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町までの路は想像していたよりも整備されていて、馬車も順調に進むことができた。流石ダールイベック領だ。
いくつかの小さな町を通り過ぎ、先程最後の休憩地を発ったところだ。あと数時間であの町に到着する。
なんだか変な気分だ。初めて訪れる町なのに、懐かしさのような不思議な感情が込み上げてくる。
数ヵ月あの町にかかりきりだったからな。顔はわからずとも住民のことすらほぼ把握済みだ。
「夏の海っていいよな 今年は見られないと思っていたから ちょっと嬉しいんだ あ!勿論遊びじゃないってことはわかってるぜ」
ベンヤミンは毎年ノシュールで海を見ていたのだったな。そういえば一度夏のノシュールに行くと約束したままになっていた。あと数年は無理か、残念だ。
『海にも行こう 息抜きは必要だ
いや わざわざ気合を入れなくても目の前が海らしいぞ 嫌でも毎日見ることになるだろう』
今回滞在する元ビョルケイ邸からも海はよく見えるらしい。恐らくは町で一番良い場所に建っているのだろう。
「どんな邸なんだろうな ビョルケイの本邸だった建物だよな?」
『そうだ』
『今は修繕中だからな 少々騒がしいかもしれない』
「町の至る所がさ工事中なんだろうな 町を新しく作るってなんだかワクワクするな」
そんな楽しいものでもないぞ。
夏の間はまだいい。けれど宿の一つもない町だ。雪がちらつくような季節になれば、否応なしに工事は中断して、職人達も引き上げさせなくてはならない。その繰り返しでは、町が整うまで何年かかるだろう。
とは言っても焦ることもない。何年かかったっていいんだ。寧ろ急激な変化は住民にも戸惑いになるだろう。少しずつ緩やかに、そして確実に育てば文句はない。
暫く続いていた森を切り開いただけの路がふと開けた。路の左には牛が放牧されている。
『この辺りは酪農地帯か』
「そうでもないみたいだぜ?」
と窓の右手を指したベンヤミンに従って窓の外を見ると、そちら側には広大な麦畑が広がっていた。
『綺麗だな』
「だなー 収穫目前かな」
のんびりと草を食む牛や、黄金色に輝く麦畑の間を馬車は静かに進んで行く。
「なあレオ この辺りも直轄地になったんだよな?」
『そうだ』
今回返上された地は、中堅の貴族の領地まるまる一つ分ほどはある。大きな町は含まれていないものの、土地は適度に開拓が進み、産業も盛んだ。ベンヤミンの言葉ではないが、じっくり取り組めば大きな成長も決して夢物語ではない。
いつの間にか黄金色の海は過ぎ去り、今度は別の作物の畑が続いていた。
『路が想像以上に整備されていたのは この地帯のおかげだったか』
「そうだろうな ここからだとどこへ運んでいるんだろうな やっぱダールイベック城下か?」
『それも確認しなくてはな』
港が近い分、ダールイベック領は輸出向けの作物も多いはずだ。この辺りは港からはかなり距離があるから、恐らくは領地で消費していたとは思うが、もしかすると王都へも届いているのかもしれない。
「おっ!この辺りが中心地みたいだぜ」
その声に窓の外を見る。なるほど数軒の店が並び、人々が立ち止まって珍しそうにこちらを見ていた。
『この町は市場もあるな そういや漁師達が魚を売りに来ていると言っていたか』
「魚を売って他の食料を買って帰るんだな」
『そのようだ』
頻繁に行き来するのだから、二つの町はとても近いのだろう。地図で見る限りでは馬車なら三、四十分と言ったところか。
「ここを過ぎたらいよいよ漁師町だな」
『ああ』
町が近づくにつれ、聞きそびれていたことがいくつも思い浮かんだ。
町の人々はビョルケイ一家に起こった出来事を知っているのだろうか。彼らは今どこにいるのか、この町に戻ってくることはあるのか、何故彼らの邸が公邸として使われることになったのか・・・
それ以前にウルッポはあの町にとってどのような存在だったのだろう。ずっと気になっていたことだ。
少なくとも工場を立ち上げて以降のウルッポは、あの町の中心人物だったはずだ。私が知る彼の醜さは一面にすぎなく、住民達から慕われていたという可能性も充分にある。
また、新しい工場長のオリアン夫妻や代官、第一騎士団の騎士達は上手く馴染んでいるのだろうか。
考えても仕方ないな。ここから先は自分の目で確かめるしかない。その為に来たんだ。何度も直接この地へ来れないことを歯がゆく思ってきたじゃないか。ようやく直接見ることができるんだ。納得行くまで見て回ればいい。
ウルッポのことも案ずる必要などないことは理解している。彼は罪を犯し裁かれた。私達は侵略者ではなく、正当な手続きの元この地を任されやってきたのだ。
それでも何か燻るような感じがするのは何故だろう。
コンコンと小さく窓を叩く音がして顔を上げると、ゲイルが小さく頭を下げた。近づこうとすると、それよりも早くベンヤミンが窓を開けた。
「見えて参りました あと数分で到着致します」
『わかった』
それだけ告げるとゲイルは離れていく。
「うわーいよいよだな!なあレオは何色の邸だと思う?」
『色?』
そこまで予想はしていなかったな。
『わからないな ベンヤミンは何色だと思っているんだ?』
「俺?うーんそうだな ここに来る途中に見かけた民家は殆どが黄色の壁に濃い青の屋根だったよな」
『ああ』
腕を組んだベンヤミンがポンと手を叩いた。
「反対じゃないか?青い壁に黄色の屋根!」
『・・・』
それはないだろう、黄色い屋根など見たことがない。
答えはすぐに出た。




