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「お招きありがとうございます レオ殿下 急なご招待で少々驚きましたわ」
少々、ね。
『急に決めたのでね 招待したのも一人だけだ』
部屋の中を見回し満足そうな顔をしている。
ここは王妃殿下がお使いになることの多い、小さな会食用ホールだ。女性好みの柔らかな装飾で、趣味良くまとめられている。今日は温室で育てた南国の華やかな花がふんだんに飾られていた。
準備を任せたロニーの心情が充分に伝わってくる。
『どうぞ座って』
アレクシーの向かいに席を用意した。アレクシーのことは知っているよな?何度も夜会で顔を合わせたのだから。
「ご一緒させて頂きます ジェネット殿下」
『ええ 構わなくてよ』
炭酸水がグラスに注がれた。王妃殿下が気に入っておられるバラのシロップの香りがする。
『酒がよければ好きに頼んで構わない 私達は遠慮する』
「あら?レオ殿下はお酒が苦手でいらっしゃるのね 私は頂くわ」
ジェネットのグラスに改めて赤ワインが注がれる。
美しく盛られた色とりどりの前菜が運ばれてきた。
内々の昼食会でここまで趣向を凝らした料理が供されることは珍しい。王宮での食事に慣れているアレクシーでも意外に感じるだろう。この昼食会に招かれたのがジェネットでなければ。
「綺麗なお料理ね 味も悪くないわ」
「お褒めに与り光栄でございます」
ジェネットのグラスにワインを注いでいた給仕が、恭しく頭を下げた。
『さて 今日はグリコスの話でもしようか
ジェネット殿下 グリコス最大の資源は?』
「はい?資源?ですか?」
およそ想定外だっただろう話題に虚を突かれたようだ。
『ご存知でしょう?ご自分の国なのだから』
「もちろんよ!そうねグリコス最大の資源は木材よ!」
流石にそれは知っていたか。国土の半分以上が森林なんだ。知っていて当然だな。
『では最大の輸出品は?ステファンマルクがグリコスから何を輸入しているかは知っているか?』
「えっと それは・・・」
グリコスの輸出品の上位は木材、羊毛、そして麻。が、ステファンマルクへの輸出はゼロだ。理由は簡単だ。全てこの国でも豊富に生産されているからだ。
午前中は図書館にこもり、グリコスについて調べ上げた。
ざっくりとまとめた資料をアレクシーにも渡し、その場で目を通させている。恐らくこの場でグリコスについての知識は私達の方が上だ。
グリコスは、隣国ベーレングに三方を囲まれている。海岸線は非常に短く、逆くさび形のような地形だ。
山岳国であるため国土の面積と人口の割には自給率も低い。
そうだな、ステファンマルクの人間にわかるよう補足すると、面積はベーン領とほぼ同じ、人口はその半分以下だ。
最大の資源は木材と王女が言い切ったように、地下資源にも乏しく、気の毒ではあるが一言で言って貧しい国だ。
グリコスの歴史は浅い。地理からも予想はつくと思う。元はベーレングの一部だった国だ。ベーレングからの独立を果たしたのが、確か二百年ほど前。現王は六代目だ。
国内で賄えている食料も少ない。ざっと上げると羊肉、トウモロコシ、ライ麦、ジャガイモ。後は野生のベリー類にキノコと言った程度のようだ。
ベーレングとは複雑な関係であるためか、一番の輸入先はステファンマルクだ。
王太子夫妻に子供は三人。ジェネット、リサ、そして一番下が王子のテオドール。
第二妃との間には成人した王子もいるようだ。
ベーレングの一部であったにも関わらず、公用語がステファンマルク語なのだが、グリコスの独立にステファンマルクは一切関与していない。
ベーレングからの独立。
それは今は存在しない、とある王国の王女がベーレング王国グリコス領を治める貴族に嫁いだところから始まる。
野心家で政治的手腕にも優れた彼女は、瞬く間に領民を掌握し着々と独立へ向けて準備を進めた。実質的な建国王である。
結果彼女は見事夫を国王にまでのし上がらせたのだが、代償として祖国を失ったことを生涯知ることはなかったらしい。
ベーレングはグリコス領を捨て、報復として王女の祖国を攻め滅ぼした。その地は現在もベーレングだ。
内乱時、ベーレングはグリコス唯一の港を徹底的に破壊した。所有する船も全て失っては祖国のことを知る由もなかっただろう。
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『知らないか 先程の会話の中にヒントはあるのだがな』
「えっ?もしかして木材なの?」
『北方の木材を必要としているのは南の国だ』
「そっそうよね!もちろん知っていたわ」
ふーん。
『殿下はご存知ないようだ 卿は知っているか?』
茶番の始まりだ。
「豊富な木材を活用して 家具や馬車の荷台などでしょうか」
『よく知っているな その通りだ グリコスの素朴な品は平民に人気がある』
何かが気に入らなかったのか、ジェネットは眉をひそめる。
「そうなの?ステファンマルクではグリコスの馬車が人気なのね」
『残念ながらそうではない 輸入しているのは荷馬車の荷台だけだ』
それ以上説明してやる必要はない。知りたいのなら自国のことだ。調べるなり父親に聞くなりすればいい。
『それではグリコスが何故ステファンマルク語を話すようになったのか これはどうだ?』
「それは初代女王がステファンマルク語をお話しになったからよ 独立の時 ステファンマルク語を使うように定められたのよ」
『ああ 祖国を滅亡させた女王か あの亡国がステファンマルク語を使っていたのだったな』
面白いように目がつり上がっていく。
「何がおっしゃりたいの?初代女王への侮辱は許さないわ」
『アレクシー 今の私の言葉に侮辱するようなところはあったか?』
「いや ただの事実だろう ステファンマルクでも誰もが知ることだ」
「・・・そうね 言い方は気に入らないけれど事実だわ 女王の能力を恐れたベーレングが卑劣にも彼女の祖国を掠め取ったのよ」
やや冷静さを取り戻したようだ。彼女の言い分はグリコスとしてはまあ当然のことだろう。
『ようやくグリコスの話ができて嬉しいよ 初日の晩餐の時にもっと聞きたかったんだがな』
あの時は何を話しても俯きはにかんでいた王女が、この目の前にいるジェネットだとはな。
「レオ殿下はグリコスに興味がおありなのね」
『いいや全く』と即答したいが、今はまだそれを飲み込む。曖昧な笑みを浮かべておいた。
『どうやらジェネット殿下は その女王を敬愛しているようだな』
「当然じゃない 彼女はグリコスの母よ?グリコスの人間なら誰もが彼女を愛しているわ」
『失礼した 愚問だったな 思えばステファンマルクでも建国王は神聖視される存在だ』
表向き、少なくともステファンマルクに伝わる歴史では、初代の王は彼女の夫だ。いや彼女の夫と言っている時点でどちらが実権を握っていたのか、どちらが民の心を掴んでいたのかがわかる気がする。
そろそろ本題に入るとするか。アレクシーに一度目くばせをしてから、ゆっくりとジェネットに視線を移した。
『なかなかに有意義な会話だった ところで昨日私の婚約者とはどんな話をしたんだ?』




