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私室に戻り上着を脱ぎ捨てる。束の間の休憩だ。
「浴室の準備が出来ております お使いになりますか?」
ロニーは神か?
返事をする前にクツクツと笑われた。
「承知致しました お着替えを用意して参ります」
えっ?まだ何も言ってないよな?
『時間はどのくらいある?』
「お寛ぎ頂く時間は充分ございます ご安心下さいませ」
『わかった 二人もゆっくりしておいてくれ』
返事も待たずに浴室へ急いだ。昼間から風呂に入れるなんて思ってもいなかった。
湯船に浸かり大きく息を吐いた。身体が軽い。
重たいと感じる余裕もなかったが、半日あれを着て過ごしていたんだものな。
―今頃スイーリは準備に忙しいことだろう。あのドレスを着た姿を早く見たい。髪は結っているのだろうか?学園の舞踏会の時は、結った髪に挿した白いバラがとても似合っていたな。下ろしている姿も捨てがたい。黒髪の王女は一人もいないからな。皆スイーリの美しい髪に見惚れるに違いない。
一人になると考えるのはスイーリのことばかりだ。
卒業後はなかなか会う時間も取れなかったが、今日から五日間はたっぷり一緒に過ごすことが出来る。スイーリと過ごせると思えば、夜会もそう悪くはないかもしれない。
言われるままのんびりと風呂に入り、それでもまだ少し時間に余裕があった。
ゆっくりしておけと言ったのに、二人は休みなく動いていたようだ。半日着ていた正装のシワは綺麗になくなり、すっかり準備されていた。そして二人も先に着替えを済ませている。
「良い風が吹いておりますのでテラスで休憩されてはいかがですか?」
ロニーが言った先のテラスでは、ビルが既に用意を終えているようだ。
『二人も一息ついてくれ』
私室のテラスには南の国の家具が置いてある。スイーリとよく通っているホットビスケットが旨いガーデンカフェにも置いてある、植物を編んで作られた椅子とテーブルだ。座り心地がよくとても気に入っている。本宮にはこういう家具はないからな。
「先程報告がありました ダールイベック様はお食事を大変お喜びだったそうでございます」
『そうか それはよかった』
ここの侍女も気立ての良いもの達ばかりだが、今日のところは最小限の手伝いに留めるように言ってある。
ビルが用意したアイスティーにはリンゴンベリーのシロップが入っていた。
『ありがとうビル 旨いよ』
幼い頃これをよく飲んでいたのは、確かオリヴィアが用意していたからだ。私が好きだからいつも出していたのか、頻繁に出てくるから好きになったのか、どっちだっただろうな。
「レオ様がお好きだと伺いまして練習しました」
「ビルさんは何度も味を確認していましたね」
そんなに難しい飲み物なのか?紅茶にシロップを入れるだけだと思っていた。
『なあロニー 私はそんなに注文が多いか?』
不安になって聞いてみた。
飲み物や食い物のことで不満を漏らしたことはないはずだ。だが顔に出ていたのか?ついさっきも何も言う前から見透かされていたからな。
「いいえ むしろ反対でございましたね お仕え初めの頃は何でもご自身で済ませてしまわれることに戸惑いましたから」
そうだったのか。今になって言われてもな・・・
「お食事に関してもレオ様からお聞きしない限り 何を好まれていらっしゃるのかは正直に申し上げましてわからないのです」
安心した。表情に出ていたわけではなかったんだな。飯を食う時に表情を変えるなと、物心つく前から言われていた。どうやらそれは身についていたようだ。
え?じゃどうして何度も練習までしたんだ?
まいっか。根掘り葉掘り聞くことでもないよな。ビルが旨い茶を淹れてくれた―それで充分だ。
時計を見る。まだ太陽が眩しい時間ではあるが、そろそろ時間だ。
『着替える』
今日は一日正装だ。白いシャツに袖を通しボタンを留める。朝の支度と同じだ。
上着を着たところでビルが手袋をした両手で剣を差し出した。
『こんな剣では身も守れそうにないな』
祝祭の間だけ、この派手な剣を下げて歩かなければならない。宝剣など私から言わせればただの悪趣味、無意味な贅沢品だ。派手に飾り立てたところで所詮は武器であることに変わりはない。反ってぶら下げているだけで狙われかねないだろう。賊を引き寄せてどうするんだよ。アレクシーが贈ってくれた剣の方が何倍も美しい上に優れている。
ロニーとビルがクスクスと笑っている。
「悪鬼らしきご感想でございますね」
くそ、憶えていたのか。そもそもアレクシーだ。人のことを悪鬼だの殺し屋だの言いたい放題言いやがって。
『ああ いかにも鈍な剣だ 悪鬼には相応しくないだろう?』
まだ抜いてないから実際の切れ味は知らないけれどな。
「レオ様」
ロニーが急に真面目な顔をした。
『今のお顔は決してダールイベック様の前ではお見せにならない方がよろしいかと』




