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陛下達のダンスが終わった。お二人が並んでこちらへ向かってこられる。
スイーリの手を取り一歩踏み出そうとした瞬間、目の前にどぎついピンク色のドレスが立ちはだかった。
「レオ殿下 今夜の一曲目は私にお任せ頂けませんこと?」
周囲のものも呆気にとられている。この女は今自分が何を言ってるのか理解できているのだろうか?
陛下との距離がどんどん短くなる。到着される前に場を納めなくては。
どうする?無視するか。常識の通用しない相手にかける時間はない。いや無礼に無礼で返すのはあまりに低俗だ。
「君はジャルーノの公女だったかな?それともアネーネルだったっけ」
私より先に話しかけたのはフレッドだった。
フレッドの言葉にプライドを傷つけられたのか、俄かに表情が険しくなった。
「グリコスの王女 ジェネットですわ」
「そう グリコスの第一王女だったか」
フレッドは相変わらず関心もなさそうに答える。
「あなたは?あなたもレオ殿下の側近ならば他国の王族くらいは正しく把握しておくべ―」
『そちらこそ王女と名乗るのなら パルードの王子殿下の顔ぐらい知っておくべきだったな』
フレッド一人に悪役を演じてもらうわけにはいかないからな。
「パルードの・・・?」
〈初めましてジェネット殿下 レオの従兄フェデリーコ=パルードだよ〉
この女がパルード語を理解するのかは知らないが、名前くらいは聞き取れるだろうさ。
それともう一つ。
今ジェネットは私の正面に立っている。つまりステファンマルクの国王に尻を向けているのだということは自覚しているか?
『ジェネット殿下 グリコスのルールを持ち込まないで頂きたい 我が国では婚約者を差し置いて他人と踊ることはないのでね』
これ以上は不要だ、行こう。
ひそひそと話し声が聞こえる。
今までジェネットの暴挙は私の周囲のものにしか伝わっていなかったが、今日で多くのものが知るところとなっただろう。まるで予想のつかない思考回路だ。
一応は招待した客だからと最低限の礼儀は払っていたものの、もうその気も失せた。
「今日のところは仕方ないわ 私が折れてあげる でも私が王女だと言うことをお忘れなく」
毎回念を押さずとも知っているさ。グリコスの第一王女なんだろう?
それがなんだと言うのだろうな。
『済まないスイーリ 少々個性的な人物らしい 気を取り直して踊ってもらえるか?』
「私は平気です お相手を務めさせて下さいませ」
表情が硬いな。いやスイーリでなくても困惑するよな。あれほど非常識なものに遭遇する機会はなかなかないことだ。
「話は済んだか?」
陛下が笑って待っておられた。隣に立つ王妃殿下も笑顔を向けておられる。しかしお二人とも目は笑っていなかった。
『はい お待ち下さりありがとうございました 問題ございません』
お二人の前でスイーリと並び礼をする。
中央に進み出て踊り始めた。危うく穏やかな良い夜を台無しにされるところだった。
『スイーリ この曲が終わったら一度出よう』
「よろしいのですか?」
『勿論だ 顔色がよくない 少し休もう』
夜会が始まる前から様子がおかしいと思っていた。そんなところにジェネットの奇行騒ぎだ。祝宴は後三夜続く。今夜無理をする必要はない。
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休憩室には私達の他誰もいない。スイーリを座らせ、先程と同じように向かいの椅子に腰を下ろした。
―着替えを終えたスイーリを迎えに行ったとき、明らかに様子が変だった。
クラウドとの昼食会での出来事を引きずっている様子ではない。微笑んではいるが、頬が僅かに強張っている気がした。
二人きりの時なら話してくれるだろうか。
そう思って入場前に時間を作ったものの、はぐらかされてしまった。
握った手は小さく震え、瞳が泳いでいると言うのにその口は何もないと言う。
気にはなるが、力づくで聞き出すことはしたくない。いずれ話せる時が来れば話してくれるだろう。その時はそう思っていたのだが。
『やはり話してはくれないのか?』
正面から見据えていては話しづらいかもしれない。
立ち上がってスイーリの後ろにあるカウンターへ飲み物を取りに行った。
少し時間をかけて二つのグラスに飲み物を注ぐ。
スイーリの前にリンゴのジュースを、自分の手元には白ワインのグラスを置いた。
『リンゴジュースでいい?』
「ありがとうございます 頂きますね」
一口飲んだスイーリがグラスを置く。
「レオ様
お慕いしております レオ様を愛する気持ちは誰にも負けません」
『あ ああ ありがとうスイーリ 私もスイーリただ一人を愛しているよ』
どうしたんだ?スイーリは常日頃から愛の言葉を囁くタイプではない。羞恥を恐れずに言うと、言葉ではなく全身でそれを表現してくれるのがスイーリだ。
「愛だけでは 王太子になられたレオ様をお支えすることはできないと承知しております
今は未熟で頼りない存在ですが 必ずレオ様に相応しいと思っていただけるよう努力して参ります」
『スイーリ・・・』
何故今、それを私に言おうと思った?
『私のために努力を重ねてくれていることを嬉しく思うよ けれどスイーリのことを未熟だとも頼りないとも思ったことはない 何度も私に足りないものを補ってくれたではないか』
「はい」
『気負うことはない 知ってるだろう?スイーリは自慢の婚約者だ』
「はい レオ様はいつも私を勇気づけて下さいます」
勇気づける、か。事実を言ってるだけなんだけれどな。スイーリはそう捉えるのか。
『スイーリ 今夜はこのまま帰れ 邸でゆっくり疲れを落としてぐっすり眠るんだ』
「でもまだ夜会が」
『私がスイーリの替わりも務めるよ 私では心配かもしれないが任せてくれるか?』
やっと笑ってくれた。
『馬車まで送ってやれず済まない 侍女が来るまでここで休んでいていいからな』
「ありがとうございますレオ様 お言葉に甘えさせて頂きます」
『うん ゆっくりおやすみ』
おでこに口づけを落として休憩室を出た。
『疲れているようだからスイーリは帰らせることにした 誰かスイーリの侍女を呼びにやらせてくれ
ビルとダールイベック卿は中で付いていてもらえるか』
「かしこまりました」
ビルとアレクシーが休憩室に入ったところで、ゲイルを呼んだ。
『今日スイーリを訪ねたものがいなかったか 本宮の騎士に聞いておいてもらえないか 明日で構わない』
「承知致しました」
もしもスイーリを委縮させたものがいるとすれば、陛下か王妃殿下くらいだろう。だがお二人がそのようなことをするとは到底考えられない。考えすぎか。




