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とうとうこの日が来ました。レオ様の十八歳のお誕生日―王太子叙任式の朝です。
今朝はお父様もヴィルホ兄様も早くにお出掛けになりました。邸に残ったお母様、お義姉様と私は叙任式参列の準備です。
今日はシルバーグレーのドレスを用意しています。神聖な式典への参列ですから華やかすぎないものがよいのでは、とお母様のアドバイスです。襟元にレオ様から頂いたライラックの髪飾りを留めることにしました。
レオ様から頂いたものはなんだって宝物だけれど、初めて頂いたこの髪飾りには特別な思い入れがあります。
あっ!それよりも前に、最初の最初に頂いたブーケもとても大切だったわ。何輪かを押し花にして今も大事に残してあります。
じゃなくて髪飾りの話ね。
最初は髪に飾るつもりでした。侍女のカリーナはいつだって素敵に結ってくれるのですもの。彼女にお任せしてそうするつもりだったのだけれど、ふと思ったのです。
もしレオ様が私に気がついて下さったとしても、髪につけていたのではお見せできないのではないかしら。
大切で大好きなこの髪飾りをレオ様にも見て頂きたくて、襟元に留められるよう急いで直してもらったのです。レオ様、私を見つけて下さるかしら。大きな方の後ろの席じゃないといいけれど。
聖堂へは決められた時間に出発しなければなりません。
あの大きな聖堂が埋め尽くされるほどの人が招待されているのです。他国からお見えのお客様と子爵家以上の家に席が用意されていると聞きました。
お父様とヴィルホ兄様が王宮から一度戻られました。ここで家族揃って出発します。
「アレクシーは無事殿下の専任近衛騎士に任命されたよ」
ヴィルホ兄様が馬車の中で、今朝の任命式の様子をお話しして下さりました。
「殿下はすっかり陛下の操縦を心得ておられるようで 大変頼もしかった」
お父様が不思議なことを仰いました。ヴィルホ兄様もぶっと吹き出すように笑っておられます。
何かしら?何か楽しいことがあったのね、気になるわ。
でも馬車は到着してしまいました。このお話しの続きはいつか聞かせて頂かなくては。
馬車は正門を入ってすぐの広場で止まりました。ここからは歩いて向かいます。既に大勢の方が庭を埋め尽くしています。やんちゃそうな男の子も、小さな小さな女の子も、みんな精一杯のおめかしをしてこの場に並んでいます。どの人もレオ様をお祝いに来ているのよね。私もよ!私もレオ様にお祝いをするためにここに来たの。なんだかとても嬉しいわ。
聖堂に近づくと、並んでいる方の雰囲気も変わります。この辺りにいらっしゃるのは男爵家の方々のようです。時々見知ったお顔もいらっしゃいました。
中もびっしりと席が埋まっています。凄い人の数です。こんなに多くの人が集まるところを今まで見たことがないわ。一体何人いるのかしら。
司教様の案内を頂いて通路を進んで行きます。どんどん前へ。
そして最前列、通路から五つの空席がありました。ここがダールイベックの席!神席じゃない!今日ほど公爵家に生まれて良かったと思ったことはないわ!
私の席は一番外側ね、そう思い端に向かったところ、お父様が私のことをお呼びになりました。
「スイーリ 今日はここがお前の席だ」
そこはお父様が座るはずの一番内側の席、通路の真横です。いいの?お父様!本当?
驚いて声も出せずにいましたら、ニッコリと笑って頭を撫でて下さいました。
「おっと済まない髪を乱してしまうところだった」
「ありがとうございますお父様!」
抱きついてお礼を言いたいくらい嬉しかったけれど、この場でそんなことをしてはいけないわ。それにほぼ全ての方が着席されています。私達も急いで座らなければいけないわね。
ステファンマルクの参列者は私達が最後でした。その後は他国からのお客様が続々お見えになりました。見慣れない衣装の方もいらっしゃって、本当に多くの国からこの叙任式のためにいらしているのだと実感します。それにしても若い女性が多いわ。お父様から聞いていなければ少し動揺してしまったかもしれません。皆さん美しく身を飾っていらしてとても綺麗。私よりお若く見える方も全身をこれでもかと宝石で飾り立てています。
あ、フレッド様だわ。あのお衣装はアンナ様に結婚を申し込まれたお茶会の時に着ていらした正装ね。一年ぶりにお見かけするフレッド様は、髪をきりっと一つに結び、ご両親でしょうか同じデザインの衣装をお召しの男性と、その男性とお揃いの深みのある赤のドレスを着た女性と共に入場してこられました。
アンナ様からはフレッド様のお姿が見えているかしら?お二人がゆっくりお会いする時間があればいいのだけれど。祝祭期間の特別な夜会には私もアンナ様も参加することが出来ますから、きっとお二人も夜会ではご一緒出来るわね。
全ての席が埋まったようです。
こんなにも大勢が集まっていると言うのに、水を打ったかのような静けさです。コホンと咳をこぼすことすら出来ないほど静まり返っています。
まだ始まらないのかしら。随分と経った気がしますのに、未だしんと静まり返ったままです。
少しそわそわし始めた頃、ようやく大司教様が祭壇の上に進んでこられました。祭壇の左に置かれている壇の前にお立ちになり、頭をお下げになると、国王陛下と王妃殿下が入ってこられました。
お二人が大司教様と向かい合う位置に置かれている椅子にご着席されると、祭壇の下に並んでいる司祭様が開会を宣言されました。
再び扉が開いた音がしました。後ろから拍手が聞こえます。見たいわ、振り返ってもいいかしら。こんな時最前列だと後ろの様子がわからず不便ね。いいの?後ろの方々は振り返ってレオ様のお姿を拝見している?
何度も振り返ろうとしたけれど、私はレオ様の婚約者。はしたないことをするわけにはいかないわ。ぐっと堪えて、レオ様が歩いてこられるのを待ちました。
徐々に拍手が近づいてきます。すぐ近くまでレオ様が進んでこられたわ。後少し・・・
その時ふわっといい香りがしました。私の大好きな香りです。
レオ様―成人して初めてお召しになった正装姿。
以前ノシュール領へ参りました時に着ておられた黒の正装も、とっても素晴らしくてレオ様に大変お似合いだったことを憶えていますが、その時のものとは比べられないほど華やかです。後ろ姿だけでも近寄りがたいほどの雰囲気、私は本当にこんなに素晴らしい方の婚約者でいいのかしら。・・・いいのよね!自信を持つのよスイーリ!
レオ様が祭壇の下、中央に立たれました。そこで大司教様が静かに話し始めます。
レオ様がお生まれになった十八年前の今日も、雲一つない晴れた日だったのね。大司教様はレオ様がお生まれになったその日にお会いになったの?
う、羨ましいわ、九歳の頃のレオ様があれほど天使だったのですもの、生まれたての時なんて・・・考えただけで絶叫してしまいそうだわ。
知られざるレオ様の幼少期のお話しを、たくさん聞かせて頂けるのかとワクワクしていたのに、その後はつまらない・・・いいえ有難いお話しが続き、少し退屈になってきました。
ダメね、そんなこと思ってはいけないわ。レオ様はずっとお立ちになったままお聞きになっているのよ。
でもなんだか聞こえて来るみたいな気がします。『スイーリ 大司教は明日の朝まで話し続けるつもりだろうか 叙任が一日遅れてしまうな』
ふふ、そんなことを妄想していると、この長く有難いお話しももう少し我慢できそうだわ。
「オスカリ=ステファンマルク国王陛下
イレネ=ステファンマルク王妃殿下のご嫡子
レオ=ステファンマルク殿下の王太子宣明でございます」
いつの間にか大司教様のお話しが終わっていたみたいです。困ったわ、最後の辺りは全く聞いていませんでした。レオ様から何か聞かれたらどうしよう・・・
ううん、レオ様はきっとそんなこと聞かれないわね。だって『話は短ければ短い方がいいんだ』ですものね。ふふ、その通りだと私も思うわ。短ければ短いほど記憶に残るもの。
陛下が祭壇の中央に立たれました。あれが王太子殿下の宝剣ね。はっきりとは見えないけれどとんでもなく豪華なことはわかるわ。光が反射して、きっと宝石が埋め込んであるのね。
レオ様にとても相応しい華やかで美しい剣だけれど、きっとレオ様は『派手だな 使いにくそうだ』なんて言うわね。ふふ、宝剣に使いにくいなんて評価をする王族はレオ様くらいよね。
そして陛下がレオ様にマントをお掛けになりました。今日は陛下も、王妃殿下もマントを羽織っておられます。今日が爽やかな日で良かったわ。素晴らしく晴れているというのに、風が心地よいのですもの。きっとレオ様も暑さを感じずお過ごしになれるはずだわ。
陛下が宣明をされ、レオ様がサインを終えて無事叙任式が終わりました。
この後、王家の方は霊廟へご報告に上がると聞いています。
てっきりお披露目のパレードがあると思っていたのですが、それは明日予定されているそうです。それを知ったのはつい最近のことでした。
「陛下が婚約者の披露目も同時にするようにと仰った」とお父様が苦笑しながら話してくれたのですが、それって私のこと?!
そうよね、私のことですね。と言うことは私もパレードに?
最後にレオ様にお会いしたアルヴェーン家での晩餐の時には、その話はありませんでしたから、レオ様にとっても突然のことなのでしょう。
どうしよう、心の準備がとてもじゃないけれど間に合わないわ!




