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「荒れてるなレオ」
早朝の訓練場。
今日これから叙任式が行われるということを除けば、いつも通りの朝だ。いつもと変わらずアレクシーと鍛錬をしている。だが、アレクシーの言う通り鬱憤を払うように叩き込んでいる自覚はあった。
『悪いなアレクシー 今だけ許してくれ』
「いいぜ
レオもこんな荒々しい剣を振るうんだな おっと言い忘れるところだった」
『どうした?』
一度剣を止めて床に突く。額を伝う汗を袖で拭いながらアレクシーの言葉を待った。
「誕生日おめでとうレオ とうとう成年王族だな」
『ああ・・・ありがとう』
そうだった、今日は誕生日だったな。叙任式とその後のことだけでいっぱいだった。
「今日からよろしく頼むぜ 我が主」
『私からもよろしく頼む ダールイベック卿』
「さあどんどん打ち込んできていいぜ 今のうちに嫌なこと全部落としきってしまえよ」
『アレクシーも打ってきてくれ 一方的なのは好きじゃない』
「知ってる もちろん遠慮なしで行くぜ」
普段より激しく打ち合う。余計なことなど考えている余裕もないくらいに振り続けた。
『ありがとなアレクシー』
「少しは気が紛れたか?」
『済まない・・・』
苛立ちのままに剣を振るうなど、決して騎士には許されないことだ。
騎士であるアレクシー相手にそんなことをした自分が情けなくなる。
「勘違いするなよレオ レオは憂さ晴らしに剣を振るうようなやつじゃない 不要なものを振って落としただけだ 気に病むようなことは何もない」
普段は何かにつけて小言を言うくせに、こういう時はとことん甘やかすんだよな。ありがとうアレクシー。
『大丈夫だ これも今日で終わる』
「いよいよレオも婚約かー」
やっぱり苛立ちの理由を知っていたんだな。って何言ってんだよ、私はとっくに婚約済みだからな。
―昨日も至る所で待ち伏せに遭った。グリコスの王女には何度遭ったかわからない。私の予定を漏らしているやつは誰なんだ。行く先行く先に先回りされていて腹が立つ。
通訳のクオンや数人の侍女を引き連れたドイリーンの王女にも、何度か行く手を阻まれた。今回ドイリーンから来ているのはこの第三王女一人だ。王女以下家臣一団が、何を命じられてやって来たのかは明白だ。
『こんなに王女ばかりが来るとは思ってなかったんだ』
多少はそんな話もあるだろうとは思っていた。でも招待国のうち王女が来ていないのは、パルードと昨日到着したメルトルッカだけだ。多少どころの数ではない。妃探しをしているとでも思われていたのだろうか。
そんなはずないよな。王宮務めの官僚で私達の交際を知らないものはいないはずだ。ダールイベックを敵に回してまで他国との縁を繋ごうとするやつがいるとは思えない。
「レオにはリストを渡していないって言ってたもんな 俺は事前に見せるべきだと思ってたんだけど」
やはり意図的に隠していたんだな。アレクシーは知っていたのか。
『そうだな 済んだことは仕方ないが 知っておきたかったな』
「俺が少しでも話しておくべきだった ごめんレオ レオの性格知ってるのにさ」
どうして私の周りは、こうも自分の責任にしたがるものばかりなんだ?
アレクシーが事前に知っていたと言うことは、その情報源は恐らくダールイベック公だ。公が私には伝えていないと言ったのならば、アレクシーがそれを漏らすことが出来なかったのは当然だ。
昨日まではな。
『アレクシーが謝ることはない それよりもスイーリが不快な思いをしないよう気を配ってもらいたい 勿論私も最大限守る』
「わかった ありがとうなレオ」
「レオもさ 一途だよな」
『今更何言ってんだよ 当たり前だろ 義兄上?』
静かな訓練場に響き渡る大きな声でアレクシーが笑い出した。
「レオが義弟になるのか そうだな すっかり忘れていたわ」
『そうだぞ義兄上 しっかり覚えておいてくれ』
アレクシーの大笑いのおかげで、むしゃくしゃしていた気分もどこかへ飛んだようだ。
「やっと少しすっきりした顔になったな その顔なら叙任式でも問題なさそうだ」
『そんな酷い顔していたか?』
「そうだな いや俺の口からは言えないわ」
そこまで言っておいて教えてくれないのか。
・・・・・
アレクシーの顔をじっと見る。一度目を逸らしたアレクシーだったが観念したようだ。
「なんかさ 今朝は殺し屋みたいな顔してた 殺し屋に知り合いはいないけどな」
予想外の返答に吹き出した。
『用心するよ 他国の護衛に殺し屋と間違えられてはかなわないからな』
「どこの国に護衛付けて堂々と歩く殺し屋がいるんだよ」
『それもそうだな』
私室へ戻る廊下を歩きながら話を続ける。
「俺はさ メルトルッカが意外だったわ あの国は昔からその・・・有名だからさ」
『ああ・・・どうやら現王があらゆる面での改革を進めてきたと言うのは本当のようだな』
昨日メルトルッカから到着したのは、王子一人だった。歳はアレクシーと同じ二十歳だそうだ。
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「メルトルッカを代表してお祝い申し上げます クラウディオ=フェヒール・ウーツと申します
レオ殿下 王太子叙任誠におめでとうございます この度のご招待感謝致します ようやく憧れの地に来ることが出来ました」
そう言って澄んだ瞳を輝かせ、頬を僅かに紅潮させていた。
事前に届いた返信では王太子夫妻が参列することになっていたらしい。その為一部の官僚の間で、この訪問を訝しがる声が上がったそうだ。
しかし目の前の王子殿下は、清廉潔白なお人に見える。今回の訪問に後ろ暗いことなどないと思うが?
その答えは晩餐の時明らかになった。
「祖父はステファンマルクに強い憧れを抱いておりました それをずっと聞かされて育った父もやはり同じ憧れを抱き続け そして私もまたこの国へ特別な想いを募らせておりました
当初は私の両親がこちらへ訪問することが決まっておりました」
皆が王子の言葉に耳を傾ける。
「しかし出発の数日前に祖父が体調を崩され 父が摂政に就くことになりました
父は最後まで残念がっておりましたが そのためにこの大役を私が仰せつかることになったのです」
予想外だったメルトルッカの事情に、陛下も珍しく瞠目された。
摂政を置くくらいだ。体調を崩したなどと言うような軽いものではないのだろう。
「クラウディオ殿下 そのようなご事情の中 遠路お越し頂いたこと誠に感謝する
それで国王陛下はご無事なのか?」
国を発って数週間は経っているだろうから、最新のことは殿下もわからないはずだ。それを承知の上でも尋ねたくなる陛下のお気持ちもわかる。
王子殿下はにこりと笑みを浮かべて頷いた。
「はい 恐らくは
祖父はとても強い御人ですから」
その笑みにひとまずは安心することが出来たが、どうかメルトルッカ国王の病状が一日も早く快方に向かうようにと、願わずにはいられなかった。
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「そういう事情があったのか メルトルッカの王子殿下は実直なお方のようだな」
『ああ 義理堅くそして裏表のない方だなと思った』
「レオとも気が合いそうだな」
『そうだと有難い』
晩餐の時は個人的な会話をすることはなかった。滞在期間にその機会があればと思う。




