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廊下の角を曲がって母上がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「あら 待っていてくれたのね」
目礼を返してから並んで歩く。
「レオと歩くのも久しぶりね こんなに大きくなっていたのね」
母上の背を追い抜いたのは、学園に入るよりもかなり前だったはずだ。いつまでも幼子扱いされていることに苦笑いする。
「もう少しゆっくりでもよかったのに」
私にだけ届く小さな声でそう呟くと、笑顔で私の腕を取った。
「ふふ せっかくだから謁見室までエスコートしてもらおうかしら」
『光栄です 王妃殿下』
やはり今日もここだな。
ひとつの扉の前に騎士が二人立っていた。ゲイルとヨアヒムだ。どうやら陛下は当面の間は噂が広まることを防ぐ気があるらしい。・・・有難い。
「王妃殿下 王子殿下こちらの部屋にご用意しております」
母上が一番気に入っている謁見室だ。直接聞いたことはないが、多分間違いない。
私達と共に控え室の中に入ったのはロニーだけだった。母上の侍女は全員扉の外で待つよう言われているらしい。
「あら 陛下はまだいらしていないのね 公爵と一緒に来るつもりかしら」
『執務室には陛下お一人だったので 別で来られるのではないでしょうか』
「まあ レオは先に陛下のところへ寄ってきたのね」
あ・・・
しまった。母上のところにも顔を出しておくべきだった。
『・・・申し訳ございません』
「ふふ 気にしなくていいのよ 私も先程戻ったばかりで支度に忙しかったの」
『お出掛けでしたか』
「ええ 今日はちょうど聖堂を訪問する日だったのよ」
『ちょうど?ですか?』
王宮の外での公務も多い母上だ。外出なさることは珍しいことではない、が?
「ほら あなたのお父様はとてもせっかちでしょう?ふふふ」
あ、もしかして・・・
『殿下 もしや司教を―』
そこで再び扉が開いた。
「おお二人揃っていたか」
陛下がいらした。
話の途中だが時間だ。お二人の後ろから謁見室へと足を踏み入れた。
部屋の中にはダールイベック公爵と公爵夫人、スイーリ、そしてヴィルホが待っていた。
中央に置かれている椅子に悠然と座った陛下の右後ろに立つ。
「よく来たな 楽にせよ」
敬礼していた四人が頭を上げた。
スイーリは同色の鈴蘭の刺繍が施されたクリーム色の清楚なサテンドレスを着ていた。夫人もやはり控えめなデザインのドレスを着ている。これでは式典用の華やかな騎士服を纏っている公爵とヴィルホがメインの謁見のようだ。
わざと・・・だろうな。
「謁見を賜り感謝申し上げます」
「口上はよい 早速本題に入るぞ
通してくれ」
扉の前に控えている騎士に陛下が声をかけた。果たして招き入れられたのは司教、いやあの赤い襟は―
「大司教 ご足労感謝するぞ」
白いあごひげを蓄えた大司教がニコニコと笑みを浮かべながら入ってきた。驚いた、まさか大司教を呼びつけるとは。
左右に分かれて控えたダールイベック家の中央を大司教が進んできた。
「陛下 クリスマス以来でございますね この度は誠におめでとうございます」
年に一度、クリスマスの日に離れた距離から眺めるだけだった大司教だ。面と向かって会うのはこれが初めてになる。
「王子殿下 この度はおめでとうございます 殿下に直接お会いするのはこれが二度目でございますね」
・・・・・そ う な の か ?
いつだ?まずい全く憶えていない。
どう答えるべきか戸惑っていると、陛下が笑いながら助け舟を出して下さった。
「レオが憶えているはずがない なにせ十八年も前だからな」
・・・なんだよ、揶揄われたのか。 いや二度目なのは事実らしいけれど。
だが一つ思い出した。大司教から名前をひとつ付けて貰っているのだったな。普段使わないからすっかり忘れていた。
大司教は変わらずニコニコと穏やかな笑みを湛えている。
「健やかにご成長なされましたな アレクサンドル様」
『ありがとう 大司教』
それから大司教は振り返ると、ダールイベック公爵夫妻の前に数歩進み出た。
「ダールイベック様 この度はおめでとうございます ご婚約の立ち合いをさせて頂けますこと誠に光栄でございます」
「大司教 感謝申し上げます」
侍従とロニーが台を中央へ移動させる。
大司教が台の前に立った。
「王子殿下レオ・アレクサンドル様 ダールイベック公爵令嬢スイーリ様 こちらへお並び下さい」
台を挟んで大司教と向かい合って立つ。スイーリも隣に並んだ。
「こちらが婚約誓約書でございます お二人のサインを頂戴致します」
大司教に呼ばれた通りにサインする。スイーリがサインを終えてペンを置いたところで大司教が短い祈りを捧げた。
「ご婚約おめでとうございます こちらの誓約書は大切にお預かり致します」
『よろしく頼む』
「ありがとうございます 大司教様」
「ところでアレクサンドル様 ご結婚はいつ頃のご予定でございますか?」
どうも自分に言われている気がしない。
『三年後を予定している』
「少し先でございますね それまで私も長生きせねばなりませぬ」
『ああ 大司教にはこの先も末永く導いていただきたい』
「有難いお言葉です」
大司教が陛下の方へ向き直った。
「ご婚約の発表は後日と伺いましたが」
「そうだ 七月に行う」
「王太子叙任に合わせて発表でございますか」
「その通りだ」
「承知致しました」
「誓約書を早く聖堂に持ち帰らなくては
私はこれで失礼させて頂きます 陛下 聖堂でお待ち申し上げております では―」
大司教は入って来た時と同じように笑顔を浮かべたまま出ていった。
「さて 用件は済んだな もういい時間だ 場所を移すぞ」
言うだけ言うと陛下は、スタスタと大司教が退出した扉へと歩いて行ってしまった。後ろで母上がクスクスと笑っている。
「せっかちな陛下でごめんなさいね きっとね にやけている顔を見られたくないのよ ふふ」
母上の言葉でスイーリの強張っていた表情も少しほぐれたようだ。
「私達も参りましょうね」
母上が扉へ向かおうとした先でヴィルホが控えていた。
「殿下 僭越ではございますが私にエスコートの栄誉をお与え下さいませ」
「まあ嬉しいわ よろしくお願いね リリエンステット侯爵」
『スイーリ 行こうか』
「はい レオ様」
母上とヴィルホの後ろに続いてホールへと向かった。
Alexandre




