。
「ノシュール卿 お越しいただきありがとうございます」
「世話になります」
「最初に邸をご案内致します」と言うコルペラ卿について邸の中へ足を踏み入れた。
初めに通されたのは彼の執務室だ。
「こちらは以前ビョルケイ男爵の書斎だった部屋でございます 調度品は全て再利用致しました」
部屋の中をゆっくりと見回す。壁一面の書棚もまだまばらだ。ここに置かれていたという背表紙だけの本の置物は処分されたようだ。
この部屋に毒が隠されていたんだったな。無意識のうちに喉のあたりを触っていたらしい。思案顔なロニーと目が合い少し慌てた。もうすっかり忘れたつもりだったのだがな。身体は正直ということのようだ。
『マホガニーか』
調度品に視線を移した。呆れるほど豪華な執務机だ。机も椅子も、キャビネットやランプの脚に至るまで、全ての家具がマホガニー材で統一されている。コルペラ卿がわざわざ再利用と強調したのも納得だ。
「他の部屋もほぼ全てマホガニーのようです」
コルペラ卿は背中を丸め小さくなっている。
『卿が恐縮する必要はない それにしても素晴らしいものばかりだな』
「はい 初めて目にした時は大変驚きました」
執務机の上に翡翠の原石がひとつ置かれていた。思っていたよりも大きい。子供の頭くらいはありそうだ。重いな。
「これが この町で採れた翡翠ですか」
ベンヤミンが興味深そうに覗き込んできたので、手渡してやる。
「こちらもこの部屋に置かれておりました ビョルケイ男爵・・・ビョルケイが採取したもののようです」
その後も邸の中を見て回った。
「ここはホールのようなのですが・・・」
コルペラ卿が躊躇いがちに開けた扉の向こうは、がらんとした空っぽの部屋だった。全ての窓が開け放たれているのだが、潮の香りに混じって僅かに不快な臭いがする。
『ここには最初から何もなかったのか?』
「いえ マットが大量に敷かれておりました それが大変な悪臭を放っておりましたので即処分したのですが・・・」
それがこの臭いの原因か。
『そのような部屋が他にも?』
「いいえ このホールだけでございます」
『そうか 必要ならば床や壁を貼りかえろ 判断は卿に任せる』
「はっ!かしこまりました」
およそこの町に不釣り合いな高価な品々で埋め尽くされた邸。その中で一部屋だけ異臭を放つほど放置されたホール・・・ここには何が置かれていたのだろうな。処分したというマットの上に何かが置かれていたのだろうが、まるで見当がつかない。
何の臭いだ。饐えた臭いに僅かだがカビも混ざっている気がする。
「お使い頂くお部屋は二階にございます 後程ご案内させて頂きますので 暫しこちらでお寛ぎ下さいませ」
階段は荷物を運び入れるもの達がせわしなく行き来していた。その場を通り過ぎ応接室に入る。
ここもまた、執務室に負けず劣らず豪奢な家具で埋め尽くされていた。よくぞここまで集めたと感心するほどだ。
向かい合って並べられている長椅子の片方に腰を下ろすと、反対側の長椅子にベンヤミンが座った。そして一人掛けの椅子にコルペラ卿が座る。そこへワゴンを押した執事が入ってきた。
「お茶の準備をさせて頂きます ラディム=パチークと申します ご滞在中何なりとお申し付けくださいませ」
直轄地の代官には最低限の使用人が用意される。町の規模により人数は決められているようで、ここのように小さな町は、執事と料理人が一名ずつ、あと下女か下男が一名だ。それ以上を望む場合は自費になるのだが、たいていどこの直轄地も割り当てられた使用人で賄っているはずだ。
貴族家でも下位の場合、住み込みの料理人を雇うことは難しい。そう考えると代官と言う職も決して悪いものではないのだろう。
「見事な邸ですね ここは王都かと錯覚するほどです」
「はい この地に赴任してひと月あまりでございますが 未だに慣れません 傷をつけはしないかとヒヤヒヤしながら使用しております」
暫くベンヤミンとコルペラ卿の会話を聞いていた。意外に繊細な男だったのだな。
『使えば自然と傷はつくものだ 先程も言ったが卿がこの邸に萎縮する必要は全くない 壊れたら修理するなり別のものを用意するなりすればいいだけだからな』
「はっはい!ありがとうございます」
それでもコルペラは肩をすぼませていた。
「そうか・・・そうですね 殿下の仰るように日常的に使用していれば傷の一つや二つあるのが自然ですよね それかー」
ベンヤミンが一人納得したようにうんうんと頷いている。
「ノシュール卿 何かお気づきのことがございましたか?」
コルペラが不安げに尋ねると、ベンヤミンはニコリと笑いながら答えた。
「やけに綺麗だなと思いまして 最初は買ったばかりなのかとも考えましたが 書斎も応接室も殆ど使ってなかったんじゃないですかね」
『そうだろうな』
こう言い切るのは良いことではないかもしれない。が、この町で暮らしていてこのような応接室が必要になる場面などあるだろうか。ほぼゼロに等しいのではないか。牧師の日記を頼るならばこの町に領主の代理人や王都から官僚などが来た記録はない。尤もそのようなものが訪れていたとしても、ウルッポがもてなす義務はないのだが。
書斎にしてもそうだ。ウルッポはタウンハウスで書斎を持たなかったほどの男だ。あの立派な机に向かい書類を捌いていたとは考えにくい。
『ともかく今 この邸を任されているのはコルペラ卿あなただ 使いやすいよう自由に変えて構わないからな この調度品のせいで気苦労が絶えないのならば いっそのこと処分するか』
「ひっ!いえそのようなことは!」
『但し代替のものを用意するのは 割り振られている予算からだぞ』
これで腹を決めてくれるだろう。卿は音を立てず表情だけ笑みの形を作った。知れば知るほど繊細な男だな。王都で初めて会った時とは真逆のようだ。
家具に振り回されるなどくだらない。別に乱雑に扱えと言っているのではない。だがどんなに高価だろうと机は机でしかなく、使ってこそ机としての意味があるというものだ。
少しぬるくなった茶を飲み干した。
『着替えて少し町を歩いてくる 部屋に案内してくれるか?』




