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「アレクサンドル様とおっしゃるのですね」
隣を歩くスイーリが瞳をキラキラと輝かせている。
『その名で呼ばれたのは今日が初めてだったよ 大司教が付けた四番目の名なんだ』
レオとアレクサンドルの間に後二つ名がある。そう、私のフルネームはかなり長いのだ。
「ふふ ご自分で付けられたお名前なので 大司教様はアレクサンドル様とお呼びするのですね」
『そうなんだろうな 何度呼ばれても自分のこととは思えなかったよ』
ステファンマルクではミドルネームは公表しないのが通例だ。ミドルネームを教えるということは、とても重要な意味を持つ。
貴族ならば恐らく全てのものがミドルネームを持つが、大抵の場合それを知るのは同じ邸に暮らす家族だけだ。一門のものですら知らされることはない。私で例えるならば、私の名前を正しく知るのは父上と母上のお二人だけと言うことだ。
スイーリにもまだ伝えてはいない。スイーリが私のフルネームを知るのは結婚誓約書にサインする時だ。もちろん私がスイーリの名を知るのも同じ日になる。
「まさか今日 レオ様のミドルネームを伺えるとは思っていませんでした」
いつ聖堂へ行くか、それも具体的にはまだ考えていなかった。誓約書を交わすだけだ。放課後にでも寄ればいいと気楽に考えていたのだが、まさか今日大司教がこちらへ出向いてくるとは予想していなかった。
『うん 私も思っていなかったよ』
途端慌てたように、スイーリは視線を彷徨わせた。
『大丈夫 今説明したようにあれは大司教から貰った四番目の名だからな 正式な名前はいずれ教えるよ』
「はい 楽しみにしていますね とっても楽しみです」
スイーリ、その楽しみはどういう意味なんだろうな。名前を知る日、貴女は純白のドレスに身を包んでいると言うことに気がついているか?
小さな晩餐用のホールに入る。既に陛下は席についていた。王が真っ先に座っているというのも面白いな。
「ようやく来たか」
「ふふ 陛下が早すぎたのですよ ねえ?リリン侯爵」
お二人がにこやかに話しているところへ、ダールイベック夫妻も到着した。
「さあ始めるか」
侍従がワインを注ぎに来た。ここにも侍女の姿はなかった。今晩は侍従とロニーの二人が給仕を任されているらしい。
「よし 二人の前途を祝して乾杯だ」
陛下の恐ろしく短い挨拶で乾杯となった。
「しかしリリン侯が来たのは良かったな いい噂避けになった」
陛下がヴィルホにお話しになっている。私達から見ればバレバレのカモフラージュなのだが、傍のものが見れば、ダールイベックの二人の騎士に叙勲の話でもあったのだろうかと考えてもおかしくはない。―それにしては、謁見者の中にリリエンステット侯爵夫人がいなかったけれどな。
「はい まだ公にはなさらないのではとの父の判断でございました」
「その通りだ 発表はレオが成人する日に行う
令嬢はまだ成年に達していないがレオを支えてやってほしい 頼めるな?」
陛下に直接話しかけられてスイーリが小さく震えているのがわかる。
「はい 未熟ではございますが精一杯務めさせて頂きます」
「わからないことがあればイレネを頼るとよい」
そう言って陛下も殿下もスイーリに笑顔を向けておられるが、無茶を言う。かと言ってこの場で口を挟むのもよくないな。後でスイーリに話しておこう。
「そうだわ 王太子宮で行われる晩餐や舞踏会に手を貸して頂こうかしら」
ポンと手を合わせた殿下が名案だと言わんばかりに、公爵夫人に向かって微笑む。
「将来はスイーリが取り仕切ることになるものよ でも今回はまだ荷が重いでしょう?全て私が用意するつもりだったけれど 五日間全ては正直言うとね 少し大変なのふふふ」
呆気に取られているようだが、流石は公爵夫人だ。落ち着いた様子で殿下と受け答えをしている。
「イレネ様 それは王太子叙任の祝宴の話でございましょうか?」
「ええ 一日目と最終日はレオの宮で開くことになっているの」
先に到着した賓客との非公式なものを除けば、祝宴は五日間開催される。
叙任式当日の舞踏会、そして最終日の五日目が母上の言う通り鳶尾宮で催されることになっているのだ。五日も必要ないだろうという不満を述べるのはもう諦めている。
「僭越ではございますが 謹んでお受け致します
イレネ様 ひとつだけ要望を申し上げることをお許し頂けますでしょうか」
「もちろんよ なんでもおっしゃって頂戴」
「ダールイベック家だけでは少々荷が重うございます」
夫人の言葉に即答したのは陛下だった。
「それならノシュールにも声をかければよかろう 二人で協力するもよし 一日ずつ担当するでもよし それでどうだ?」
ノシュール公爵夫人に至っては完全に巻き添えになった形で申し訳ない気もするが、女主人のいない宮で祝宴を開けと言うのがそもそも無理な話だ。
「承知致しました ノシュール夫人と相談の上早急に立案致します」
「ああ頼むぞ 明日にでもフレディーに伝えておく」
『陛下』
母上から二人の公爵夫人への引継ぎとは言っても、自分のための宴だ。私が無関係で済ませるわけにはいかないだろう。
『ノシュール家に私が出向き 直接依頼して参ります
ダールイベック夫人 突然このような話になって済まないが快諾感謝する 宮に二人の部屋を用意しておくから自由に使ってほしい』
「大変光栄なお声がけでございます 精一杯務めさせて頂きます
王子殿下 ご要望がございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
『ありがとう』
晩餐も終盤に差し掛かり、デザートが用意された頃になって夫人が再び話しかけてきた。
「殿下 婚約指輪にダイヤモンドをお選びになった理由をお伺いしてもよろしいでしょうか? 娘は大層喜んでおりました もしかして娘の我儘だったのではございませんか?」
『いや・・・』
そうか、そのことを聞かれることを想定してなかった。そうだよな、気になるよな。ダールイベック夫人はこの国の生まれだ。夫人も婚約の際に公爵からは瞳の色を映した指輪を贈られたに違いない。
何故選んだかって?贈る石を選ぼうと思った時、最初に浮かんだのがダイヤモンドだったんだ。勿論私もこの国の風習は以前から知っていた。きっと私のために最上級の空色の石を用意しているだろうこともわかっていた。
『スイーリに相談はしていない 私が贈りたかったんだ 一番硬く一番透明な石を』
そしてスイーリに視線を移す。
『スイーリに気に入ってもらえてよかった』
「はい 毎日つけられるようになる日が待ち遠しいです」
『うん あと三ヵ月だけ待っていてくれ』
「素敵ね 一番硬くて透明・・・とても素敵だわレオ」
何故か母上が手を叩いて喜んでいる。
「ええイレネ様 王子殿下は実に情緒に富んだお方でいらっしゃいますね
先日王太子宮の名称を伺いました時も 大変美しい言葉で感銘を受けました」
「そうなの 理解して頂けて嬉しいわ 陛下とは大違いでしょう?ふふ」
母上と夫人の話が弾む。
なんだか居心地が悪い。ちらと陛下を見ると陛下は陛下で二人の話を決まりが悪そうに聞いている。
ゴホッ、ゴホン。
突然咳払いをした公爵は僅かに顔が赤い。どう見ても笑いを堪えている顔だ。
「なんだなんだ?ダールイベックでは普段私のどんな噂話をしているというのだ?」
口角をぐいと上げた陛下が愉快そうに尋ねるが、誰一人答えようとはしない。
「スイーリ 義父に話してはもらえぬか?」
びっくりした顔のスイーリが真っ赤になっている。
父上、それは卑怯です。
明日から数日スピンオフになります。とある人物についてのお話しです。




