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「学園は今日から夏休暇だな」
重ねた資料を窓際のテーブルへ運びながらベンヤミンが呟く。
ベンヤミンがここへ来るようになって五日目だ。まだ五日だからもう少し様子を見るべきかと迷っていることがある。だが、もう五日経ったとも言えるよな。
『なあベンヤミン 何故執務室を使わないんだ?気に入らないのなら自由に変えて構わないんだぞ』
思い切って聞いてみた。何か我慢をさせているのなら早く解決してやるべきだからな。
「いや気に入ってるぜ 最初に言った通り俺好みだからな」
・・・じゃあなんでお前はずっとここにいるんだよ。
「えっ何?」
聞きたいのはこっちだ。
『何故使わないのか不思議でな』
私の方が正論のはずなのに、ベンヤミンはやれやれといった表情を浮かべた。
「一人じゃつまらないじゃないか」
・・・つ ま ら な い ?
直轄地の担当官もそれぞれが専用の執務室で政務にあたっている。何もベンヤミンだけを特別待遇しているわけではないのだ。それに従者も毎日連れて来ているだろうが。
「なんだよ ロニーもここにいるだろう?ロニーには専用の執務机まであるじゃないか」
今度はロニーと張り合い始めた。そこを突かれると何も言えない。ロニーも苦笑している。
いや違う!ロニーは私の従者でもあるんだ。ここにいていい充分な理由があった。だがベンヤミンは違うだろう?用が済んだらさっさと自分の部屋に戻るものではないのか?
戻るよな。気に入ってるんだものな。
・・・・・
負けた。
『ビル済まないが至急執務机を一台頼んでくれ』
ビルも笑いながら立ち上がった。
「かしこまりました 今すぐ手配して参ります」
「おーありがとうレオ!なんだもっと早く言えばよかったな」
『どんなものでも構わない どんなに古くても壊れかけていても構わないからな』
「え?」
「承知致しました 行って参ります」
笑ったまま答えたビルの後ろ姿を、ベンヤミンは悲しそうに見送っていた。
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「やっぱ自分専用の場所があると違うな うん!椅子も座り心地いいし最高だわ」
午後一番に届けられた真新しい執務机を前にして、愉悦に浸っているやつが一人。
『急に狭くなったな』
ロニーがいきなり咳き込んだ。ベンヤミンは勢いよく立ち上がって机の上に両手を置き抗議する。
「どこがだよ あと十台でも二十台でも余裕で置けるぜ」
『ベンヤミン 私の執務室を会議室にでもするつもりか』
ゴホッ、二度目は誤魔化しきれなかったらしい。ロニーが後ろを向いて震えている。
『ベンヤミン さっさと片付けてしまおう 間に合わなくなる』
「そうだな 俺専用の執務机で頑張るとするかな」
まだ言ってる。
今夜はアルヴェーン家の晩餐に招かれている。元は茶会の予定だったのだが、私達の都合がつかなかったため、晩餐に変更になったのだ。スイーリに会うのもちょうど一週間ぶりだ。
遅れないよう出来るだけ急ごう。
その後は、ベンヤミンがノシュール領の資料の借り出しと確認作業をしてくると、本宮へ行ったためとても捗った。
ベンヤミンが戻り数分と経たず、今度は騎士服姿のアレクシーが執務室の扉を叩いた。
「殿下 ノシュール卿 予定通りご出発が可能か伺いに参りました」
『私達は大丈夫だ 卿は何時までだ?』
「今終わったところです」
騎士服を着ている間は気を緩めることは出来ないらしい。にこりともせず受け答えする様子は、流石正規騎士と思う。でも早く着替えてもらわないとな。私の方が落ち着かない。
『卿の支度が済んだら出よう 半時間でどうだ?』
「充分です」
『三十分後に馬車を回してほしい』
「承知致しました」
私室に戻るアレクシーの後ろから、ビルが馬車の手配に向かった。
「アレクシーは騎士の宿舎だっけ?」
アレクシーの足音が遠のいていくのを確認したベンヤミンが小声で尋ねてきた。
『いや ここにいるよ ハルヴァリー小隊の騎士は皆この宮に部屋を用意している』
「そうなのか」
王宮内にある宿舎は第二騎士団用だ。今までその宿舎を使っていたもの達も、皆ここに移ってきた。
『一小隊だからな そう多い人数でもないし』
「それでも百人は超すだろう?」
『まあな』
机の上を片付けながら雑談を続ける。
「視察にはどのくらい同行するんだ?」
『一分隊だと思う 騎士は野営になるだろうからな』
向こうには第一騎士団もいる。大所帯で行く必要もない。
「本当に何もない町なんだな」
ベンヤミンにとっても未体験の旅だ。ノシュールまで続く路沿いの町も、一年前に旅したダールイベック領で立ち寄った町の中にも、これほど小さな町はなかったからな。でも多分こんな町がいくつもあるのだろう。ビョルケイがいなければ気がつかないままだったかもしれないことだ。
『さて そろそろ行くか』
立ち上がり上着を羽織った。
階段を降りたところでアレクシーと合流した。
「お いいタイミングだったな」
見事なまでの切り替えだ。そこにいたのは私達がよく知る友人のアレクシーだ。
三人で馬車に乗り込み出発する。
「なあ 祝祭期間アレクシーは休みあるのか?」
「ない 初日に専任騎士の任命を受けるからな」
「そっか それじゃ夜会には参加しないのか」
「それがさ 五日とも参加になるらしいな?レオ」
『ああ』
完全に私的な参加とはならないが、専任の騎士は四名とも式服で参加させると聞いた。
アレクシーの参加を期待している令嬢も多いはずだ。参加してくれた方が私も気が楽になる。
「ベンヤミンはどうするんだ?来るんだろう?」
「ああ五日とも来るぜ レオのドデカい発表を見逃すわけにいかないからな」
『婚約の発表は初日だけだ』
叙任式当日の夜会で婚約の発表―それ以外何もない。なのに五日も祝宴続きだ。参加の義務がないベンヤミンが羨ましいくらいなのに、全て参加するとはな。ベンヤミンは夜会好きだったのか。
「そんなことわかってるって!聞いてくれよアレクシー ここんとこレオが俺にだけ厳しすぎてさ」
『厳しいとは心外だな』
面倒なだけの夜会にわざわざ来なくてもと思っただけだったのだが、ベンヤミンにとっては酷い仕打ちのように聞こえたのかもしれない。代わってほしいくらいだ。
「レオの気持ちもわからないことないからな そうぼやくなベンヤミン」
珍しくアレクシーが私に同情的だ。
「まあ 俺もわかっちゃいるんだけどさ・・・後で俺達に感謝してくれよな レオ」
『ん?あ ああ・・・?』
曖昧な相槌を返したところで、ベンヤミンが話を変えた。
「それにソフィアのドレス姿も楽しみだからさ あ!ソフィアも五日間参加するって言ってたぜ」
『そうか ソフィアが来てくれるのは助かるな』
成程な、それが目的だったのか。すっきりした。
通常の夜会と違い、祝祭の間に開かれる夜会は十三歳から参加できるらしい。多分招待客の中にその年齢の賓客がいるのだろう。フレッドのためにもアンナはどうにかして参加させてやりたいと思っていたから、その幼い賓客の存在は有難かった。
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アルヴェーン家には既に皆が集まっていた。
「お待ちしておりました 皆様もお集まりです」
『招待ありがとうヘルミ』
出迎えに出てくれたヘルミの案内で晩餐室に入る。
「レオーベンヤミン アレクシー 待ってたよー」
「三人ともお疲れさん」
スイーリの隣の席に座る。
『かなり待たせてしまったかな 遅くなって済まなかった』
「いいえ 実はソフィア様やアンナ様と早くからお邪魔していたんです 楽しく過ごしていました」
『そうか それならよかった』
早速冷えたシャンパンが注がれる。グラスを持ったヘルミがデニスに視線を向けた。
「今日はデニス様にご挨拶をお願いしておりました」
「レオ アレクシー ベンヤミン改めて卒業おめでとう
そして俺達も一年を無事修めることができたことに乾杯しようか」
「乾杯」「「「乾杯」」」
最初に運ばれてきた皿には、桃と生ハムが花のように盛り付けられていた。
「今夜はレオ様が広めて下さった様々な食材やお料理を中心にご用意しました お楽しみくださいませ」
「この組み合わせ僕も大好き!」
「桃がこんなに当たり前に食べられるようになるなんて 数年前じゃ考えられなかったもんな」
「生ハムも八番街で見かけるようになりましたものね」
ヘルミの細やかな心遣いが嬉しかった。
ヘルミや皆は私が広めたと言うが、その一つ一つのきっかけにはいつもこの仲間達がいた。全員がかけがえのない大切な友人だ。こうして変わらず付き合っていられることにも感謝している。
晩餐が終わり、外に出た時のこと。
「ああごめんレオ!俺急いで戻らないと まずいなすっかり忘れてた 先に戻るからスイーリのこと頼んでもいいか?」
突然思い出したようにアレクシーが一気にまくし立てたかと思うと、ダールイベックの馬車に乗り込みさっさと扉を閉めてしまった。
その馬車はスイーリの迎えで来ていたものだ。アレクシーは私と一緒に帰るはずだったからな。
スイーリと顔を見合わせて苦笑する。
『アレクシーでも嘘を吐くことがあるんだな ものすごく下手だったけど』
「ふふ 兄様が何をお忘れだったのか気になりますね」
せっかくアレクシーがくれた時間だ。有難く使わせてもらおう。
『邸まで送らせて頂けますか?』
「ありがとうございます ご一緒させて下さいませ」
スイーリの手を取り馬車へ乗り込んだ。




