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夕方遅くになって、ようやくパルードが到着した。
一年ぶりとなるフレッドとの再会は謁見の間だった。
フレッドの両親、パルード王太子夫妻と共に三人がゆっくりと近づいてくる。フレッドはあの懐かしい朱色の正装姿だ。
「レオ王子殿下 この度の王太子叙任誠におめでとうございます」
『初めてお目にかかります 伯父上伯母上
遠路足をお運び下さり感謝申し上げます』
「よく来てくれた 二十年ぶりか?」
「早いものです」
陛下と伯父上が懐かしそうに視線を交わしている。そして伯父上の視線はゆっくりと母上に向いた。
「お元気そうで何よりでございます 王妃殿下」
「はい 殿下もお変わりなく」
お二人も二十年ぶりの再会だ。
言葉も文化も異なる国へ、一人嫁いできた母上の苦労も大変なものだったと思う。そんな苦労をおくびにも出さず、私には常に温かく朗らかな笑顔を向け続けてくれた。今夜は久しぶりの再会となった肉親との夜を楽しんで頂きたい。
「この場ではファウスティーノ殿下との積もる話もしにくかろう さっさと場所を移すか」
またしても陛下が暴走しかけている。
このままスタスタと出ていかれては大変だ。
どうやってお止めしようかと思案していると、先に母上が陛下の腕にそっと手を乗せた。
「ふふ そんなに急ぐものではありませんわ お着きになったばかりなのですもの お着替えの時間だけでもお待ちになって」
この場にいる全てのものが胸を撫で下ろしたに違いない。
「そうか そうだな 暫しの間お寛ぎ頂くとしようか また後程会おう」
そうと決まればとばかりに勢いよく立ち上がった陛下につられて、私も慌てて立ち上がった。
伯父上達も苦笑いしている。陛下はお若い頃からこの調子だったのだろうな。
陛下がそそくさと退出してしまい、その場には私達が取り残された。
「慌ただしくてごめんなさいね 準備が整ったら呼びに行かせるわ それまでお寛ぎになってちょうだい」
笑みを湛えて仰る母上の言葉に、伯父上達も笑顔で頭を下げた。
今夜晩餐の席にはパルードと私達しかいない。マルムベルグ卿の配慮が有難かった。
謁見の間の堅苦しい雰囲気とは変わって、伯父上達も寛いだご様子だ。
「それで義父上はお変わりないか?」
パルード国王は私にとっては祖父にあたるお方だ。お若い頃の肖像画を見せて頂いた時は、フレッドに少し似ていると思った。
「ああ ご健在だ ご病気ひとつすることなく精力的に政務を行っておられる」
伯父上の言葉に、陛下も母上も笑みを浮かべた。
「オスカリも変わらないな レオ君と兄弟と言われても信じてしまいそうだ」
「ティーノ お前は少し太ったな」
陛下の遠慮の欠片もない言葉に苦笑が漏れた。
「黒鳥イレネ姫もお変わりございませんね 今はステファンマルクの黒鳥妃殿下とお呼びしなくてはなりませんでしたわね」
「セレスティナ様もお変わりなくてとても嬉しいわ 甥や姪達も元気にしているのかしら」
「ええ 今回も一緒に来たいと駄々をこねられました」
フレッドには弟と妹がいる。彼らはパルードで留守番のようだな。
「そうそうティナ様 ステファンマルクの黒鳥は私ではないのよ ねえレオ」
突然話を振られて、持っていたグラスを落としそうになった。
「まあ レオ様顔を赤くなされて」
「これはこれは 親子揃って黒鳥を見初められたか」
「お会いするのが楽しみですわね」
代わる代わるに揶揄われて身の置き場がない。
「二日後だ レオが成人するその日に婚約を発表する」
あっさりと陛下が暴露した。
「おめでとうレオ君 めでたいことが重なる場に同席出来ることは光栄だよ」
「おめでとうございますレオ様」
『ありがとうございます 伯父上伯母上』
「もう婚約していたんだね おめでとうレオ」
『ありがとうフレッド 今年の春に婚約したんだ』
「結婚式も決まっているのかい?私宛ての招待状がまだ届いていないようだけれど」
そう言って片目を瞑ってみせる。
『来てくれるのかありがとう 当分先になるが必ず招待状を送るよ』
「当然さ 従弟で親友の結婚式なのだからね 楽しみに待っている 約束だよ」
〈約束〉と言ってグラスを近づけてきた。私もそれにグラスを合わせる。
晩餐の後、陛下や伯父上達はサロンで寛ぐそうだ。私はフレッドに誘われて本宮の私室に向かった。
「そうか レオはもう城には住んでいないのだね」
『ああ 行事とは別で 時間があれば向こうにも遊びに来てくれ』
「そうだね 是非見ておきたいかな」
ワインを開けて、二人で飲み直す。
「おめでとうレオ 王太子の祝いに駆け付けたつもりが もっと喜ばしいこともあったなんてね」
『ありがとうフレッド そして遠いところ来てくれて感謝する』
一口飲んでグラスを置いた。
『アンナも元気だ オーケストラでも頑張っているそうだぞ』
それを聞くと嬉しそうに目尻を下げて、くるくると回していたグラスに口をつけた。
「そうなんだね アンナさんなら頑張っているだろうと信じていたよ」
『ああ パルード語もとても上達しているようだ
明日会いに行くのか?』
「うん そのつもり」
アンナも指折りこの日を待っていたことだろうからな。二人がゆっくり過ごせるといいと思う。
『フレッドはいつまでいられるんだ?』
「八月いっぱいはいようかなと思ってるんだ 父上や母上は先に帰るけどね」
『そうか それを聞いて安心した アンナと過ごす時間も充分取れそうだな』
「うん それにレオの友人にも会いたいしね えっとイクセルにアレクシー デニス ベンヤミン」
『よく覚えているな』
「まだ終わっていないよ ヘルミさん ソフィアさん そしてスイーリさん」
『ああ 完璧だ 皆変わらず元気にしている』
「思い出すよ とてもいい思い出なんだ」
ステファンマルクで過ごした二年間、そして私の大切にしている友人達。それをフレッドがいい思い出と言ってくれたことは何よりも嬉しいことだった。
『叙任式の祝祭が終わったら暫く視察に出るんだ 下旬には戻るからその時皆で会おう スイーリが茶会の計画をしているはずだ』
「そうか もうレオも政務に忙しいんだね その間私はこの涼しい夏を楽しんでいるとするよ」
『ああ 目いっぱい満喫してくれ』
一時間ほどそうして過ごしただろうか。もう夜も更けてきた。
『そろそろ行こうか』
「そうだね」
廊下を並んで歩き、階段を降りて庭に出た。
『フレッドは向こうだな』
「うん 美しい宮を用意してもらってありがとう 母上がとても喜んでいたよ」
『それはよかった おやすみフレッド』
「おやすみレオ」
第二の騎士がフレッドに近づいたことを確認して踵を返した。
『遅くまで悪かったなビル』
「とんでもございません」
『戻ろうか』
「はい」
ビルと庭を抜けて鳶尾宮へ戻る路を進んで行くと、少し先に人影があった。こんな時間に珍しいな。
近づくにつれだんだんと輪郭がはっきり見えてくる。二人ともドレス姿だ。
声が届く距離になって、それが今日の昼に到着したアネーネルの公女だとわかった。一緒にいるのは服装から恐らく侍女だろう。
『こんな時間にどうされましたか ケリー公女』
侍女の持つランプは足元を照らしていて、表情まではわからない。
「はい あ あの・・・道に迷ってしまったかもしれません」
こんな夜更けに?どこへ行くつもりで?
嘘が下手なのは育ちがいいからだと思いたい。
『それは大変申し訳ないことをした あなたの護衛を担当しているうちの騎士の失態です 今すぐ別のものに案内させるので早くお戻りを』
「あっいいえ あのせっかくですのでレオ様と―」
『アネーネルの公女殿下だ 失礼のないようお送りしてくれ
おやすみなさいケリー公女』
「はい・・・おやすみなさい」
闇の中から現れた二人の騎士に挟まれるようにして、公女は去って行った。
「あのお二人はアネーネル担当の騎士でしょうか」
『恐らくな』
ビルも気がついていたみたいだな。そりゃそうだ。王宮の中で護衛対象を見失ったり、案内先を間違うはずがないだろう。ステファンマルクの騎士を舐めてもらっては困る。
そのまま路を進み、鳶尾宮の裏庭に差し掛かったところでまた人影が見えた。
「こんばんは レオ殿下 星の綺麗な夜でございますね」
グリコスの王女ジェネットだ。
『ここはグリコスがお泊りの宮からは離れていると思うが 何故ここで星を?』
この王女も道に迷ったとでも言うのだろうか。
「殿下をお待ちしておりましたの 聞けば今夜はパルードとの晩餐だったとか 随分とお楽しみだったのでございますね すっかり夜も更けてしまいましたわ」
晩餐の時は猫を被っていたのか。感心するくらいズバズバと話せるじゃないか。
『従兄とは久しぶりの再会だったものでね』
「まあ パルードの王子殿下とご一緒でしたの?」
しつこいな、なんでそんなことまで話してやらなきゃならないんだよ。余計なお世話だ。
『ジェネット殿下 あなたの言う通りもう夜も遅い 早くお戻りを
グリコスの担当騎士はどこにいる?灯りはあるな?気を付けてお送りしてくれ』
闇の中に声をかけると、すぐさま二人の騎士が現れた。
「あっ待って まだお話しが―」
『おやすみなさい 気を付けてお戻りを』
なんなんだ。何故私がこの路を通ると知っている?くそ、誰が教えたんだよ。
その時ランプを持っているビルがぴたりと足を止めた。
『ビル?どうした』
耳元でビルがうんと小声で囁く。
「前方にもう一人いらっしゃいます 少し遠回りになりますが左から行きましょうか」
コクコクと無言で頷き、急いで方向を変えて大股でその場を去った。
『よく気がついてくれたな ありがとうビル』
「いいえ 私の配慮が至らず申し訳ございませんでした」
ビルは全く悪くない。ビルが気にすることなど一つもない。
一番近くの扉から急いで中に入った。流石にここまで追って来るものはいないだろう。
『随分と遅くなってしまったな ビルもう休んでくれ』
「ありがとうございます お部屋までお送り致します」
無言でひたすら歩く。私が何も話さないからビルも無言だ。
私室に一歩入ったところで振り返り、改めてビルに礼を言った。
『遅くまでありがとう 助かったよビル おやすみ』
何か考えているようなそぶりのビルが眉を下げた。
「申し訳ございません 気の利いた言葉も浮かばず」
何言っているんだよ、それがビルの長所の一つじゃないか。
『そんな風に思うなビル 私はうわべを取り繕うような言葉は望んでいない』
「はい」
『だからビルの言葉の一つ一つを信頼できるんだ 素晴らしい長所だと私は思っているからな』
「ありがとうございます レオ様が下さった言葉はいつも私の心に深く沁み渡ります」
私も感謝しているよビル。ビルがいてくれたから苛立ちを抑えられた気がする。
「おやすみなさいませ レオ様」




