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「レオ様 お着替えの準備は済んでおりますが」
『・・・わかってる』
心なしかロニーが浮かれているような気がする。ちっ、人の気も知らないで。
違うな、知ってるから浮かれているんだろう。全く腹が立つ。
ビルがいる日にすればよかった。今日ビルは休暇でハパラの両親と過ごしている。
三日目の夜会の後だ。邸へ戻るスイーリを馬車まで送っていた時、スイーリが突然言い出したんだ。
「レオ様 ご褒美の話はまだ有効ですか?」
『勿論だよスイーリ 何か欲しいものが決まったのか?それともどこか行きたいところでもあるか?』
何がいいのか決めかねていたからな、スイーリがねだってくれるなら何でも叶えてやりたい。
「肖像画を頂きたいです」
へ?
『それは私のか?』
自分でも思い切り間抜けなことを言ったと思う。
「はい!レオ様の肖像画を!このくらいの大きさでよいのですが・・・ダメ でしょうか」
と言いながら両方の人差し指でパン皿くらいの四角を描いてみせた。
『わ わかった・・・用意する』
言い終わるか終わらないうちに、ドン!と勢いよく抱きつかれた。
「ありがとうございます!嬉しいです!ずっとずっと欲しかったんです」
『そうだったんだ 言ってくれたらいつでも用意したのに』
調子いいな、口が勝手にペラペラと話し出してしまう。
「楽しみです 楽しみすぎて今夜は眠れないかもしれないわ」
『スイーリ すぐには用意できないよ?今夜はぐっすり眠ると約束してくれ』
と言うわけだ。
それで今日、今から画家が来ることになっている。明日から視察だからな。今日を逃せば随分と先になってしまう。
わかってるよ、私の絵を描くのだろう?そんなに嫌なのかって?嫌なわけがないだろう、スイーリの可愛いおねだりなんだ。そんなものが褒美になるのかとは言いたいが、スイーリが望むのなら叶えるのは当然だ。
・・・ああ、くそ!そうだよ気が乗るはずないだろう!スイーリの頼みでなければ絶対断っていた。
ロニーがクツクツと笑っている。
「レオ様 眉間にシワを寄せたままではダールイベック様ががっかりなさいますよ」
まだ着替えてもいないだろう!こんな顔描かせてたまるか!
『くそ 着替えてくる』
白を着る方が喜ぶだろうか?とも考えた。どうせならスイーリが望むものにしたいからな。
ベージュのウエストコートのボタンを留める。うっかり傷をつけないよう丁寧に。そして紺の上着を羽織った。スイーリから贈られた式服だ。
着替え終える頃にはむしゃくしゃしていた気分も収まっていた。この式服の効果だな、間違いない。
クラヴァットを結びながら、気になっていたことをロニーに聞いてみた。
『時間はどのくらいかかるんだ?』
「本日は三時間ほどと伺っております」
『そうか・・・』
・・・待て
『本日は? 一日で終わらないのか?』
「はい 本日はデッサンまでかと」
冗談だろう?何度必要なんだ?ああ・・・これもビルなら詳しいのだろうな。こんなことなら聞いておくんだった。
項垂れそうになる心を奮い立たせて部屋を出た。
今から向かうのは談話室だ。執務室でいいだろうと思っていたのに、それを言うとロニーはとんでもないことを聞いたかのように驚いてみせた。
「レオ様 僭越ながら申し上げます もう少し温かみのあるお部屋の方がよろしいかと」
悪かったな、温かみのない執務室で。
肖像画だろう?部屋?背景ということだよな?そんなに重要なのか?後から好きなように塗れば済むんじゃないのか?
と、言いたいのは山々なのだが、如何せん絵画に関しては素人だ。今まで数多くの肖像画を見てきたというのに、そういえば背景の記憶が全くない。
仕方ない、これもスイーリのためだ。スイーリを失望させないためにも、助言には従おう。
談話室では画家が準備を整えて待っていた。
『待たせてしまったか』
「殿下 王太子叙任並びにご婚約誠におめでとうございます
ようやく殿下の肖像画を描かせて頂けること 大変嬉しく思っております 精一杯取り組ませて頂きます どうぞご期待下さいませ」
『あ うん・・・』
そんな意気込んでくれなくてもいいのだけれどな。
いや、スイーリの希望なんだ。全力で挑んでもらわねばならない。そのことをうっかり忘れるところだった。
「ロニー様にお伝えしてございましたが 本日はデッサンをさせて頂きます こちらにお座り頂けますでしょうか」
『わかった』
指定された長椅子に座る。
画家は向かいに置かれた椅子に腰を下ろすと、早速手を動かし始めた。
・・・・・・
何もせずただ座っているというのも大変だ。せめてもと、頭の中では明日からの視察のことに思いを巡らせる。
どのくらい経っただろうか。ふと画家の手元を見ると手が止まっている。もう描き上がったのか。案外早いものだな。一度も休憩すら取らないうちに終わるとは。
視線を感じて目線を上げると、画家と目が合った。なんだろう?物言いたげな目をしている。
「殿下 非常に申し上げにくいのでございますが・・・」
『なんだ?もう描き上がったのか?』
予定より早く終わるなんて素晴らしいことじゃないか、遠慮することはない。
「いいえ
・・・この肖像画はご婚約者様へお贈りすると伺っております」
『ああ そうだ』
何が言いたい。回りくどいのは嫌いだ。
「少々お顔の様子が厳しい いえ硬いかと・・・出来ましたらこちら側にご婚約者様が座っていらっしゃると思って下さると もう少し柔らかい表情になるのではないかと思います はい」
・・・・・
無茶言うなよ。ヒゲを生やした中年男がスイーリに見えるほど、私は想像力が豊かではないぞ。
ゴホッ!ロニーがわざとらしい咳をした。画家は画家で一瞬目を丸くしたかと思ったら、困ったような笑みを浮かべている。
「レオ様 お疲れでございましょう 少し休憩なさってはいかがですか?お茶をご用意致します」
結局デッサンにはきっかり三時間かかった。




