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「レオ=ステファンマルク王子殿下 スイーリ=ダールイベック様 ご入場でございます」
目の前の扉が開かれます。
初めての夜会。隠さずに言いますと今とても緊張しています。今夜の私は卒業舞踏会のパートナー、レオ様にとって人生で一度きりの大切な記念舞踏会のパートナーです。絶対に失敗してはいけないわ。
無意識のうちに腕に力が入っていたのかもしれません。レオ様の腕に添えていた私の右手の上に、そっと手を重ねて下さいました。
『行こうか 皆スイーリの美しさに見とれている 側に行って自慢してやろう』
このざわめきはレオ様に向けられているものです。そうお伝えしたかったけれど、私もまだ直視できないのです。だって今夜のレオ様はあまりにも完璧なのですもの。
事前にお聞きしていたら、心の準備が出来たかしら。ううん、きっと無理だったわ。毎晩想像で爆発して寝不足になったに違いないもの。そんなことになっていたら、今頃目の下にクマができて酷い顔になっていたはず・・・お聞きしていなくて良かったわ。
ああ、本当にどうしてここにはカメラがないの?毎日どんなお姿のレオ様も残しておきたいけれど、今日のレオ様は特別よ。白い式服を着て下さるなんて、本当思いも寄らなかったわ。尊い・・・尊すぎる。今すぐ拝み倒したいくらいだわ。
いけない、ついつい推し目線になってしまう。
レオ様と初めてお会いしてから八年と五ヵ月、交際が始まってからは四年と八ヶ月、婚約してからだって既に三ヵ月と二週間が過ぎたと言うのに、今でも時々それが信じられなくて、画面越しに見ていた頃の感覚が抜けません。
落ち着くのよスイーリ!私はレオ様の婚約者。そして今夜は舞踏会のパートナーよ!レオ様の隣に相応しい振舞いをしなくてはいけないわ。
レオ様のご友人の方々が次々とご挨拶にいらっしゃいます。
「レオ様 ダールイベック嬢 お待ちしていました」
「これで本当に学園へ来るのも最後になるのですね まだ実感が湧きませんね」
「俺もです 明日も来てしまいそうですよ」
『ごめん 少し付き合ってくる すぐに戻るよ』
私の腰を抱いて、後ろからこっそりお伝え下さいました。ええ、ここにいらっしゃる全ての方が、一言でもレオ様とお話しをしておきたいと思っておられるはずです。
「はい ごゆっくりお話し下さいね お待ちしております」
「スイーリ様」
すぐに後ろから声がかけられました。三年生の方々だわ。
「ご卒業おめでとうございます 皆様」
「ありがとうございます スイーリ様今夜も素晴らしいドレスですね キラキラ輝いていらっしゃるのがおわかりになりますか?」
「レオ様からお贈り頂いたのですね なんて素敵なのかしら お二人が並んだお姿は絵画のようでしたわ」
「ブローチもとても美しいですね 初めて拝見する宝石です」
ど・・・どうしよう、卒業生のご令嬢から次々にお褒めの言葉を頂いてしまって、皆さんのための舞踏会なのに。
「それに スイーリ様・・・
今夜のレオ様 まるで白鳥の王子様から抜け出ていらしたかのようですわね」
「お二人がご入場された時 近くにいらした方も皆そう言っていたのですよ」
「学園の制服が白だったらよかったのに」
ええ!私も皆さんが仰っているように、あの絵本のことも思い出しました。幼い頃に何度も何度も読んだ絵本です。レオ様がモデルと言われても驚かないほど素敵な王子様のお話しで、レオ様にお会いするまではいつもあの絵本をレオ様と思って大切にしていたのよね。
ご本人が絵本をご存じなかったと言うことは言わない方がいいかしら。ふふ、きっと今このホールの中で、白鳥の王子様を読んだことがないのはレオ様お一人ね。
メヌエットが流れ始めました。演奏を担当なさっているのは専科の方々だわ。
『ダールイベック嬢 一曲踊って頂けますか?』
微笑みながら差し出されたレオ様の手を取ります。
「光栄でございます 喜んで」
人生で初めての舞踏会、初めてのダンスのお相手がレオ様。またひとつ夢が叶った瞬間でした。
レオ様の初めても私、なのよね。こんな嬉しいことってないわ。
『踊るのは二年ぶりだね いや初めてか・・スイーリとは』
「そうですね 二年ぶりで初めてですね」
レオ様と初めてダンスをご一緒したのは、二年前の夏のことです。下町のお祭りへ出かけた時に踊ったのだったわ。
『あの時のスイーリも可愛かったが 今夜は眩しいほどに美しい―スイーリが一番だ』
最後の言葉は耳元で囁くように紡がれました。頬が熱くなるのがわかります。
あっ、バランスが崩れて次のステップに間に合わないわ。何してるのよ!他のことを考えている余裕なんてないのに。
「ありがとうございます レオ様カバーして下さって」
レオ様が上手く繋いで下さったおかげで失敗せずに済んだわ。でも気をつけないと。
『ごめん 揶揄ったつもりはないのだけれど ダンスの最中に言ってはいけなかったみたいだな』
「いえ 私こそ・・気をつけます」
『気にするな こんなもの好きに踊ればいいんだ ほら笑って』
そうよね、レオ様と踊っている間は誰よりも笑顔でいなくては。
曲が終わってしまいました。短すぎるわ。
『スイーリと踊りたいやつが大勢いるようだな でもワルツは私と踊ってほしい』
はい、レオ様を独占するわけにはいきません。それに別の方と踊っていた方がレオ様をじっくり見られるかもしれないわ、なんてその方に失礼かしら。
「はい また誘って頂けるのですね」
『お誘いしてもよろしいですか』
ふふ、時々こんな風に仰るレオ様がとっても好き。
「ええ お待ちしております」
「ダールイベック嬢 俺と一曲いかがですか?」
「ええ喜んで」
『アルヴェーン嬢 踊って頂けますか?』
「大変光栄でございます」
次の曲を私はベンヤミン様と、レオ様はヘルミ様とご一緒することになりました。ソフィア様はイクセル様から申し込まれています。
「とうとうここまで来たんだな」
「ええ そうですね」
きっとベンヤミン様のその言葉には、とても多くのものが込められているのでしょう。ベンヤミン様も成年貴族になられましたから。これからはレオ様のお側でお仕えするとお聞きしています。アレクシー兄様のようにベンヤミン様にとって、きっとそれが夢で目標だったのね。
「頑張れよスイーリ ソフィアも俺もついてる レオのこと頼むぜ」
「はっはい!」
えっ?私のことだったの?
「いや頑張らなきゃならないのは俺の方だよな スイーリが安心していられるようにさ」
そう言って笑うベンヤミン様の瞳にはしっかりと自信が漲っていました。心強いわ、私も負けてはいられない。
「ありがとうございますベンヤミン様」
その後はイクセル様、卒業生の方にもお誘い頂けましてご一緒させて頂きました。少しは緊張もほぐれてきたみたい、もう踏み外したりはしないわ。
五曲ほど続けて踊り少し疲れて休憩していると、レオ様が飲み物を二つ持って隣に来て下さいました。
『ここにいたんだ 疲れた?』
差し出された飲み物を受け取りながらお答えします。
「ありがとうございます ワルツが流れるまで少し休憩しようかと」
『うん 私は疲れた ダンスは苦手だ』
ふふ、あんなにお上手なのに。
そうだ、今のうちにお話ししてしまおうかしら。
「レオ様 祝賀舞踏会の時にもこのドレスを着てよろしいですか?」
簡単に了承下さると思っていたのに、レオ様は驚いた顔をされて目を彷徨わせてしまったのです。




