[235]spin-off
国境の町。
ここは南北に長く伸びるボレーリン領の中心の町だ。国境線近くには領主様がお住いになる城塞がそびえ立っている。俺はこの城を毎日見上げながら育った。
丘の頂上に立つ城は、高い塀で覆われていて幼い頃は少し怖かった。
今が隣国のベーレングと友好を築いている時代で良かった。時代が違えばここは戦の最前線だったかもしれないのだ。
俺の父さんは画家だ。父さんみたいな職業がこの町でも食べて行けるのだから、今は本当に平和な時代なんだと思う。
「お前は私達に似ず頭が良い」父さんの口癖だった。
俺は父さんから文字を教わったし、うんと幼い頃は毎晩母さんが本を読んで聞かせてくれた。文字が読めるのは二人のおかげなんだ。なのにどうしてそんなことを言うんだろう。
仕事でお城へ通う父さんがある晩帰って来るなり俺に言った。
「ビル 明日は俺と一緒に城へ行くぞ 領主様がお前に会いたいそうだ」
どうして俺に?
とても驚いたけれど、領主様のご命令だ。俺は言われた通りにしなくちゃいけない。
母さん!母さんも驚いて心配しているんじゃないかと、慌てて振り返ってみたけれど、なぜだか母さんは嬉しそうにニコニコしていた。
翌朝、いつものように絵具や筆を大きな鞄に詰めた父さんと一緒に家を出た。
俺はとても緊張していたらしい。歯をギュッと噛み締めて、両手をカチコチに強張らせて扉の前に立っていた。それを見た父さんが、ふっと笑って俺の頭の上に手を乗せる。
「そう緊張するな 領主様はとても素晴らしいお方だ 今日はお前にとってかけがえのない一日になるに違いないさ」
そう言うと、俺の手を握り歩き始めた。離さないでよ、絶対この手を離さないで父さん。
城まで歩いていくんだと思っていた。
俺達は今馬車に揺られている。
「ははは 城まで歩いて行っていては日が暮れてしまうなあ」
父さんは笑った。この馬車に乗っている人達は、全員お城で働いているんだそうだ。毎朝この馬車に乗ってお城へ行って、夕方になるとまた馬車でここまで帰って来るんだって教えてくれた。
「ニルスさん 今日は息子さんも一緒なのかい?」
「よく似ているねえ ニルスさんに似て賢そうな子だ」
皆顔見知りみたい。代わる代わる父さんに話しかけてきた。父さんも楽しそうに話をしている。
お城の壁の中はこんな風になっていたんだ。
初めて見る城の内部に俺はすっかり興奮してしまって、緊張していたことも忘れてしまった。
父さんは「じゃあ俺は仕事に行くからな お前はここでしばらく待っていなさい ここでは好きに過ごしていいそうだよ」そう言って、俺を残して行ってしまった。
部屋の中は見たこともないくらい沢山の本が、びっしりと並んでいた。町で一番大きな本屋よりも何倍も広い。好きに過ごしていい・・・そう言ったよね?それって読んでもいいってことだね?
まず俺は広い部屋の中、本の背表紙を眺め続けた。最初の棚は物語の本が並んでいるみたいだ。いくつか知っている名前もあった。
ベーレングの棚もあった。それも少し気になったけど、俺はその棚の前も素通りした。
星の本、植物の本、建築に裁縫、剣術指南なんて本もあった。
「これにしよう」
俺は一冊の本を取り出してその場で読み始めた。高い棚には背が届かなかったってこともあるけど、そうじゃなくてもとっても魅力的な本だったんだ。
「ヴィルヘルムくん」
「ヴィルヘルムくん?」
しまった。夢中になっていて声がかけられたことに気がつかなかった。
俺は慌てて立ち上がり、本を脇に抱えて深く頭を下げた。
「申し訳ございません 勝手に本を読ませて頂いておりました お許しください」
「まあ頭を上げて ヴィルヘルムくん 私は君を呼んでくるように申しつかって来ただけよ」
頭を上げると、優しそうな女の人が腰をかがめ両手を膝に乗せて俺のことを見ていた。白いエプロンをしている。お城で働いている人だったのか。
「お腹が空いたでしょう?ヴィルヘルムくんのお父様もそろそろ休憩で出てこられるわ まずはお昼ご飯にしましょう」
「ありがとうございます」
読んでいた本を棚に戻して、女の人の後ろをついていった。
着いたところは、大きな厨房の隣にある部屋だった。見たこともないくらい大きなテーブルが部屋の真ん中に置かれていて、何人かの人が食事をしていた。
「おお 君が画家先生の息子だな」
「父さんもすぐに来るだろう 好きなところに座るといい」
「はい ありがとうございます」
一番端の席に腰掛けた。父さんはまだかな・・・広いお城の中で独りぼっち、それに気がつくと急に心細くなった。
暫くすると、廊下から賑やかな声がしてようやく父さんが入ってきた。立派な髭を生やしたお年寄りと一緒だ。
「待たせたねビル」
父さんは俺の頭を撫でながら隣の席に座った。
お髭のお爺さんはと言うと、父さんと反対側の隣に座った。俺の席は一番端だったから、正確に言うと斜めの隣だ。
「君がヴィルヘルム君か 話は君のお父上から聞いていたぞ」
お爺さんはとても大きな声で僕に話しかけてきた。僕は知らないうちにビクッとしてしまっていたらしい。
「は はじめまして ヴィルヘルム=ハパラと申します」
俺がお爺さんに挨拶している間に、父さんが料理を皿に乗せて俺の前に置いてくれた。お爺さんのところにはさっきの女の人が、料理を運んできた。偉い人なのかな。
「父さん この方は・・・」
うんと小さな声で言ったはずなのに、聞こえてしまったみたい。
「ワシか?ただの老いぼれの老兵さ ハハハ」
そうか、この城には騎士様が沢山いるんだ。平和って言っても国境のお城だもの。こんなお爺さんまでお城を守っているんだ。
「騎士様 私達の暮らしをお守りくださりありがとうございます」
俺がそう言うと、お爺さんは目を丸くしてそれからびっくりするほど大きな声で笑った。
「聞いたか?こんな小さな子が!いやー実に素晴らしい 素晴らしいぞニルス」
料理はとっても美味しかった。お爺さんはこれも食べなさい、これも食べてみろとどんどん俺の皿に料理を乗せてくれて、もう俺の腹ははちきれそうだった。
「一人で図書館にいたんだって?どんな本があったのかワシにも教えておくれ」
あの場所は図書館て言うんだ。本がたくさんあるから本の館、ぴったりな名前だ。
「はい 物語の本や自然や科学の本 職業に関する本や 隣国ベーレングの本もございました」
お爺さんは少し考え込んだようだったけれど、次にこう聞いた。
「その中でビルは気に入った本はあったか?何を読んで過ごしていたのだ?」
「はい ステファンマルクの歴史を読んでいました」
「ほう・・・」
お爺さんはまた少し考え込んでいるようだった。
「どんなことが書かれていたのだ?ワシにも教えてもらえないか?」
俺は嬉しくなってつい沢山話してしまった。
「・・・申し訳ございません つい話しすぎてしまいました」
「いやとても楽しかったよビル また聞かせておくれ」
お爺さんは俺の頭を撫でると立ち上がった。とっても大きな手だ。
「ご馳走さん 旨かったよ」
そう言うとお爺さんは立ち上がり仕事に戻ると言って出て行った。
「ビル」
父さんに名前を呼ばれて振り返る。
「随分と楽しかったようだな どうだい?お城に来てよかっただろう?」
「うん!あんなに沢山の本を初めて見たよ お城は凄いね!」
「この後領主様がお前にお会いになるはずだよ」
そうだ!今日は領主様にお会いするためにお城へ来たんだった。
「・・・父さんも一緒だよね?」
俺はまた心細くなってしまって、両手を握り締め下を向いた。
父さんが俺の頭を優しく撫でる。大好きな父さんの手。頭を撫でられると少し不安な気持ちも薄くなった気がした。
「勿論一緒だ でも安心しなさい 朝にも言ったが領主様は素晴らしいお方だよ」




